桜花、蒼空に還らず。
「突然ですまないが、第六遊撃飛行分遣隊には極東近海に護衛に付いてもらう」
先の戦闘から三週間、司令から通達されたのは護衛任務だった。なんでも極東の技術者集団が南の海を渡って用件があるらしく、秘密裏に行ってほしいとのこと。無論、どんな用件なのかはパイロットには知る由もない。
「この任務が秘密裏である理由は、相手方からの要望だ。当然ではあるが、用件の内容はトップシークレットであるため一切伝えられない。用件は勿論、この任務全般の口外に関しても厳重処分の対象だ。慎重を期してかかるように」
・・・
ジョセフは機体の点検が終わるのを待っていると、イヴが話しかけてきた。
「ジョセフ中尉、用件って一体何なんですかね?」
「さあな。まあ、任務全般の口外が駄目なんだしそれほど重要な案件なんじゃないか」
イヴは腕を組み「う~ん」と唸る。子供だから気になるのも仕方ないだろう―――しかしイヴは思い出したように「そういえば……」と呟いた。
「極東で新しい飛行機の開発計画があるって聞いたことあります……」
「新型機が?あんな島国が、信じがたいな」
極東は一般的に東の地域全体を指す言葉だが、世間では東の地域でもさらに東の島国を指すことが殆どだった。君主制国家で軍事力は一見、他国と比べると物足りないように思えるが、実際のところはジョセフも分からない。
イヴはそのまま話し続ける。
「でも極東の機体はすごいですよ?何せ俊敏性が段違いみたいですから。他国の記者からの評価は『まるで職人芸だ』って」
「職人芸ねぇ……あの防弾性がないやつだろ?」
「はい、あれに乗れば自然と皆エースパイロットになれますよ!」
イヴの自信がどこから来るかは分からないが、極東の有する『防弾性のない機体』には少しばかり興味が湧いた。事実は語弊の影響で、少しは装甲があるだろうが、俊敏性が段違いだというのなら重りとなる装甲を削ぎ落しているのだろう。昔『当たらなければどうという事はない』と教官から教わったが、それは一部の幸運な者が実践できるに過ぎない。大抵は、墜落せずとも一発は弾丸を貰うものだ。同期らとは、それを『洗礼』として懐かしむ。
「それでイヴ、今回の用件が極東の新型機と関係あるのか?」
「多分ですけど……私も技術者から聞いたことがあるんです。その人、世界に名を轟かせるような攻撃機を見せてあげるよって言ってくれたんです」
「……さりげなく貴重な情報言うんだな」
「でも漏らしませんよ。その人と約束したんですから」
万が一捕まって尋問されたらどうするのかはいざ知らず。ジョセフは整備士から点検が終わったことを報告され、用意された搭乗機に向かった。イヴもゴーグルを額に上げ、桜花に乗り込む。
「桜花、離陸します」
《ジョセフ、離陸する》
二つの機体は離陸し、朝早い空へと飛び立っていった。
・・・
また経験する雲の上は、三週間前と何ら変わっていなかった。相変わらず太陽光は照り付けて、視界の下は白い雲で覆われている。上は―――青い空しか存在しなかった。
まるでバケツをひっくり返したかのように一色に彩られた空の中に、イヴとジョセフの機体が飛んでいた。この三週間の訓練の成果だろうか、イヴはふらつくことも少なくなり、簡単なマニューバぐらいも出来るようになった。
《中々様になってきたんじゃないか?》
「いえ、でも……まだまだですよ。いつかはジョセフ中尉のように機体を操ってみたいんですから」
イヴは嬉しそうに答え、桜花を左右に振った。
《俺のようにか。ならもっと上手くならなきゃな》
「頑張りますよ」
こう話している間にも、イヴは本当に懐いていると、ジョセフはそう思った。無線からでも分かる上機嫌な声色は無意識にジョセフの心を和らげてくれる―――ああ、これが天使の声か。
日々には、そう思う事さえあった。しかし、他人には、イヴにさえも決して悟られぬよう夜に自室で声を押し殺した記憶がある。
―――あまりにも、恥ずかしい事実だった。
(自慰行為に至ってないだけ……マシなのか……?)
顔が熱くなっているのが分かる。ジョセフは首を振り、任務に集中することにした。
「ジョセフ中尉」
《どうした?》
「後ろから駆逐艦が来てるんですけど……何ですかあれ?」
後ろを振り返ると、確かに駆逐艦が一隻こちらに追随していた。あれは味方だろう。
《味方のだな。ブリーフィングで言われなかったか?》
「あ……ごめんなさい。すっかり忘れてました」
《次は気を付けろよ》
輸送用だろうか。航空駆逐艦『ジャベリン』の武装は追尾魚雷と対空機関砲のみという通常時に比べて貧相なものに成り果てていた。いくら極秘で隠密な任務であるとは言え、もう少し兵装を積んでもいいのではないか。
それに艦艇は戦闘機と比べ速度は速くないので今のジャベリンはまさに、敵からすれば格好の的であった。それに戦闘機もそれに合わせてスロットルを調整しなければならない為、エンジンにも多少の負荷がかかる。全く、お荷物を担いでいるような感覚をジョセフは味わっていた。
《こちら駆逐艦ジャベリン、桜花、グロリアス、状況を報告してくれ》
「こちら桜花、異常なし」
「グロリアス三十五番機、敵影見えず」
「それにしても、全然敵がいませんね。この下は南大陸連邦の海上基地がたくさんある筈なのに……」
「定休日だからとか?」
「ずっとそうだったらいいんですけどね」
冗談を言い合うが、実際ここの海域には海上基地が至る所に点在している。無理に通ろうものなら超長距離の炸裂砲弾が下から風穴を開けに来る。しかし今日に限っては砲火音の一つさえ聞こえてこなかった。エンジン音だけが今の空を支配している。
「この調子じゃ極東の技術者集団とやらもすぐに運び込めそうだな」
「早く攻撃機の全容を知りたいです」
《私語は慎め。もうすぐで飛行場に到着する》
そしてさらに一時間後、一行は極東の主要都市、新羅に降り立った。軍港として栄えるこの都市には遠目から見ても軍需工場や工廠が立ち並んでいるのが確認できる。
イヴは格納庫に桜花が収容されるや否や、ほぼ同時に降り立つと、目の前の光景に感嘆としていた。
「うわぁ……ジョセフ中尉!すごく大きい工場ですよ!それに戦闘機も!」
「分かったから落ち着け。一応極秘任務なんだぞ」
しかしイヴは聞く耳持たず。技術者集団そっちのけで極東製の戦闘機を喜々として眺めていた。挙句の果てには写真まで撮りだす始末である。性格は真面目なのだが、一旦好きな話題になると話が止まるところを知らない―――それを欠点とは言わないが。
「ジョセフ中尉、やっぱり斑鳩は格好いいですよね!?」
「あ、ああ……そうだな」
まさかここまで飛行機が好きだとは思ってもいなかった。ジョセフは流石に任務に戻った方が良いとイヴを桜花の元へ連れ戻す。
「ほら、行くぞ」
「あっ!痛い痛い!分かりましたから引っ張らないでくださいぃ……」
頬を抓るが、こうでもしないと観光に没頭してしまいそうな雰囲気だったので仕方があるまい。ジョセフはそのままイヴを引っ張って桜花に乗せた。
「強引すぎますよぉ……」
「こうでもしないと来ないだろお前。とにかく乗るんだ」
そうしてジョセフも機体に乗ろうとした瞬間、上空で何かが光輝いた。眩しさで思わず目を細める。
「んぁ?」
熱い。
ガタガタと大きな音が聞こえる。
気づけば、空は赤茶けた色に染まっていた。
「何で……」
立ち上がり、桜花を探す。しかしそれは近くにあった。もはやコクピット部分しか原形をとどめていない。中にはイヴが横たわっていた。
「イヴ……おい……おき、ろ……」
いくら呼びかけても起きない。しかし心臓は動いていた。持っていた酸素マスクをイヴに付ける。これで少しはマシになるだろうと思っての行動だった。
「ああクソ……眠いな……」
―――おかしいな。昨日はよく眠れたはずだが……
ジョセフは降りてくる瞼に逆らうことは出来ず、視界が真っ暗になった。
・・・・・
その夜、一人のパイロットが救助された。医師が語ったことはただ一つ、『奇跡的だ』とだけ言った。
fin...
これで終わりです。