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 部屋に戻り、溜息を吐く。

 一度にたくさんのことがありすぎた。

 多少は落ち着いて対処できるようにはなったのだろうか。


 机の引き出しの中から、鍵付のノートを取り出す。

 カレンダーに目をやれば、もうじき私の17回目の誕生日だ。

 他家と異なり我が家ではバースディパーティなどは催さない。

 ぜひとも招待してほしいと声を掛けられるが、開催しないものに対してそういう風に言われるのも不思議な気がする。

 それを過ぎれば、1年だ。

 瑞姫さんが過ごした高等部1年、私が戻っての高等部2年、そして次の3年が始まる。

 とにかく瑞姫さんに追いつきたくて背伸びをしつつ頑張った1年だった。

 少しは追い付けたのだろうかと思いながらも、そうではなく、これから先を見据えなければと思う自分もいる。

 目標があるというのは、幸せなことだと思う。

 その理想に追いつけない未熟な時分に歯噛みする毎日だけれど。

 12歳だったはずなのに、目覚めれば16歳の自分が居て、外見に見合うように頑張ってみたけれどやはり違和感は拭えない。

 誰もその違和感を指摘しないのは、気付いていないからなのだろうか。それとも見て見ぬ振りをしているからなのだろうか。

 そろそろ本当に色々なことと向き合わねばならない時期が来た。

 進路のことや、その他のことも。




 珍しく兄姉が揃って私を呼んでいると声がかかり、指定された部屋へと向かう。

「お呼びと伺いましたが、いかがいたしましたか。柾兄上」

 声を掛け、襖を開けると視線が突き刺さる。

「怪我はないようね、瑞姫」

 茉莉姉上の声に、昼間のことがすでに知られていると理解する。

「はい。ご心配をおかけいたしましたが、この通りです」

 隠し事をしたところでバレるのであれば、最初から素直に応じた方がダメージは少ない。

 それが少々強烈すぎる兄姉への対処法だ。

 普段から海千山千人々を相手にしている人たちは、意外にも素直に真っ向勝負に弱い。

 それが末っ子の特権なのかもしれないが。

「ん。動きに何ら支障はないな。無茶をしたわけじゃないってことか」

 蘇芳兄上が顎を引くように頷く。

 どうやら私の動きから打ち身などの怪我がないかを見ていたらしい。

 まあ、打撲程度であれば普段から鍛えている身には大した影響はない。

 武術を嗜むものとそうでない者の最大の違いはそこだろう。

 一般的な人であれば、多少の打ち身でも動きに支障が出るところだが、普段からそういった荒事に身体が慣れている者にとっては痛みを逃がすことに長けているため、大した影響は出ない。

 内出血なら、消毒した針で血抜きする程度のことは自分でできるからだ。

 血抜き、水抜きなどで腫れを強制的に引かせ、一時的に痛みを抑えるツボを突いておけばある程度は誤魔化すことができる。

 何故そんなことができるのかというと、誘拐された時の対応の一環だからだ。

 誘拐される理由は金銭関係以外に怨嗟ということもありえるからだ。

 相手の弱点となる者を痛めつけることで優位に立ち、人質及びターゲットを支配することができると思う輩がいるため、相手の油断を誘って逃げ果せるだけの技量を身につけさせられる。

 痛みに恐怖を覚え、身動きできなくなるよりも、その痛みが自分の身体にどれだけの影響をもたらす怪我を与えたのかを判断できれば、逃げるチャンスを冷静に作れると訓えられるのだ。

 守る者がいれば、さらに冷静な判断力が求められる。

 だから、ある程度の怪我をしていても、自分も他人も騙して普段通りに動けるのが我々だが、それでも些細な違和感はあるだろう。

 その違和感を見出そうとした蘇芳兄上の注視力は最早動物レベルかもしれない。

 実際に怪我ひとつないのだから、私としてもどうということはないのだが。

 無茶をしたという実感も全くない。

 できるから、やった。ただそれだけだ。


 淀みない動きで襖を閉め、下座に座って兄姉たちを見る。

「疾風が止めなかったと聞いている。無茶ではなく充分問題なくできると判断したのだろうね」

 八雲兄上がそう言って、柾兄上を見る。

「下した判断に問題はないと私も思うわよ? あれだけの玉突き事故で、重傷者はいるものの本来予想される被害よりは遥かに軽い結果に終わっているしね」

 菊花姉上も私を擁護するように上座に座る柾兄上に告げる。

 私たち兄妹にとって長兄の言葉は絶対だ。

 時に冷酷ともいえる判断を下すこともあるが、その判断に間違いはないと必ず思うのだ。

 だからこそ、神妙な表情で柾兄上を見つめてしまう。

「……先程、菅原の当主御夫妻が御祖父様の処へみえられた」

 柾兄上が切り出した言葉は予想していた枠内ではあったが、かなり外れたところを突かれたため思わず瞬きを繰り返してしまった。

「どこぞのご夫婦とはえらい違いだな。反応が早い上に的確だ」

 口笛でも吹きそうな表情で蘇芳兄上が呟く。

「千瑛と千景のご両親が、御祖父様の処へ……それで、何と?」

「末の双子が無事だったのは瑞姫のおかげだからと礼を告げた後で決して無茶をしたと責めないようにと仰ったそうだ」

「あら。痛い処を突かれたわね。仮定の話をするわけにはいかないけれど、瑞姫が『無茶』をしなければ、菅家の双子ちゃんは『最悪の事態』を免れなかったと言われれば、無茶をするなとは確かに言えなくなるわね。言えば、その子達を見殺しにしていいと言ったも同然なんだもの」

 くすくすと楽しげに笑う茉莉姉上に、笑い事ではないだろうと思ってしまうが声に出すことはできない。

 最初から言うつもりはなかったとわかっているから。

「あちらもうちと同様に血族を大切に思う家だからね。特に末の双子は可愛がられているから、瑞姫に対して感謝の念が強いんだろう」

 八雲兄上が困ったように肩をすくめる。

 なるほど。蘇芳兄上が言った『的確』の意味はこのことか。

「それで? 菅原家は、瑞姫に何と言ってきたの?」

 菊花姉上が目を眇めて柾兄上に問いかける。

「大事な子供二人の命を救ってくれたことに対する礼をしたいが、何をもって礼とするかを量ることができかねるため、瑞姫が望むことを全面的に助力する、と」

 意外過ぎる言葉に、兄姉たちが押し黙る。


 実に曖昧な対応だと取られる場合もあるが、捉え方によっては前田家の礼の仕方よりも遥かに厄介な内容になる。

 何故なら、私が『礼などいらない』と伝えたとしても、それで終わりにならないからだ。

 私が『望むこと』を全面的に『助力』するということは、私が言葉に出してお願いするということではなく、私が望んでいることを察して、あるいは調べて、本人が気付かぬうちに望む結果を用意するということで、しかも、期限がないのだ。彼らが気が済むまで、下手したら一生、彼らが恩義を感じている限り、それが続くのだ。

 何しろ、千瑛と千景を育んだ人々だ。真面目そうな表情をしてノリで生きているような人が多いらしい。

 そう、げっそりした表情で千景が言っていたのだから、間違いはないだろう。

 最終的には私に恩義を感じてというより、私の望みを察するということに対し、ゲーム感覚で望みを推察してそれに対する必要条件を割り出して実行するということを愉しんでやりそうなのだ。

「さすが菅家! 曲者すぎるわね」

 感心したと言いたげな茉莉姉上の言葉が、とても心臓に悪かった。


 とりあえずのところ、今回の騒動はお咎め無しということで落ち着きそうで安心した。

 それもこれも総て疾風の判断によるところが大きい。

 どれだけ兄姉たちの信頼を得ているんだ、疾風は。ちょっと悔しい。

 この件に関しては信用を失墜している私としては、肩を竦めるしかない。

 私が何かするにあたって、兄姉たちは疾風の反応を確かめて判断しているフシがある。

 疾風が静観、あるいは支援にあたれば問題なしというところか。

 岡部の随身の中でも疾風は群を抜いて優秀らしい。

 実兄や年上の親族が任に就いているにも関わらず、彼らよりも実力が上と言われるのは私のせいだろう。

 私が未熟だったせいで、疾風にどれだけの負担をかけてしまったのか。


 私が物思いに耽っている間にも状況は進んでいたらしい。

「菅原家のことはとりあえずは静観するということで大丈夫だろう」

 柾兄上がそう判断を下す。

「それでよいのですか?」

「構わない。瑞姫が望むことは、『誰も何もしなくて良い。自分の力で行うことに価値がある』だろう? それに反すれば、害を為すと受け止められる。菅原家がそれをよしとするか否かは、あちらの判断だからな」

「確かにそれだと下手な手出しはできないわね」

 菊花姉上が大きく頷く。

「一般的な四族としてはどうかと思われるだろうが、まあ、相良だからなぁ」

 にやりと蘇芳兄上が獰猛な笑みを湛える。

「自分のことは、自分1人で出来て当たり前。例え四族をやめて一般人に紛れて暮らすことになっても戸惑い、困ることがほとんどなく、そこから自力で会社興したりして頂点目指すぐらいのことはやってのけるように叩き込まれてるんだから、さぞかし菅原も困るだろうな」

 実に楽しそうな笑みを浮かべての言葉に、八雲兄上も菊花姉上も得たりと頷いている。

「……甘いわよ、蘇芳、菊花」

 茉莉姉上が窘める。

「え?」

「菅原家は文の家よ。武の我々とは異なる独自の伝手も持っているわ。探しに探して、手に入らないと思っていた稀覯本なんて差し出されたら、受け取らずにいられる自信があるの?」

「……それは、盲点だったわ」

 とんでもない指摘に菊花姉上が顔色を変え、視線を彷徨わせる。

 確かに、本は断れないだろう。

 『全面的な助力』の意味する範囲の広さに恐れ戦いた。

「相手が完全な善意であるということが救いでもあり、警戒すべき点でもあるということよ。柾兄さんの言う通り、静観するでいいと思うわ。瑞姫は滅多なことでは動かないから、先回りして動くということは意外と難しいしね」

 全力で貶されたような気がするが、女帝様の御言葉なので聞き流すことにしよう。

「ああ、そうそう。瑞姫、可愛らしいお客様がお見えよ」

 のんびりとした口調で長姉が告げる。

「お客様?」

「在原家の継嗣殿。知ってはいたけれど、面白い子よね」

 にっと笑った茉莉姉上の目は笑っていない。

 別に怒ってもいないので、文字通り、そう思っているのだろう。

「いつも通り、瑞姫の離れにお通ししているわ」

「客人を待たせるようなことをされたのですか!?」

「そうよ。いくら友人でもアポイント無しはマナー違反ですもの。あちらは男性で、瑞姫は女の子なのですからね。体面というものがある上に、瑞姫の名誉が傷つけられてはいけないものね」

 そうは言うが、いつもは問題なく通していただろうとちらりと考えて、ふと気づいた。

 疾風がいない。

 今、疾風は先程の報告で外している。

 在原に警戒する必要はないが、体面を保たねばならないということか。

 そうなると、私をここに呼びつけて時間稼ぎをしている間に疾風を呼び戻すか、颯希を呼び寄せているのか。

「……静稀を待たせるわけにはいかないので、私はここで」

 柾兄上に一礼し、立ち上がる。

「……瑞姫」

 踵を返した私の背に柾兄上が呼びかける。

「…………?」

 肩越しに振り返ると兄上と目が合う。

 口許に柔らかな笑みを刷き、長兄が小さく頷く。

 思う儘に動いてよいと言われた気がした。

 それに頷き返し、部屋を出た。




 急いで離れに戻れば、在原がソファに腰かけて待っていた。

「待たせた」

 そう声を掛ければ、在原はニコリと笑う。

「ん。大丈夫、そこまで待ってないから。もういいの?」

「ああ。ちょっとした報告を受けていただけだ。静稀の用は何だ?」

 ふと視線を部屋の隅に向ければ、そこには颯希が静かに佇んでいた。

「んー……用って程のことじゃないんだけどね」

 苦笑を浮かべた在原が立ち上がる。

「さっきは悪かった。ちゃんと謝ってなかったと思ってさ」

「……謝る程のことでもないだろう? 静稀は私の心配をしてくれただけだし」

「謝ることだったんだよ、僕にとっては、ね」

 肩を竦め、笑う。

「僕は常に瑞姫から一歩も二歩も遅れる。瑞姫が下した判断は常にその場で最上のものだ。後から検証してもそれ以上の答えは出てこない。それを感情に流されて否定した」

「静稀、それは……」

「僕は瑞姫には敵わない。悔しいけどね」

 笑う在原の表情に翳りはない。

「自分の力が足りないことを認めるのは結構きついけれど、認めないと前に進まない。だから」

 謝罪の言葉を口にしようとした在原の唇に指先で触れ、言葉を封じる。

「静稀の気持ちは受け止めた。これ以上は言葉にするな。誰が聞いているかわからない場所で言質を取られるような真似はいけない」

 少なくともここには私以外に颯希がいる。

 私が口外無用と命じれば、颯希は誰にも言わないだろう。

 だが、少なくとも言葉にしたという事実は残る。

 それが後々問題となることがある。

 だから言わない方がいい。

「瑞姫……男前すぎ」

 困ったような表情を浮かべた在原が、私の手を掴む。

「仰せのままに、姫君」

 仕方なさそうに頷き、首を傾げる。

「これだけは、言わせてほしい」

「静稀?」

「父の手伝いをするようになって、色々と情報が入るようになったんだ。部外者だからよく見えるということがあるってよくわかった」

 在原の言葉に真顔になる。

「誉と瑞姫を婚約させようと動いてるやつがいるんだな」

「……いるらしいね」

「本人が望んでないのに、ね?」

「そうだね」

「誉も瑞姫も、自分で動くタイプだ。でも、余計なお世話だからって、自分で動くわけにもいかない時もある」

「……そういうときもあるね」

 表立って動けない時は、裏から動かすという手もあるけれど。

 ドミノ倒しのように、全然違う場所から一手を打ち、そこへ到達するように誘導することもできる。

 私にはまだ難しい手だが、瑞姫さんがよくやっていた手だ。

 先にまったく関係ないような場所へ布石をいくつも打っておいて、そこから本命を狙い撃つという手法。

「だからね、僕が潰そうと思って」

「……え?」

「それを言いに来た」

「まさか、葛城相手に……」

 誉と私のことで動くとしたら、葛城しかない。

 前田家はまだ動く気はないだろう。

 かといって、葛城の郎女が動くとも思えない。

「そこもあるし、未だにあちらも、ね……」

「あー……まだ、いたのか」

 橘の残党が。

「僕が動くよ。盲点でもあるからね」

「任せるよ」

 おそらく、在原家のご当主の指示でもあるのだろう。

 次代当主に相応しいか、試験を兼ねて。

 そうして在原自身は友人の為に動こうと思っている。

 ならば託すべきだろう。

 私が頷けば、ほっとしたような表情になった在原が笑う。

「用はそれだけ。じゃあ、またね」

 見送りはいいからと告げ、屋敷を後にする。

「……瑞姫様」

 どうしましょうかと、颯希が視線で問いかけてくる。

「本当に、面倒だね。単純な感情だけでは物事を動かすわけにはいかないとはわかっているけど」

「難しいことはわかりませんが、瑞姫様の憂いを晴らすのが随身の役目だと承知しております」

「動かない。私は動かない。だから、誰も動かさない」

「承知、しました」

 颯希が頷く。

 きっと、今の言葉は疾風に伝えられるだろう。

 疾風が留まってくれるといいのだが。


 厄介な特技を持つ随身が暴走しないように手綱を握るのも主の役目なのだろうか。

 少々腑に落ちない想いを抱え、溜息を1つ吐いた。

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