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しんと静まり返った道場内。
目の前に対峙するは疾風ひとり。
徐々に空気が澄み渡り、冴え広がる。
神に捧げる技は、至高のものでなくてはならない。
ただ無心に、持てるすべての技を披露する。
だがそれだけでは霊鎮めとはならない。
新年が明けるまで、安らかに神に眠っていただくためには、それだけでは足りない。
それが、最も重要なものなのだ。
緩やかに呼吸を整える。
息を吐いて、吸う。
吐いて、吸う。
だらりと両手を下げたまま、静かに己の気が澄み渡っていくのを感じる。
感覚が広がる。
己だけで完結していた気が、徐々に広がり、道場内へと張り巡らされる。
どこに誰がいて、何をしているのか、目を閉じていても気配が読み取れる。
おそらくそれは疾風も同じだろう。
お互いの気配を探り合い、頃合を見計らう。
それは、唐突に始まった。
シュッと風を切る音が鋭く響く。
真っ直ぐに、真っ直ぐに。
私に突き刺さる寸前にがつりと音を立て止まる。
交差した双鎖鎌の柄が阻んだのだ。
力で押し込むよりも退いた方が早いと判断した疾風が柄を戻す。
その曳く力を利用し、私も疾風の懐へと飛び込む。
狙うは頚。
頸動脈を狙うというのは、もはや常識だろう。
どんなに鍛えても、防御を厚くしても、頸動脈のあたりというのは庇いきれない部分であるようだ。
身長差が大きければ、非常に狙いにくい場所でもあるが、私と疾風の差では致命的なモノにはならない。
迷いなくそこを狙えば、刃ではなく石突で防御に徹する疾風。
鞘と石突がぶつかり、火花が散る。
目まぐるしく攻守が反転し、ぶつかり合う音が高らかに清んでいく。
がつりと鈍い音を立てていたものが、きんっと高い音となり、時にはしゃらんと鎖が鳴る。
何かが、自分の奥底から湧き上がってくる。
ふつふつと泡のように沸き起こり、浮かび上がる。
楽しい。
愉しい。
娯しい。
何処までも終わりなく揮っていたい。
互いにすべてを紙一重で除け、最低限の動きで相手を躱していく。
全神経を相手に注ぎ、仕掛けては防ぎ、そうして一旦距離を置く。
久々に本気を出して動ける相手の存在に、とても嬉しくなってくる。
どうやって討ち取るか、そう考えるだけで笑みが浮かぶ。
相手の出方を見る小手調べの段階は終わった。
そろそろ本気を出して行こうか。
繋いでいた錘を外し、双鎖鎌だったものを2本の鎖鎌へと切り離す。
ここから外道と呼ばれる鎖鎌の本領発揮というところだ。
ゆっくりと錘が円を描き、舞っていく。
ここからは2つの錘、2本の鎖、そうして2つの刃が相手となる。
スピードに乗った錘が、笛のような音を奏でだす。
どういう経緯でそのような名前がついたのか知らないが、巷ではこの音を蟲笛と呼ぶらしい。
この音が鳴り出したら要注意と言われているのは、本当に蟲が呼ばれるからではなく、ここまで高音が出せるほどのスピードを持つ錘がぶつかれば、簡単に物が粉々に砕けるほどの威力があるからだ。
人にあたれば粉砕骨折は間違いない。
これも運がよくての話で、大体において死亡確定だろう。
逆に言えば、これを持ち出さなくてはならないほど、疾風の実力は確かだということだ。
その証拠に、これだけ振り回しても疾風にはかすりもしない。
防戦一方に追い込まれているようで、疾風の立ち位置はほとんど変わっていない。
槍の柄で錘を弾かれても、鎖を絡まさずに手足のように操る私の技量に周囲は惑わされているようだが、私の猛攻を槍一本で全部凌いでいる疾風の方がすごいのだ。
兄上達ですら、双鎖鎌を持ち出した私の前でそう長いこと耐えられない。
防戦一方どころか、早々に私が得物を圧し折ってしまうからだ。
それほどに錘と鎖の攻撃は圧倒的だ。
それなのに、疾風は槍一本でそれらすべてを受け流している。
その事実の前に楽しくないなど思う方がおかしいだろう。
このままどこまでもやりあっていたいと願っても、終焉は必ず来る。
緩やかに、ひそやかに。
鎖の速度が落ち、錘を絡めて元の双鎖鎌の形態に戻す。
その後もしばらく打ち合いは続き、そうして2人同時に得物を下す。
呼吸1つおいた後に、礼をする。
静まり返り、緊迫していた空気が緩んだ。
拍手はない。
してはならないきまりだ。
拍手は柏手と混同され、眠りについた神を目覚めさせる合図となるため、霊鎮めの後、年が明けての最初の稽古まで堂内で手を打ってはならないきまりなのだ。
霊鎮めが終わったのちは、静かに道場内から立ち去ることになっている。
双鎖鎌を布に包み、片付けた後、そのまま道場の外へと私も出る。
「お疲れ様。すごかったね」
目の前に差し出されたタオルと共に労いの言葉がかかる。
「……誉?」
「うん?」
驚いて見上げれば、笑みを浮かべていた誉が不思議そうに首を傾げてくる。
驚いたな。
どうやってあの詰め掛けていた女子生徒たちから逃れたんだろう?
私の表情から悟ったのか、誉が苦笑を浮かべる。
「まあ、鶴の一声で解散したって言うか……」
鶴?
「もしかして、郎女が何か?」
「うん、まあ……世の中には知らない方が良い事もあるんだよ、瑞姫」
急にきりっとした表情を作った誉が私の疑問を断ち切ろうとする。
そうか。やはり郎女が何かしたんだな。
タオルを受け取り、ひとつ頷く。
「この場合、御気の毒にとか、御愁傷さまとか言うべきなのかな?」
「察しがいいのも困りものだね」
遠い目線になった誉の肩を疾風が宥めるように叩く。
「癒されそうで抉られるよな」
「岡部。俺を突き落して楽しんでるだろ?」
「殆ど本気で命狙われてた俺よりはマシだろ」
「瑞姫!?」
ぎっと音がしそうなくらい鋭角に誉の首が動き、驚愕の眼差しが私を捉える。
「や、つい……」
「つい、で、狙われたのか、俺は」
「だって、疾風、避けるから……」
「避けるわっ!!」
速攻で疾風が声を上げる。
「……自分の方がマシだと認めたくないけど、認めてしまいそうなところが怖い」
ぼそりと呟く誉に少しばかり反論したかったが、疾風が怖いので我慢する。
「あ! そうだ! 誉、ちょっと待っててくれないか? すぐに着替えてくるから!!」
クリスマスプレゼントを渡さなくては!
荷物は更衣室に入れている。
着替えなくては、荷物も取れないのだ。
「あ、瑞姫! こら、待て! 走るなっ!!」
疾風の声が追ってきたが、急がなくてはいけない。
千瑛たちも帰ってしまうし。
更衣室に飛び込んで、シャワーで汗を流した後、大急ぎで着替えて戻ると待っていたのは予想通り般若顔の疾風の説教だった。
寒い中、慌てて走ったので少しばかり足が痛い。
自業自得なので疾風には言えないが、多分バレてるだろう。
また後で怒られそうだが、こればかりは仕方がない。
きちんと準備をすれば、走ったところでそこまで痛くはないのだが、身体が温もってない状態で急に動いたせいで骨と筋肉が驚いたせいだろう。
地味に痛い。
「岡部、そのくらいで……半分は俺のせいでもあるんだし」
苦笑を浮かべた誉が、疾風を宥めにかかる。
疾風もすでに着替えて私を待ち構えていたのだ。
汗かいてないからそのまま着替えたらしい。
「いや、これはおまえのせいじゃなく、瑞姫の自覚が足りないだけだ。急に走るなと言われてるのに」
「ごめんなさい」
これは私が悪いので仕方がないな。
「だけど、俺を待たせないようにと急いだんだから……急いでくれてありがとう、瑞姫」
「まったく……甘やかすなよ」
呆れたような声を上げた疾風が、肩をすくめて説教を終わらせる。
「いいじゃないか。それで、瑞姫。急いでどうしたんだい?」
「うん。クリスマスプレゼントを渡そうと思って」
荷物の中からプレゼントを取出し、誉に差し出す。
「ありがとう」
「どういたしまして。はい、疾風も」
「あ、ああ。ありがと」
驚いたような表情で受け取る疾風とは対照的に、誉は嬉しそうに笑って開けていいかと訊ねてくる。
どうぞと頷けば、小さい箱の包装を解き始める。
「……ペーパーウェイト? キラキラしてるね」
オルゴナイトを見て、目を丸くする誉に、してやったりとくすくす笑い出す。
「もしかして、アレか!? 化けたな……」
誉の手に乗っているものを眺めた疾風も驚いたように声を上げる。
「化けたって……ひどくない?」
頑張って作ったのに。
「いや、あの材料だろ? まさか、こんなものに化けるとは思わないぞ、普通」
「化ける? え? もしかして、瑞姫が作ったの?」
疾風の言葉から推測したらしい誉が驚いたように目を瞠る。
「うん、頑張ってみた。案外、楽しかったよ」
「……そう言えば、カフスやタイピンも作ってたよね。すごいな」
「作り方がわかれば、誰でもできると思う。あとは材料が集まれば、だけど」
「……作り方がわかっても、誰でもできないと思うよ。瑞姫は手先が器用なんだね」
「そうかな?」
「そのうち、日曜大工とか始めるんじゃないかとハラハラしてるぞ、俺は」
横で疾風がぼやく。
「いや、そこまではさすがにしないと思うよ、瑞姫は」
「面白いとか言い出せばやりかねないぞ」
「……疾風の私に対する評価に不満を抱いてもいいだろうか?」
思わず2人に問いかければ、2人同時に私の髪をくしゃりと撫でる。
「とりあえず、プレゼント渡す奴が他にもいるんだろ?」
「うん。在原や千瑛たち」
「じゃあ、行こうか」
2人に促され、歩き出す。
うまく誤魔化されたような気がするが、後で問い詰めてやろう。
そう思いながら、千瑛たちの姿を探し始めた。