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今年もあちらこちらで『トリックオアトリート』の声が聞こえる。
瑞姫さんの記憶にあった以上の賑やかさだ。
今年もだが、あまり積極的に参加するつもりはない。
廊下側からこちらの様子を窺う生徒も見受けられるが、視線を合わせるつもりもない。
意思表示は大切だな、うん。
「……参加、しなくてもいいのか?」
前の席に座っている疾風が、私の机に頬杖をついてのんびりとした口調で問いかけてくる。
「したいと思う要素がなくてね」
これは、私の中の真実だ。
「それに、あそこに魔女がいるから充分なのでは?」
そう言って示した先には、葛城美沙がいる。
おそらくあれはモルガン・ル・フェの装いではないかと思われる。
美貌の魔女と言われた伝説の大魔女を模した姿の彼女は、相変わらず男子生徒に取り囲まれている。
鬱陶しいだろうに表情一つ変えずに対応している葛城美沙に思わず称賛の眼差しを送ってしまう。
「……確かに、魔女だな。実によく似合ってる」
微妙な表情の疾風が、大きく頷く。
私が言った意味合いと異なる響きが混じっているのは気のせいだろうか。
「疾風」
「ん?」
「私は動かなくて、本当にいいのか?」
気になっていることを問いかける。
「ああ。そう言えば、橘が何か、動いているな」
「……誉が?」
「そうだ。流石に詳しいことはまだ把握していないが、どうやら相良の家を出るべきだろうと考えているらしい」
「そうか。葛城の影響から逃れられる手立てがあるのなら、それもいいかもしれないな」
疾風の言葉に少し考えて、そう答える。
今の橘は、微妙な立場にいる。
生家である橘家から不当な扱いを受け、相良家に身を寄せたところ、母方の葛城家が迎え入れようとし、それを拒絶。
葛城家は橘家の対応を不服とし、彼の家に対して報復行動に出ているのだから、立派に火種になっている。
それは橘の望むところではない。
相良家は、彼を受け入れているが建前上は中立の立場を取っている。
そう、庇を貸しているだけで庇護を与えているわけではないという態度だ。
それを貫くことで、橘の立場を守っている。
そこまで考えて、ふと疑念を抱く。
『母方』の『葛城家』と言うが、由美子さまは当然だが、真季さんの姓は『葛城』ではない。
葛城家は、大巫女の娘である真季さんを葛城に招き入れなかった。
それは何故なのか?
今までは、真季さんが芸の道に進むためにすべてを捨てる覚悟を持っていたからだと思っていたが、別の理由があるのではないか?
別の、理由……。
真季さんの父親は、誰だろう?
誉の祖父である男性の家は。
「瑞姫?」
「あ、いや。真季さんの名字は何だったかと思って……」
おかしい。
今まで疑問を感じなかった自分がおかしい。
葛城家よりも先に、真季さん達の父親が出てくるはずなのだ。
そう思い当たった私の耳に、クラスメイトの話し声が聞こえてくる。
「20年ぶりにこちらに戻られるそうだぞ」
「へぇ。帰国理由は何だって?」
「娘さんの1人が亡くなられたらしい。葬儀には間に合わなかったそうだ。それどころか、婚家からの連絡もなくて四十九日過ぎてからようやく連絡があったそうだ」
「それはひどい話だな。前田家のお嬢さんなんだろ? 嫁いだ先が葉族とかいうわけじゃないよな?」
前田家!?
思わず立ち上がる。
「瑞姫!?」
「あ……いや」
突如立ち上がったことでクラス中の視線を浴びていることに気付き、我に返る。
「驚かせて済まない。忘れていたことを思いだして驚いたんだ」
『何を』については語らずとも、正直に事実を告げれば、皆、納得したように頷くと、それぞれの話に戻っていく。
「瑞姫」
低く、あたりを憚るように囁くような声で疾風が私の名を呼ぶ。
「すまない」
「どうした?」
「由美子夫人と真季さんの家、だ。不思議に思っていたんだ。何故、真季さんは葛城の名を名乗らなかったのか、と」
「ああ、確かにそうだな。大巫女様の娘なら、葛城は欲しがるだろうに」
そのことに気付いた疾風も腑に落ちないといった表情になる。
「前田の血、だ。あちらの血が濃いんだ。誉も、そうだ。だから、葛城は誉自身ではなく、誉の子を欲しがってるんじゃないのか?」
「前田の、血? ああ、自由を尊び、芸術を愛するとかいう……確かにな」
「束縛されることを厭う血だ。葛城に戻そうとすれば、鎖を砕き断つために全力で抗い、暴れる。だから、誉の意思を尊重すると言って手出しを控えたんじゃないのか?」
「控えてないように見えるけどな」
ぼそぼそと、小声での会話に注意を向ける者はない。
興味を持ちそうな者たちも今は教室内にはいない。
「誉は、祖父である前田殿に接触する気なのだろうか?」
「妥当な線だな。あちらも血族の結束は固い。とはいえ、当主は海外に拠点を置いて飛び回っていると聞くが」
「さっき、戻ってくるという話をしている者がいた。由美子さまの訃報を今頃受け取ったそうだ」
「……今頃?」
「橘が連絡していなかったらしい。誉も、さすがに前田家の祖父まで気が回らなかったのだろう。生まれてから一度もお会いしたことがないのであれば、なおさら」
「そうか」
これはもう、完全に詰んだな、橘家は。
家の格などの騒ぎではない。
分家は確実に切り捨てられる。
視方によれば娘2人を当主に弄ばれたと考えられなくもないだろう前田殿は、外孫の現状を知れば激怒するだろう。
誉を引き取る方向に話が進めば、葛城も手を出しにくいだろう。
彼の才能は、葛城よりも前田の方が活かせるはずだ。
「……葛城の郎女は、誉の動きを把握しているのだろうか?」
「さあ。はっきりとはわからないが、そこまでは難しいかもしれないな。橘は有能だ。周りの状況を読むことにも長けている」
「そうだな。本当に誉が前田家に接触するかどうかはわからないが、御隠居様が仰る通り、私が動かない方が郎女の目をこちらに向けることが出来そうだな」
「まあ、そうだな」
表情を引き締めた疾風が静かに頷く。
「疾風、誉が動きやすいように撹乱できるか?」
「やってみよう」
「私も前田殿と接触できればよかったのだが」
悪戯してほしいのか、お菓子が欲しいのか、こちらを窺う生徒達の視線を少しばかり煩わしいと思いながら、溜息を吐き、呟いた。