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153 (岡部疾風視点)




 肩に乗っていた手が離れ、迷いない足取りで瑞姫が去っていく。


 ぴんと伸びた背筋、隙のない後姿。

 そのどれをとっても男前すぎる。

 俺を置いて行くことに躊躇いがない。

 そこから感じ取れる感情は明白だ。

 揺るぎない『信頼』の一言に尽きる。


 瑞姫が部屋を出、そうして完全に気配が途切れた瞬間、男3人から溜息が漏れた。

「相変わらずだなぁ、瑞姫ちゃんは」

 苦笑しか出ないという表情の諏訪の御大。

「未だ、幼子のようだのう」

 呆れたような、微笑ましいような、少しばかり困った様子の御館様。

「…………申し訳、ございません……」

 俺が謝罪するのもおかしいが、何故か申し訳なくて頭を下げる。

「いや、よいよい。気にするな、疾風。あれは兄や姉のせいでもある」

 苦笑した御館様が俺を宥める。

「まあ、そうだよなぁ。瑞姫ちゃん誕生のくだりは意外と有名な話だし」

 くつくつと笑う御大。

「……はぁ」

 その話は、俺も知っている。

 八雲様のおねだりで瑞姫が出来たというのは、岡部では微笑ましい話だと語られている。

 その後のご兄弟の溺愛っぷりも凄まじかったことから、さらに生温い目になってしまうのは仕方がないだろうが。

 あのすっきりとした見た目と異なり、瑞姫の内面が幼いのは、兄君、姉君が徹底的に可愛がり、余計なモノを見せないようにがっちり管理しまくったからだ。

 さすがに子供が生まれる仕組みは知っているだろうが、そこへ行きつく感情の推移については全く以って無知だろう。

 茉莉様や八雲様が瑞姫に薦める本の内容は実務的なものばかりで、恋愛に関するような小説などは一切含まれていない。

 そのせいか、瑞姫が興味を示すのは歴史や技術に関連するもの、軍略に関するものなどが多い。

 政略婚を受け付けない相良の直系でありながら、恋愛に全く興味を示さないのは俺が傍に控えていたからではない。

 断じて違うと声を大にして言える。

「まあ、それで助かりもし、困りもしているのだがな」

 御館様の視線が遠くなる。

 こればかりは、随身を務める俺にはどうしようもない分野だ。

 俺が想像していたよりも、事態は遥かに重いのかもしれないと、少しばかり警戒心が強くなる。

「その様子では、瑞姫が気になる男というのはまだおらんか」

「はい。橘誉に関しては、完全に友としか認識しておらず……」

「であろうな。次期殿も今はそれ以上を望もうとはしておらぬようだしな」

「はい。今は時期が悪いと。己の手で力をつけて、瑞姫を迎え入れるだけの環境を整えなければ相良には認められないからと」

「そうか……」

「ぬるいな! 瑞姫ちゃんが他の男に惚れでもしたらどうするつもりだ!」

 御館様と俺の会話を聞いていた御大が思わずといったように声を挟む。

「……それは……瑞姫ですから……」

 まず、自覚をするまでに相当時間が掛かるだろう。

 思わず視線を泳がせた俺に、御大は言いたいことを悟ったらしく盛大に溜息を吐く。

「そういうことか。呑気だと思ったが、意外と計算高い男か!」

 普通に考えて、相当時間的余裕はあるんだよな、瑞姫の場合だと。

 問題は、自分自身だ。

 それだけ長い時間をかける間に、自分の想いが変質してしまわないかという意味で。

 他の女に惚れるとか、気持ちが浮つくとかしてしまうかもしれない。そういう危険性は捨てがたい。

 本気で口説いたとしても、瑞姫の場合は冗談だとか、言葉を弄するやつだとか、そういった認識をしかねないし、御大のようなタイプには攻略が難しい相手になると思う。

 人間としてはこれ以上ないほど信頼のおけるやつだが、女性としてはあまりにも恋愛ごとに疎すぎて手の打ちようもない困った相手なのだ、瑞姫は。


「それで、疾風。葛城の動きをどう見る?」

 御館様の問いかけに、俺は答えていいものかと戸惑う。

「なぁに、率直に言いな。どうぜ、瑞姫ちゃんはここにいないし、おそらく結果として影響ないし」

 御大までがそう添える。

 つまり、予想はついているということか。

「……おそらく、瑞姫の周辺に揺さぶりをかけて、瑞姫に周囲の男を意識させようという考えかと……」

「やはり、そう思うか」

「ま、葛城と言やぁ、感情操作、特に情動操作をお手のモノとしてるからなぁ……瑞姫ちゃんには全然効かねぇだろうがよ」

 溜息しか出ないが、葛城の動きはある程度予測はつく。

 親友だと思っている橘を男だと認識させたいのだろう。

 そこまで出来れば、土蜘蛛が得意とする感情操作で瑞姫を橘と縁付けさせるつもりだと推測できる。

 大神を排除したのは、それこそ邪魔だったからだ。

 諏訪に想いを寄せることはないけれど、大神に対しては皆無ではない。

 あとは橘、在原、菅原弟、俺だ。

 一見、菅原弟の存在は希薄だろう。姉の方が瑞姫と行動を共にしているせいで誤魔化されている。

 在原を橘の傍に寄せないのも、その延長線だろう。

 さすがに俺を排除できなかったらしいが。

 俺を瑞姫の傍から排除しようとした瞬間、瑞姫は葛城の喉笛に容赦なく牙を突き立てるだろう。

 誰にでも簡単に想像がつく結果だ。

 相良と岡部の関係を知っていれば、明白だ。

 岡部が相良を守るのと同じく、相良は岡部を守る。

 俺達が守ろうと思う以上に鮮やかに躊躇いなく。

 そうなった時の葛城のダメージは計り知れないだろう。

 瑞姫の作品や瑞姫自身を好む女性たちは数多い。

 その女性たちまでもが反葛城についてしまえばと、そこまで想像がつくだろうし。

 だから、俺に手を出すことはできなかった。

 つまりは、御二方にとって、俺がもう1つの囮というわけか。

 動かない瑞姫と、葛城の思惑から外れて動き回る俺。

 橘は元々周囲をよく見て動くやつだから、俺が説明しなくても大凡のことは読み取って動ける。

 イチイチ説明しなくても臨機応変ができる小器用なやつなので、こういう時は大変助かる。

「……御館様」

「なにかの?」

「葛城一族の感情操作というのは、どのようなものでしょうか。警戒すべきことのように思えますが、情報がなく……」

「ふむ。さもありなん。年若かろうとも女怪であるからのう……あやつらは言葉ひとつで巧みに相手の感情を乱すのを得意としておる。己の欲しい結果になるよう、甘い言葉、耳に優しく囁いてこよう。それで大抵の男は惑わされる。特に葛城は見目良い娘が多いしの」

「……見目……?」

 ふと、葛城美沙の顔を思い浮かべる。

 顔貌は整っているが、とても同じ年には見えない。

 あ、いや。別に老け顔だとか、ケバい顔だとかと言っているわけではなく、単に、そう、単純に同じ年だとは思わなかった、ただそれだけだ。

 思わず考え込んだ俺に、御館様と御大から微妙な視線が投げかけられる。

「意外とこやつも瑞姫と同類かの?」

「まあ、瑞姫ちゃんとずっと一緒だから類友っちゃー類友だけどな。判断基準が顔じゃねぇってところが男として納得いかねぇところだが」

「おまえよりは遥かにマシじゃろう!」

「美人は世界の宝だろ? 挨拶代わりに口説かねぇと申し訳ない」

「………………」

 俺を余所に繰り広げられていた舌戦第一弾は、御館様の冷ややかな視線で終わりを告げた。

「何だよ、その、汚れた雑巾を見るような眼は!!」

「馬鹿者。雑巾とおまえを一緒にするか! 雑巾が可哀想じゃろうが」

「俺より雑巾!?」

「当たり前じゃ。雑巾は文句も言わずに役に立つ。おまえは役に立つ前に文句が出る。比べるべくもない」

 時々、瑞姫がこの御二方にとても醒めきった、とても残念なものを眺めるような視線を向けているが、納得した。

 普段は尊敬できる方だという認識が先に立つが、実に残念な会話だ。

 まったくもって、嘆かわしいというべきか。

「おいこら、岡部の! 元はと言えばおまえが原因だろうが」

「それは申し訳ございません」

「そういうところも瑞姫ちゃんと似てるけど、可愛くないぞ!!」

「イイトシしたジジイがやかましいわ」

「何だと! ジジイに言われたくないわ!」

「……席を外した方がよいのでしたら、そう仰っていただけるとありがたいのですが……」

 俺がそう声を掛けた途端、2人の口論はぴたりと止まった。

「話を戻すか」

 咳払いをした御館様が、重々しい口調で言葉を切る。

 その内容はあまり触れられたくないものであった。




 瑞姫を排して、俺に告げるというのなら、それは当然の内容だろう。

 俺がもう1つの囮であるのだから、予想はついていた。

 葛城を焦らせるのであれば、そうなるのだろう。

 芝居の類は苦手なんだが……。

 俺がすることは、実に単純かつ簡単なことだ。表向きには。

 噂を1つ、流すだけでいい。

 俺が、『御館様から許しをもらった』という噂だ。

 何についての『許し』なのかは告げる必要はない。

 その噂を聞いたものが勝手に想像すればいいことだから。

 どんな噂に化けるのか、それこそ賭けに近いが、興味を引く内容か、むしろ聞きたくない内容に捉えるだろうと、御大がにやりと笑いながら仰る。

 おそらく瑞姫なら『悪戯の許可』と受け取るだろう、とも。

 どのタイミングでその噂を流すべきなのかは、また後ほど詳細を詰めることになるだろう。

 そう言い含められ、承知する。

 話はそこで終わり、その場を辞することになる。

 部屋を出て、溜息を1つ。


 わかったことがある。

 学園内にいる御大の目と耳はかなり優秀な奴らしい。

 仕方ないから今は従うが、この件が終わったら炙り出して絶対に悪戯してやるからな。

 そう決めて、急ぎ瑞姫の許へ向かった。

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