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 在原の任務は予想以上に大変そうだった。

 日に日にやつれていく彼を見ると、微妙な心地になる。

 手助けしてやりたくても、これもまた彼の試練の一部であると考えれば、迂闊に手を出すこともできない。

 在原家のご当主殿が次代教育の一環として彼を橘家の当代殿の補佐に据えたのだから、彼がやり通さなければならないことだ。


「おはよう~」

 まったく爽やかさからかけ離れた疲れ切った様子でよろよろと教室に入った在原は、自分の席にぱたりと倒れ込むように座る。

「おはよう。大丈夫か、静稀?」

「大丈夫くない~」

 唸るように告げた在原は、深々と溜息を吐く。

「使えねぇ~! 仕事って、自分で見つけるものであって、大人しく椅子に座って待ってるものじゃないって言われなかったのか、あの人は。イイトシしたおっさんだろ!?」

「おじさんと呼ぶにはかなり若い部類に入るけれどね」

 苦笑を浮かべた千瑛がフォローになるのかならないのかわからないことを告げる。

「で、どうしたの?」

「あのおっさん、仕事したがらないんだ」

 促す千瑛に在原が答える。

 この間まで当代殿のことを『誉の父さん』とか『おじさん』とか呼んでいたはずなのに、今ではすっかり『おっさん』呼ばわりだ。

 在原の言葉遣いは奔放なところはあるものの、基本的には目上の者に対しては丁寧なのだが、もう取り繕う気にもならないようだ。

 それほどまでに心労が重なっているということかと思うと、気の毒になる。

「まあ、随分余裕が御有りですこと。脱走癖があるとは聞いたことなかったけれど」

 にこやかに笑う千瑛だが、目が笑ってない。

 すごく黒い笑みだ。

 ものすごく怖いのでやめてもらえないだろうか、その笑顔。

「脱走癖じゃなくて、現実逃避の方。イイトシしたおっさんが、僕を見て、『誉と毎日会えて羨ましい』とかぼやくわけ。息子に逃げられたの、自業自得じゃないか」

 在原の言葉は尤もだ。

 しなければならないことをしなかったがために起こったことを今更嘆いても始まらないだろう。

「在原」

 ふっと千瑛が笑って彼を呼んだ。

「いいこと教えてあげるわ。馬鹿と鋏は使いようって言葉、知ってる?」

「言葉ぐらいなら……」

 引き気味に頷く在原。

「似たような意味で、馬を全速力で走らせる方法は?」

「え? 目の前にニンジンをぶら下げるってやつ?」

「そ。人参、ぶら下げてみたら? 時間限定で、在原が補佐に入っている時間帯だけ」

「ニンジン……」

 千瑛が言うところの『人参』の意味を計りかね、在原は首を傾げている。

「千瑛。誉に許可貰わないと駄目だぞ」

 一応念のために釘は刺しておく。

「勿論よ。でも、橘が気付かないようにやるわ」

「え? ナニ?」

 私と千瑛の会話が何を指しているのか、理解しづらかったらしい在原が私と千瑛の顔を交互に見る。

「あのな、静稀。千瑛は誉の写真を隠し撮りすると言っているんだ」

「ああ! 確かにニンジンだ!!」

 補足してみたら、即座に納得した。

「そうよ。しかも極上の。橘の父様が見たことがないような笑顔の橘の写真を仕事のご褒美として在原が見せてあげるの。とても喜ぶでしょうね。写真見たさで真面目に仕事に取り組むでしょうし。でもね」

 にっこりと笑って千瑛が付け足す。

「父様が引き出すことができなかった笑顔を見るのは悔しいでしょうね。絶対に橘が彼に向けることのない笑顔、なんですもの」

 その一言に、在原は引いた。

 うん、これぞドン引きだろう。

 顔が思いっきり引き攣っているし。

「それ、オニの所業じゃ……」

「それがどうしたの? 自分の至らなさが招いた結果でしょ? 反省ついでに心を折って差し上げるべきでしょう? いい加減、自業自得という言葉の意味を噛みしめてどん底から這い上がる覚悟が必要だと思うのよ」

 そう言われれば、そんな気もしてくるだろうが、『心を折って差し上げるべき』ではないと思うのだが。

 何も人道上のことではない。後々面倒臭そうだからだ。

 どん底から這い上がるだけの覚悟が期待できない。

 まあ、心が折れたままでも構わないが。

 その心を修復するのは、由美子夫人でも真季さんでも誉でもない、別の『新しい家族』の役目だろう。

 おそらく橘の当代殿が現実逃避をしたがるのは、在原の当主殿が着々と次の橘当主夫人の選出をされているからだと推測される。

 喪が明けないうちにと思うけれど、明けてからでは遅すぎるのだ。

 分家の力を削いでいる今の内でないと。

 それは理解できるのだけれど。

「私ね、己の立場を理解できない愚かな分家を御することもできない傍迷惑なだけの当主って大嫌いなの。自分のところだけならまだ許せるけれど、他家に迷惑かけて詫びもできない阿呆なら、どんな目にあっても仕方ないと思うのよ。本当に自業自得なんだから」

 そう言ってうっすら笑う千瑛の黒さに、在原と手を取り合って怯えた。

 納得できるけど、怖いから。

 ものすごく、怖いから。

 菅家への迷惑行為、相手に恐怖心与えるだけじゃ済まないほど怒ってたんだね。

 うん。千瑛を怒らせないようにしよう。

 在原と視線だけで話し合い、心に誓いあった。




     ++++++++++     ++++++++++




 極悪非道な千瑛の『人参プラン』の狙いを橘に伝えないように頼み込み、家へと帰り着いて固まった。

「………………御隠居様?」

 御祖父様の部屋で寛いでいる御隠居様の姿に驚いた。


 暇なのか?

 もしかして、暇なのか?


 いや、そんなはずはないだろう。

 諏訪家の窮状を打開すべく奔走しているはずなのだが、主に諏訪伊織が。

 その後見人たる御隠居様が、何故ここに?

 畳の上ですっかり寛いでいる御隠居様が、こちらを振り返り陽気に笑う。

「よっ! お帰り、瑞姫ちゃん」

「はい。ただ今戻りました……御隠居様、何故こちらに?」

 諏訪家の中では唯一好印象の御隠居様だが、それでも相良家では風当たりが強いだろうにわざわざ足を運ばれるのだろうか。

 疑問に思っても仕方がない、というか、当たり前だろう。

 疾風も私の背後で微妙に警戒している。

「ああ、うん。ちょっと、瑞姫ちゃんに確認したいことがあってさ」

 相変わらずの人誑し振りで、御祖父様が苦笑している。

「確認したいこと、ですか? 私でわかることでしたら、答えられる範囲でお答えいたします」

「おおー! さすが、優等生だな。そつがなさ過ぎて突っ込めない」

 妙なところで感心しないでいただきたいのですが。

「瑞姫、疾風、こちらに来て座りなさい。少々込み入った話になるからの」

 御祖父様の言葉に、私も疾風も素直に頷く。

 勧められるままに座し、話を伺う体勢に入る。

「回りくどいことを聞くのも面倒だから、簡単に説明してから聞くな」

 御隠居様がにこにこと笑いながら仰る。

「葛城の娘がうちに来てな、まあ、売り上げが伸び悩んでるデパート部門の方なんだが、葛城の化粧品を出店させろと言ってきたんだな、これが」

「化粧品……」

「そ。あの『化粧品』だ。セレブ御用達だとか、美魔女がどうとか、人気女優が使ってるとかで口コミだけでバカ売れしてるやつだ」

「……聞いたことがあります。店舗系の商業施設が出店交渉しても決して首を縦に振らないという……」

「それだ、それ!」

 うちは誰も使っていないけれど。

 かなり質がよく、その分値段も張るのだが、それでも買い求める女性が多く、海外でも注文が殺到しているとか。

 葛城の化粧品は『女性のアコガレ』なんだそうだ。

 ちなみにうちの家族は、一応オーダーだが一般メーカーのものを使用している。

 決してブランド品ではない。

 理由は簡単だ。

 高くても安くても結果があまり変わり映えがしないということと、肌を甘やかしては後が大変だという理由だそうだ。

 まあ、身体を動かすので新陳代謝が活発だから、そこまで必死にならなくても良い状態を保てるからというのが本当の理由らしい。

 これを言うとニラまれるので、美容関係について尋ねられたら笑って誤魔化せという方針は徹底されている。

 そういうわけで、意外と大雑把な我が家の女性陣は、いくら質がよくても葛城の化粧品は見向きもしないのだ。

「あのやたらとプライドの高い葛城が、わざわざ落ち目の諏訪の商業施設部門に商品卸させろと言い出したのかと思ってな」

 調べてみたら、相良の名前が挙がったのだろうか?

「今の諏訪にテコ入れしたって、何の利益もねぇだろ? それを敢えてするっていうには理由がある。割と簡単にわかったけど」

「理由が、ですか?」

 そんなにわかりやすい理由があるのか。

「ああ。橘だ。あそこの坊が葛城だろ? まあ、不当な扱いをした報復措置だな。当然だとは思うが」

「あ……そうか。橘も商業施設を持っていましたね。ダメージを与えるためですか」

「まあ、それもある」

「……他にも?」

 一手で複数の益を得るとは随分欲張りだな。

 まあ、私も同じ手を取るだろうけれど。

「瑞姫ちゃんには思い当たることはない?」

 楽しそうな笑顔で御隠居様が問いかけてくる。

「………………申し訳ございません。不勉強のようです」

 色々と考えてみたが、思い当たることはない。

 うちと敵対するつもりはないと言っていたはずなので、相良へのダメージはないと信じたいところだが。

「だから言っただろう? 瑞姫にはわからぬとな」

 御祖父様が笑いをこらえて御隠居様に仰る。

「いやあ、ここまで筋金入りとは恐れ入る! あの女狐も苦戦するだろうよ」

 くくくっと笑った御隠居様が満足そうに頷かれた。

「あのぉ~?」

「うんうん。瑞姫ちゃんはそのままでいいよ。むしろ、その路線で最後までいっちゃって」

「……そういうことですか……」

 深々と溜息を吐いた疾風が肩を落として呟く。

「おお! 岡部の坊はわかったか。いいコンビだな」

「……疾風?」

 わかったなら教えてくれ。

 後ろに視線をやり、名を呼べば、疾風は首を横に振る。

「瑞姫は知らない方がいい。そちらのほうが効果的だ」

「そうそう! こーゆーのは腹に抱える奴よりも真っ直ぐで鈍感な奴の方が強いからな」

「鈍感ですか、私は……」

 まあ、そこまで敏い方だとは思わないけれど、そんなに鈍いのか。

 ところで何について鈍いのか、教えていただけると助かるのだが。

「それが瑞姫ちゃんの良さだな。イイ女ってぇのは、多少鈍感なんだぜ? 男共の視線に気付かずブッた切って通り過ぎるぐらいの度胸があるのがいいんだからな」

「……はあ……?」

「そういう女だからこそ口説き甲斐があるってもんだろ?」

「……そうなのですか?」

「そーゆーもんだ」

 そう仰る御隠居様だが、おそらくそれは鈍感なんかじゃないと思うのだが。

 見られてることには気づいてると思うし、気にしてても仕方がないから無視してるだけではないかと。

 だから別に度胸があるとかいう話でもないと言ってもいいのだろうか。

「ところで女狐というのは? もしかして、葛城美沙嬢のことでしょうか」

 『葛城の娘』と仰るのなら、大巫女ではないだろう。

 今、こちらにいる葛城家の関係者は、彼女だけしかわからないけれど。

「そうそう。その娘。伊織と同じクラスなんだってな」

「ええ。東條のと入れ替わりに入ってこられました」

「なかなかの曲者でな。まあ、相手が言ってることが本当かどうかを知ることができるって巫女様だからかもしれねぇが。大した度胸の持ち主で、演技力もなかなかだ」

 楽しげに笑う御隠居様からの評価はかなり高い。

「諏訪の基盤建て直しが出来ればどう動くのか、ある程度の予想をしての打診だからなぁ……伊織の奴も警戒してやがんのよ」

「それは……」

「瑞姫ちゃんは当分、高みの見物をしててくれ。あの嬢ちゃんの狙いはわかってるんだけどな、一番面白い手は瑞姫ちゃんが一切動かないことなんだな、これが」

「……はあ……」

 なぜ?

 そう思うけれど、御祖父様も御隠居様も楽しげに頷いているし、疾風までもが納得しているようだから、それは確かにそうなのだろうと考える。

「邪魔になりそうな大神を真っ先に排除してからの登場だしな、丁重に対応してやろうと思ってよ。それで筋通しにきたってわけだ」

 にやりと笑った御隠居様が、ようやく本日お越しの理由を仰った。


 これは。

 お話をきっちりお伺いして、千瑛に相談した方がいいかもしれない。


 そう思いながら、御隠居様に頷いて見せた。

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