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大したことではないと言われてしまえばそれまでなのだが、私はかすかな違和感を感じていた。
何に対してかと言えば、葛城美沙にだ。
彼女の醸し出す雰囲気と彼女が起こす行動に、若干の差異があるのだ。
行動すべてに対してイメージと合わないと言えば、それはイメージの受け取り方が違っていたのかもしれないと思うだろう。
だが、普段の行動は抱いたイメージに違和感なく合致し、とある行動のみ違和感を感じるのだ。
おそらく故意にしていることなのだろう。
その意図は私にはよくわからないが。
その行動に対してどう思うかと問われれば、答えようがない。
違和感を感じるが、何を考えてやっているのかわからないので目についただけで、特に何も思わなかったからだ。
「千瑛はアレをどう見る?」
昼休み、カフェから見える食堂の様子を示して千瑛に問いかけてみる。
そこには男子生徒に囲まれて如才なく振る舞う葛城美沙の姿がある。
「生き生きしてるわねー」
「……そうか」
思っても視ない答えに瞬きを繰り返す。
「静かに獲物を狙う蜘蛛よね、まさしく」
「獲物?」
「餌と言ってもいいけど。望んでいない取り巻き引き連れてるのも情報収集のためのようね」
くつりと皮肉気に笑いながら千瑛が告げる。
「情報収集、か」
「そうよ。だって、橘誉を葛城に戻すにせよ、戻さずとも橘家と縁を断ち切らせるにせよ、東雲内での立ち位置は外からじゃわからないからね」
「……まあ、そうだな」
「学園七騎士の一角だなんて知らなかったでしょうし? 瑞姫ちゃんもそう呼ばれてるってことを含めてね」
「私は関係ないだろう?」
「大ありよ! 七騎士で、王子様な瑞姫ちゃんに手を出そうとするなら、ここでの足掛かりを即座に失うってことだもの。見かけ以上に賢い人のようね、度胸を含めて」
目を眇め、千瑛が呟く。
「相良に1人で乗り込んだって、橘誉に聞いたわ」
『聞いた』んじゃなくて、『聞き出した』の間違いでは?
橘がそう簡単にこういうことを口にするとは思えない。
千瑛が無理やり聞き出したと考える方が自然だ。
「確かに乗り込んできたけれど」
「なに?」
「納得がいかない。悪手を打つふりをする意図がわからない」
「揺さ振りをかけて来たの?」
ちらりとこちらを見た千瑛が、葛城美沙に視線を向けて問いかけてくる。
「揺さ振り……ある意味、そうだな。蘇芳兄上しかいない時を狙って本家に来たのだから」
「……まあ、筋を通すなら本邸だけど、礼を言う相手が当主なら、当主の居る場所に行くわよね、普通。ちゃんとアポイントを取って」
「それをしなかったから、乗り込んだと誉が言ったんだろう」
「確かにね。乗り込んだとか、突撃したとか、そういう雰囲気よね」
「まさしくな。それが、問題なんだ。どう見ても、郎女の持つイメージとはかけ離れている。わざと悪手を打って、それをこちらに教えるようなタイプの人間には見えない。何かしらの意図があるはずだろうが、それがわからない」
「なるほどねぇ」
感心したように呟いた千瑛は、にやりと笑う。
「瑞姫ちゃんから見て、イメージに合う行動と合わない行動、どっちが多い?」
「今の時点では、イメージ通りという行動の方が多い。だからこそ、合わない行動が目につくとも言える」
「そう。で? イメージに合わない行動を取るときはどんなときか気付いた?」
「……んー……ああ、そうか。誉に直接絡むときだな」
「ほー……」
気のない相槌を打つ千瑛は、何かを考えているようだ。
「なるほど、ねぇ?」
答えを見つけたらしい彼女は、楽しげに頷く。
「千瑛?」
「うふふふふ~……わかっちゃった! でも、瑞姫ちゃんには内緒。今は、ね。普通の女の子なら、この方法でもいいんだけどねー、瑞姫ちゃんには通用しないわね。まあ、なかなかの策士だとは思うけれど、相手を普通の女の子だと想定してたら間違いよね。瑞姫ちゃんだし」
「……千瑛?」
楽しげに笑う千瑛の反応に、私は眉を寄せる。
何だかすごく貶されたような気がする。
私が『普通の女の子』からかけ離れているような言い方はやめてほしいと思う。
とりあえず、生物学上も戸籍上も『女性』にわけられているはずだし。
「まあ、安心していいんじゃない? 少なくとも葛城美沙は、橘誉の味方であるということは間違いないようよ」
「悪意はない、と?」
「橘誉に対してはほぼ完全に。全力で守るつもりだし、欲しいものを与えるつもりではいるみたい」
「欲しいもの?」
その一言に引っ掛かる。
それは余計なお世話とは言わないのだろうか?
橘は努力して欲しいものを手に入れるタイプだ。
努力したからこそ、手に入れたときの価値は何物にも勝ることを知っている人間だ。
横からそれらを渡されるのは不本意だろう。
それが味方だろうが何だろうが、彼の努力を無にしていいはずがない。
「余計なお世話だろうと思った? まあ、それが普通の反応よね。相手を尊重すれば、その辺りは見えてくるものだしね」
くつくつと笑いながら告げる千瑛に、彼女もまたそう思っていることを確信する。
「あちらとしては橘が大切すぎて必死なんだろうけどね。大事な大事な唯一の主なんだから」
「そういうものなのか?」
「そうだと思うよ。真綿にくるんで、大切に守り通したいんだろうね」
「誉は男だぞ」
「そう。男だからよ」
葛城にとってはね、と、続けられて、価値観の相違を痛感する。
自分の足で立ちたい橘にとって、葛城は橘家以上に束縛が強い家になるのだろう。
かといって、相良が彼に手を貸せることはあまりない。
必要だと乞われたときにしか、介入できないのだ。
後手に回るのはいささか癪だが、状況を見守るしかなさそうだ。
葛城美沙の動向を探りながらも動けずにいたある日、意外な事実を知った。
「もうやだー!! 瑞姫、助けてー!」
そう言って私に泣きついてきたのは在原だった。
「どうした、静稀?」
勢いよく抱き着いてきた在原を受け止め、宥めるように頭を撫でる。
「知ってたけど、知ってたけどっ!! もう、何なんだよ、あの人!! 使えないっ!!」
「静稀?」
「お願い、愚痴らせて! 誉の父さん!! お坊ちゃま過ぎて、もうやだーっ!!」
その一言で大凡のことを察してしまったが、これは聞いてやらないと在原も可哀想だと思い直す。
でもまあ、視線が遠くなってしまうことだけは許してほしいが。
在原の話を要約すると、父親から橘本家再生の手伝いをさせられ、橘のご当主につきっきりで世話をしていたのだが、彼の無能ではないが基本的な常識のなさと応用力のなさに辟易したということだ。
今までどうやって当主の仕事をしてきたのかと問えば、上がってきた書類に目を通し、認可するか差し戻すかのどちらかの判断しかしなかったという答えが返って来たそうだ。
つまり、自分から働きかけずに、結果を待つだけのお仕事だということか。
視線が遠くなるどころか、気が遠くなりそうだ。
そんな父親を持っていた橘の苦労を労いたくなってしまう。
まあ、それでまわっていく一族経営だったから良かったのだろう。
岡部のような他社競争の激しい業界に身を投じているような企業であれば、数日とは持たないはず。
父親の下、経営に関する勉強を始めていた在原は、良い実務経験になるからと橘のご当主の補佐に入って心が折れかけたとぼやいている。
「それは、苦労したな」
それ以外の言葉は思い浮かばない。
「ああ、もう! 俺より誉だよ!! 相当苦労してるはずだよ、実の父親がアレなんだから」
「まあ、そうだな」
「家出て正解だと思った。早く縁切ってやればいいのに、うだうだと!!」
まだ駄々こねているのか、彼は。
怒り心頭の様子で愚痴る在原は、妙に据わった目で私を見る。
「それと、あの化け猫みたいな人! 誰か何とかしてほしいんだけど」
「……化け猫?」
一体誰のことだ?
「アレだよ、葛城の。俺が誉に声を掛けようとすると邪魔するんだ」
「そうか」
絡新婦を化け猫と呼ぶあたり、在原の毛嫌い振りがよくわかる。
元々、在原は女性が苦手なフシがあるからな。
葛城美沙のようないかにも妖艶な雰囲気を持つ女性は出来るだけ近づきたくないタイプなのだろう。
その彼女が邪魔に入るのなら、橘に近付きたくても近づけない状況が出来上がってしまったのか。
おそらく、彼女としては橘家に繋がる在原を傍に寄せたくないのだろう。
橘誉を橘家へ引き戻すような因子を徹底的に排除するつもりなのかもしれない。
「どうしても重要な連絡をしなければならない時は、うちに来るといい。相良の内側では、さすがに彼女も手出しはできないからな」
「そうか! その手があったか。瑞姫、最高!」
感動したように告げる在原に、彼がどれだけ苦労したかがわかったような気がする。
「来月末にはまたハロウィンがくるからな」
「ああ、そうだね。また瑞姫のところにお邪魔して、お菓子作りをさせてもらうよ」
「今回は早めに準備に入ろうか」
「いいね!」
いくら葛城美沙とはいえ、相良本邸に入れても、私の棟には立ち入ることはできない。
否、私の棟があることすら知らないだろう。
勿論、私の客としても認識されないため、本邸の応接間にしか案内されない。
彼女に気付かれずに内緒話をする場所は、意外とたくさんあるのだ。
そのことを示唆すれば、在原の表情が明るくなる。
「疾風のところに泊まるという手もあるからな」
「もう大好き!」
「そうか、ありがとう」
岡部家には、うちから直接移動できるため、いくら表や裏の入り口を見張っていても無駄である。
そのことも告げれば、満面の笑みになった在原の告白を受け流し、授業の準備に入る。
葛城家と橘家、実に頭が痛いと思ってしまったが、関わってしまったことをない事にはできない。
どう手を打つのが橘誉にとって良い事なのか、じっくりと話し合う時間を作らなければならないと、黒板を眺めながらそう思った。