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案内されたのは、畳廊下がある座敷だ。
私を呼んだのはどうやら蘇芳兄上のようだ。
「瑞姫です」
襖の前で声を掛ければ、入ってくるようにと中から声が上がる。
「失礼いたします」
一声かけて障子を開け、中に入る。
私の後に疾風が続き、そうして障子をきっちり閉めて顔を上げれば、ひどく納得してしまった。
上座に座る蘇芳兄上、入口側に座した橘誉。
そうして蘇芳兄上の正面に姿勢を正して座るのは、葛城美沙であった。
橘とは蘇芳兄上を挟んでの対面側に疾風と共に座ると、客人である葛城の郎女に軽く会釈する。
蘇芳兄上は泰然と座って私たちが落ち着くのを待っている。
家族内での評価は、落ち着きが足りないと非常に残念なことになっている蘇芳兄上だが、対外的な評価は実はかなり高い。
身内なだけに容赦ない評価をしているのだろうと思う。そう、思いたい。
まあ、実際、理数系では突出した能力を持ち、プログラミングを得意としていた蘇芳兄上は、大学時代に会社を興してセキュリティ関連の事業を行っている。
若き社長として柾兄上と比較しても遜色ない評価を業界では得ているのだ。
対外的な面を取り繕えているだけマシだろうと御祖父様も仰っているし。
つまり、今、ここに座っている蘇芳兄上は有能な社長を演じているわけだ。
茉莉姉上や菊花姉上が居たら、ぷぷっと吹き出しているかもしれないな。
表情を変えずに端然と佇む兄上は、普段と違って威厳めいたものがある。
しかも、郎女の美貌を前にして興味を覚えた様子もない。
このブレなさ加減が確かに相良の血だと納得してしまう。
私たちが落ち着いたところで、葛城の郎女が座していた座布団からすっと降り、畳に手をついて頭を下げた。
動き、姿勢、そのどれをとっても完璧なまでに美しい。
彼女に作法を教えた者は、かなりの技量を持っているのだろう。
何故かそんなところに感心してしまう。
「お忙しい中、突然の来訪に対応いただき感謝いたします」
揺るぎない声で口上を述べる彼女にいささか驚く。
今、予告なしに押しかけたって言わなかったか?
「生憎と当主も父も兄も出払っていて、客人の対応をするのが私で申し訳ない。用件次第では当主の居る本社の方にご案内申し上げよう」
ゆったりとした口調で応じる蘇芳兄上。
「有り難う存じます。こちらに参るのが筋というものですから」
対する郎女も動じず、淡々と言葉を紡いでいる。
蘇芳兄上の皮肉に気付いているのかいないのか、その面からは読み取れない。
「まずは相良様に葛城一族を代表いたしまして御礼を申し上げます」
深々と一礼。
「顔を上げられよ。葛城家から礼を受ける覚えは全くないのだが」
わかっていながらすっとぼける兄上に橘が苦笑を浮かべる。
相良が受け入れたのは、橘誉個人だ。
橘家の次期当主でも、葛城家の当主でもない。
しかも、橘誉本人からの礼の言葉を受け取っているので、他家からの礼など必要ない。
これが我々相良の建前だ。
「いえ。我が君……誉さまは、我が一族にとって大切な御方。橘姓を名乗り、当主夫人でいらした由美子さまの庇護を受けていらしても、葛城の当主であることには変わりございません。しかも、由美子さまが鬼籍に入られてからの橘家の対応は到底許せるものではございません。お迎えにあがらねばと準備をしておりましたが、相良様の御温情を賜り、こちらへ身を寄せたと知らせが入り、安堵した次第にございます」
葛城美沙の言葉で、やはり葛城は橘を迎えに来たのだと知る。
だが、本拠地に連れ帰るという意味ではなさそうなところに首を傾げそうになる。
「このご恩に報いるべく参りました」
「さて。葛城殿は何やら誤解をなされているようだ」
あくまでとぼける気でいる蘇芳兄上。
それはそうだろう。
葛城家からの礼など、不安しか感じない。
常識はずれで桁外れなモノを用意してきているようで。
勘違いだ誤解だと言って誤魔化して有耶無耶にしてしまいたいというのが本音だ。
例えて言うなら、1000円のランチを奢ったら、10億円相当の金塊をお礼だと持ってくるようなものだ。
葛城家にとって直系の男子というのはそれくらいの価値がある。
だからこそ、その男子が何者かに恩を受けたというのであれば、全力でもって礼をし、その恩義に報いようと考えるのだろう。
はっきり言って、傍迷惑だ。
友の窮地を救うというのに他家からの礼はいらない。
本人からの感謝の言葉で充分酬いられるのだ。
それを踏み躙るような真似をするのであれば、受けて立とうと蘇芳兄上なら言いそうだ。
受けて立つのはいいけれど、他家と違って葛城家は徹底的に微塵に破砕するまで潰さないと、後が面倒そうだ。
図太く復活するのは当たり前だが、以前よりも遥かに力をつけて来そうな予感がするし。
その辺りを考慮して判断していただけるとありがたいと思うぞ、蘇芳兄上。
とぼける蘇芳兄上と無表情の私に、攻め入る足がかりを見いだせないのか、葛城美沙がゆったりと瞬きを繰り返す。
「……誤解、と申されますか?」
「誤解だろう。瑞姫の友人を家に誘っただけだ。よければ遊びにおいで、と。学生時代にはよくあることではないかな?」
まあ、あると思いますけど。
でも兄上、それは初等部の子供達の間での交流ではないでしょうか? 未成年という点では似たようなものかもしれませんが。
確認するように郎女が私と橘に視線を向ける。
そうだと答えるために、頷いてみせる。
長期休暇などで別荘に招待するといったことが一般的な四族では、こういったことは特別珍しい事ではない。
お誘いし、応じてくれた方を丁重にもてなすのもまた楽しいことだと訓えられる。
「確かに。そのようですわね。そのお心遣いで誉さまのお心が救われたのも事実。葛城がそのことを安堵し、嬉しく思ったのもまた事実」
嫣然と微笑んだ葛城美沙は、真顔に戻る。
「ですが、この恩義を金銭に換えてしまってはかえって相良様を侮辱することにもなりかねないということも承知しております。人への恩は人が返すもの。それゆえ、わたくしが参りました。葛城が持つ人脈をどうぞ、ご存分にお使いくださいませ」
「………………断る」
深々と溜息を吐いた蘇芳兄上が、実に面倒臭そうに一言で断ち切ってしまった。
「なにゆえに?」
葛城家が持つネットワークは確かに物凄いものがある。
土着の一族と言いながらも、その人脈はそれこそ蜘蛛の巣のようにあちこちに張り巡らされていると聞く。
それを考えもせずに断るとは思わなかったのだろう。
意外そうな表情を浮かべ、郎女は問いかける。
「伝手を使うにも、その相手との信頼関係が強固でないと難しい。相良は、葛城家に対してまったく信頼関係を築いていない。そんな相手の人脈を使うことはありえない」
「では、我が一族に瑞姫様をくださいませ。常々、我が葛城は瑞姫様を一族にお迎えしたいと思っておりました」
「それも断る。瑞姫も、他の兄弟もそちらへ渡すことはない」
「瑞姫様のお考えはいかがでしょう?」
郎女の視線が私の方へ向けられる。
「私はモノではない。欲しいからくれと言われて頷けないだろう」
「瑞姫の言う通りだ。葛城さん? 全く関係ない方に横から恩がどうのとか、人脈を使えだの言われて断れば、今度は瑞姫を寄越せって随分自分勝手な理論だね」
それまで黙っていた橘が、不快げな表情で言葉を挟む。
葛城美沙は、『葛城さん』と呼ばれたうえに関係ないと言われたショックで顔色を変える。
「我が君」
「その呼ばれ方、とても不愉快だ。俺は葛城家の人間じゃない。橘家の人間だ。今まで親族だと名乗りもせずに、義母が死して後にいきなり俺を所有物のように扱う態度が気に入らないと言わせてもらってもいいかな? 俺の母も葛城の人間じゃなかった。別の家の娘として、父の子を産んだ。つまり、どう考えても葛城の名前は出てこない。母と祖母も縁を切っているようだしね」
「それには理由がございます!」
「俺は一切聞いていない。そんな理由なんて、理由でも何でもないということだ。迷惑だから帰ってもらえないかな」
「誉さま!」
橘からの拒絶は、流石の葛城美沙でも堪えたのだろう。
完全に色を失っていた。
「まあ、次期殿。そこまで無碍にせずともよいだろう」
いささか言い過ぎだと思ったのか、蘇芳兄上が軽く窘める。
「ですが」
「信頼関係を急遽築くために相応の人質を取るというのは、よくある話だ」
いつの時代の話ですか。
人質と言いますか、私を。
確かにそうだと言えますけど。
私を葛城に迎え入れるというのは、相良にとっても、橘にとっても『人質』になる。
どんなに礼を尽くすと言っても、そういう風にしか捉えられない。
それは表向きで、裏というか本音では別の思惑が葛城にはありそうだとも見て取れる。
こう言う場合は自分を餌にする気にはなれないが。
「だが、そういう話に持っていく場合、悪手を打っているように見せかけて引っ掛けをするという手法もある」
「え?」
「ま、確認とかもそのうちの1つだ。瑞姫が相良や次期殿の弱点かどうかを探るという手も考えられるだろう?」
にやにやと笑う蘇芳兄上は、そう言うことで葛城美沙に釘をさす。
揺さ振りをかけようとしても無駄であると。
「見破られてしまいましたか」
肩をすくめた美女は、仕方なさそうな微笑みを浮かべる。
「当主の許へではなく、本家に来たのだから、思惑があると考えるのが妥当だろう」
「確かに。ですが、瑞姫様が欲しいというのも一族の本心ですのよ?」
「一致して、ではあるまい」
「否定はできませんわね。相良様の気性を知ることもわたくしの役目でしたから、充分に果たせましたわ。それでは、本題に入りますわね」
にこやかに笑顔を作り上げた郎女は、背筋を伸ばして橘に視線を向けた。




