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「ああああああああっ あのっ!! すみませんっ!! ゴカイなんです!! すみません、相良先輩っ!!」

 教室へと飛び込んできた少女は、コメツキバッタのようにやはりものすごい勢いで頭を何度も下げる。

「ホントにゴカイなんです!! いや、ゴカイじゃないんですけど、やっぱりゴカイなんです」

 意味不明の言葉を口にしているが、一生懸命だということだけはわかった。

 あまりの暴挙に注意をしようとした生徒たちが、微妙すぎるほど生温かい視線で彼女を眺めている。

「そんなつもりじゃなかったんです! 分不相応なのはしっかりくっきり理解してますし! 何より並んでる自分が許せませんし」

「……ええっと。安倍の姫? 何を仰いたいのかよくわからないのだけど」

 そう言っても多分、いいと思う。

「だからっ!! ええっと、あのぅ……噂、お聞きになられましたよね?」

「先程から蔓延している噂なら。諏訪と安倍の姫の婚約というものと、諏訪と大神が道ならぬ恋に身を投じたというものだね」

「ううっ すみません。ついうっかり落としちゃって……」

 耐えきれないとばかりにふらりと床に座り込んだ安倍彬は、がっくりと肩を落とす。

「図書室でついうっかりストーリーを書いてたノートを落としちゃって、誰かが中身を読んだのかはわかりませんが、いつの間にかそういう噂が広がっちゃったのと、父が諏訪の援助を申し出た条件が婚約というものだったので……」

「婚姻を理由に援助をするというのは、政略婚ではよくある話だな。誤解も何もないだろう」

「ですが、諏訪先輩は……」

「君が何を思ったのかは知らないが、私と諏訪は無関係だ。それこそ婚約はありえない。何も気にする必要はないが」

 そう告げて、もう一方の件については言葉を濁そうとしたが、じっと安倍彬がこちらを見上げているので居心地が悪くなってしまう。

「それから、もう一つの件だが、ノートを落としたのは君の失態だが、君がノートに何を書こうともそれは君の自由だろう。他人のノートを理由があろうとなかろうと、本人に断りなく読み、その内容を広めたという人物がいたとしたら、その人の品位を疑うけれど」

「……え?」

「まあ、実際、君が書いた内容が、本当に噂通りのことなら、少々軽率だと思うけれどね。実際に存在する人物での事実に反する物語を書くというのは、やはり本人の許可がなくては駄目なのではないかと思うよ」

「うっ そ、それは……」

 確かにまずいと表情豊かに感情を浮かべてしまった安倍彬の視線が泳ぐ。

「とりあえず、君が原因となったことに関しての責任は、やはり取るべきだと思うよ。誰が君のノートを勝手に読んで、その中身を広めたのかということに関しても」

「う。はい」

 素直に頷いた1年生は、私を縋るように見上げる。

「あのっ! 諏訪先輩は、仮の婚約者なんです。私が二十歳を迎えるまでは、口約束ということで、それまでに援助した額を返済できればこの話はなかったことになるんです」

 ちょっと待て。

 それは契約の内容じゃないのか?

 簡単に言っては駄目だろう!

 そう思うと同時に、安倍と諏訪の思惑がかすかに読み取れた。

 安倍家は神の系譜である諏訪家の内部情報が欲しいのだろう。

 彼女が本当に諏訪伊織と婚姻するかは問題ではなく、その口約束をしている間に神職を司る諏訪の情報を手に入れようとしている可能性が高い。

 それを知ってというよりは、逆に餌にして焚き付け、譲歩を引き出したのは御隠居様だろう。

「諏訪先輩は、私が二十歳になる前にすべてを終わらせると仰いました。だから、ゴカイじゃないんですけど、やっぱりゴカイなんです」

 八雲兄上と菊花姉上が心配していたのは、おそらく諏訪が私のところへ出現するということだったのか。

 だが、実際は現れなかった。

 これが意味することは、明白だ。

 諏訪は口約束のままにするつもりなのだろう。

 立て直して、すべてを数年内に終わらせる決心をしたということだ。

 ようやく、本気になったということか。

 これは手強くなるな。

 今まであったアドバンテージがひっくり返るということになる。

「だから、あの……」

「君が何を言いたいのかわからないが、私から言うべきことはもう何もないな」

「え、でも……」

「教室に戻りなさい。ここは2年の教室だ。君がいていい場所ではないことはわかっているね?」

 そう諭せば、ようやく彼女は自分の立ち位置に気が付いたようだ。

「うわっ!! すみません! ごめんなさい!!」

 周囲に慌てて謝り倒すと、あちこちから苦笑が漏れる。

「あのっ!! 相良先輩、ひとつ伺ってもよろしいですか?」

 教室の外へと出た少女は、こちらを振り返って問いかけてくる。

「何か?」

「岡部先輩と橘先輩、どちらがお好きですか?」

「それは、君には関係ないことだね」

 私が答えるよりも早く、安倍彬の背後から穏やかな声が響いた。

「あ。橘先輩」

 声の主の名を呟く彼女に、私は思わず疾風と顔を見合わせる。

 呑気なというより、豪胆だ。

 あの穏やかそうな声音とは裏腹に、思いっきり怒ってるぞ。

「俺と岡部と瑞姫は友人だ。それ以上でもそれ以下でもない。勝手な憶測でものを言うのはやめてもらおうか」

 笑顔なのに、確かに笑みを浮かべているはずなのに、ものすごく怒っている。

 何故だろう。

 怒られているのは私ではないはずなのに、この場から逃げ出したいなんて思うのは。

「え? でも……」

「はっきり言うよ。迷惑だ」

 橘がここまで怒るようなことを彼女が何かやらかしたのだろうか。

「うちのクラスの生徒が君の姿を目撃している。俺や瑞姫たちの姿を追っているとね」

 どうやら裏は取れた後での発言のようだ。

 思い当たる節があるらしい安倍彬は、しまったと言いたげな表情を浮かべている。

 そうして、橘が怒っている理由にも思い当たる。

 橘家の事情と今の彼の事情が絡んでいるからだ。

 相良に迷惑がかかることを気にしているのだろう。

「どういう理由であろうとも、今後一切俺達に近付くな。特に瑞姫に近付くような真似をすれば、しかるべき手を打つ」

「はあ?」

 意味がわかっていないらしい少女は、きょとんとした表情で橘を見上げる。

「えっと、あの……」

「幼気なお嬢さん? あなたがしていることは御自分の家を貶めるようなことだと理解していて?」

 彼女が問いかける前に、新たな声がかかる。

 初めて聞く声だ。

 橘の後ろから女子生徒がひとり、現れる。

 見たことのない顔だ。

 それも当たり前かもしれない。

 彼女が来ている制服はとても真新しいものだからだ。

 所謂転校生というものなのだろう。

「は? 家を?」

「お判りでない? 隠れて他家の令息の様子を窺うなど、品位に欠けるのはもちろんですけれど、それ以上に他意があると捉えられて抗議を申し入れられても仕方がないことですのよ」

「は!?」

「そうなれば、安倍家としても放っておくわけにはいきませんから、あなたを退学させて婚約が調ったからと誕生日と共に華燭の儀ということにもなりかねませんわ」

 丁寧に説明しているその表情はとても静かだ。

 顔立ち、醸し出す雰囲気はとても学生とは思えないほど妖艶ではあるが。

 瑞姫さんや義姉上が喜びそうな美女だろう。

「ナニソレ!?」

「そうせざるを得ないほど拙いことをあなたはなさっていらっしゃるのよ」

 きっちりと指摘した後、嫣然と微笑む。

「そうならないように忠告される我が君のお優しいお言葉に従い、二度とこのような真似をなさらないことね」

 ん? 『我が君』?

 気になる一言に、思わず橘に視線を向けると、橘の表情がわずかに歪む。

「さあ、お行きなさいな。そして、決して他者に要らぬ興味を持たぬこと。それがあなたの身のためよ」

 橘とよく似た笑顔で安倍彬を追い払う。

 何となく、何となく、この女性の正体がわかったような気がした。




「皆さま、場をお騒がせしたこと、お許しくださいませ」

 廊下から教室の中へ凛とした声音で挨拶をする美女。

 本来なら美少女というべきところだろうが、どう見ても大人びているため少女というイメージではない。

 その美女がひたりと私に視線をあてた。

 そうして、とろりと艶やかに微笑む。

 男子生徒の大半がその笑みにうっとりと溜息を吐いた。


 なるほど。

 橘と同じ『色気駄々漏れ』状態なのだな。

 これだけの美人となれば、笑顔だけでもかなりの威力だ。

 姉上たちと似ているようで異なる美女ぶりだ。


 艶やかな笑みを湛えた人は、胸の前で両手を軽く握り、私に向かって頭を下げる。

「はじめまして、相良の姫君。わたくしは葛城美沙と申します。どうぞ、お見知りおきくださいませ」

「御機嫌よう、葛城の郎女。相良瑞姫です」

 葛城美沙という名前に聞き覚えがある。

 わずかばかりの噂だ。

 橘の祖母である葛城の大巫女の後継と言われる娘だ。

 大巫女が先見の巫女なら、彼女は真眼の巫女と呼ばれている。

 何でも真実を見抜く力があるそうだ。噂の範囲でしかない情報ゆえに真実かどうかはわからないが。

「……わたくしを、御存知でしたか」

 うっすらと葛城美沙が笑みの種類を変えた。

 満足そうな笑みだ。

「それなら話が早くて済みますわ。わたくし、我が君のお側に侍るために参りましたの」

「それは、拒否したはずだ!」

 橘が素早く声を挟む。

「いくら我が君の命でもこればかりは聞けませんわ。我が一族にとってこれ以上ない大切な御方ですもの」

 さらりと流した葛城美沙は、私をまっすぐに見る。

「相良様、どうぞよろしくお願いいたします」

 ゆるりとした動作でもう一度頭を下げると、その場から離れる。

 舞踊の名手と言っても差し支えないほどしなやかで典雅な動作だ。

「……葛城、か……」

 土着の一族が、上位の姫をこちらに送ってくるとは思わなかった。

「瑞姫」

 心配そうな表情で疾風が見つめてくる。

「さて、どう打ってくるか」

 事態が混迷していくような気がして、わずかに頭痛を覚えた。

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