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 ノックをして、返事があって、ドアを開ける。

 ごく当たり前な手順を踏んだと思う。

 扉を開けて、目の前に広がった光景に見なかったことにして扉を閉めようかと思った。


 重傷とはいえ、ベッドをリクライニングさせて上体を起こせるまでに回復した斗織様の横に座っていらっしゃったのは、ご隠居様。

 憮然とした表情の斗織様と、嬉々とした御様子のご隠居様。

 ここまではいい。ここまでは。

 あまりよくないが、大した問題ではないだろう。

 問題なのは、ご隠居様が手にしているモノと、キャスター付きの簡易テーブルの上に積まれたモノだ。

「おお、瑞姫ちゃん。来てくれたのかい? ありがとう」

 にこにこと上機嫌のご隠居様が手招きする。

 見舞いに来た客に対する親族の対応としては、フレンドリーだが相手が私であるため許容範囲だろう。

「いえ。当然のことですから」

 私が入院していた時に、斗織様も見舞いに来てくださっていたということは桧垣先生から聞いたことがある。

 礼儀としては当然だと思う。

 だが、ご隠居様の手許から視線が外せない。

「どうだい? 1つ、食べないか?」

 にこやかに笑うご隠居様がテーブルの上を示す。

 しょりしょりと小気味良い音を立て、皮をむいて作り上げたそれをさらにテーブルのそれらの山に積み上げる。

 実に見事だ。

 手捌きというか、包丁捌きと言うか、そうして積み上げられたそれらの出来栄えも。

 趣味でフルーツカービングでも習っていらしたのだろうか。

 しかしながら定番とはいえ、何故すべてうささんりんごなのだろうか。

 70代のご老人が、40代の息子とはいえ男性に、何故うささんりんごをむいているのだろうか。

 私の後ろに立つ疾風は、見たくないモノを見てしまったせいか、固まってしまっている気配がする。

「ご隠居様? ひとつ、お尋ねしますが。なぜ、兎の形なのでしょうか」

「……定番だろ?」

 そうですか。

 嫌がらせですか。

 兎をむいていたのが大刀自様なら、実に温かな心和む穏やかな家族の風景になるのに、ご隠居様だと大きな悪戯っ子が悪巧みをしているようにしか見えないのは何故だろう。

「そうですか」

 ここでこれ以上突っ込む度胸は、今の私にはない。

 瑞姫さんなら違う対応もあるだろうが。

「瑞姫ちゃん、約束通りに蹴り上げに来てくれたんだ」

「御冗談を」

 傷を負った身とはいえ、正式に武道を習得している私が、重傷者と言われている斗織様の傷口を蹴り上げれば冗談でなく鼓動は止まってしまう。

 私たちが修練しているのは、スポーツのようにルールに則って行うものではなく、確実に相手を仕留めるためのものだ。

 おイタをしないように止めるために、心臓止めてどうするおつもりなのか、そこのところをお尋ねしたいと思う。

 大刀自様がご存命なら、激怒されることだろう。

 まあ、今からすることは確かに蹴り上げるようなものだけど。

 どちらかと言うと、抉る方かもしれないが。

「ああ。先程、諏訪当主より相良瑞姫へ婚姻の申し込みがございましたので、お断り申し上げました。この事実は覆りません」

 表情を変えず、淡々と告げれば、ご隠居様も斗織様も顔を顰めた。

「あの莫迦……自分の立場、理解しろよ。ごめんな、瑞姫ちゃん」

「誠に申し訳ない。時期を測れぬ愚かな息子だが、根は純粋な子だ。気持ちに偽りはないというところだけ酌んでやってくれないか? 勿論、必ず諦めるよう言い含める」

「斗織様、その必要はございません。相良の事情を説明いたしましたので、納得していただけましたから」

「……そうか」

 斗織様の視線が泳ぐ。

「そりゃあ、ばっきり心が折れたなぁ、伊織のやつ。自業自得だけどな」

 所詮他人事とばかりにご隠居が笑う。

 ご隠居様に情がないわけではない。

 むしろ、情に厚い方だからこそ、他人事のような態度を取られるのだろう。

 こう言った感情は、他の人に同情されて嬉しいようなものではないとご存知だからだろう。

 ご隠居様はともかく、この状況を作り出した責任の一端は斗織様にある。

 ならばきっちりと責任を取ってもらうのが筋だろう。

「申し訳ございません。お見舞いの花を持ってきたのですが……」

 手にしていた花束を斗織様が見やすいように差し出す。

「……薔子!?」

 その花束を見た斗織様が、低く叫んで咳き込んだ。


 私が手にしていたのは、本来ならば見舞用の花として忌避される白薔薇だった。

 通常、見舞い用としては白薔薇は幾重もの意味で敬遠される。

 白は喪を意味し、また、棘のある植物であることはもとより、薔薇は病に罹りやすいとしても避けられる。

 色彩、種類さまざまな花を用意しての花束であるならば、彩の1つとして受け入れられるが、白薔薇だけの花束は見舞いではありえない。

 その禁忌を侵して、あえて白薔薇だけの花束を作らせたのはわけがある。

 斗織様の婚約者であった薔子様は、その名の通り、花の中でもとりわけ薔薇がお好きで、さらに白を好まれたという。

 赤を好まれた律子様とはそこは対称的だ。


 咳き込んだことでさらに傷が痛み、相当に消耗されただろう斗織様は、ぐったりとしながらも花束から視線を逸らさなかった。


「……君は、すべてを知っているんだな」

 枯れ声で呟いた斗織様の表情は、何故かほっとしたものであった。

「いいえ。すべてではありません。確証のない推察でしょう、おそらく」

「白薔薇に辿り着いただけでも、畏れ入る。さすがは相良家の姫だ」

「いえ。私ではなく、私に手を貸してくれる友人たちのおかげです」

 そう訂正をし、まっすぐに斗織様を見据える。

「あなたは、今まで行ってきたことを、この白薔薇に向かって胸を張って言えますか? 我が子の養育、教育を放棄し、その子の晴れ舞台を台無しにし、一歩間違えれば死に追いやったかもしれないと、そう白薔薇に言えますか?」

「私はっ!!」

「あなたが何を思おうが、それが傍から見た事実です。企業体としての諏訪を牽引してきた手腕はある程度の評価を受ける事でしょう。ですが、父親としてはいかがなものですか? 守るためと称し、珂織様を手放し、伊織様を無視してきた事実は消せません。先程、伊織様は私にこう言いました。『俺のことは、どう思った? 死亡した女性の卵子から生まれた俺は』と。故意に作り出された不自然な生命体という認識を彼はしてしまったということです。律子様への嫌がらせの為に自分は生まれた、それ以外の価値はないのだろうと。あなたが、そう思わせた」

「伊織が……」

「詩織様に依存したのは、本来母親から与えられるはずの愛情を注がれなかったため、その代わりが欲しかったのだと、以前、そのように仰ったこともありました。では、父親は?」

 私の言葉に、斗織様は表情を強張らせたまま、何も言えずにいる。

「父親として、あなたは彼に何をしてあげたのですか? 白薔薇の方の子という認識以外で我が子と思ったことはあるのですか?」

 失礼な言い草だと自分でも思う。

 だが、そこまで言わなければ斗織様は気付かれないだろう。

 諏訪は自分のことを必要とされていない子供だと信じているということに。

 自分が父親がしでかしたことで殺されていたかもしれないということには気づいていない。

 しかしながら、薔子様の卵子がある限り、代理母を立てて幾人でも諏訪の子が産まれるということに気付いてしまった。

 自分でなくても、もっと優秀な子供を選んで作り出すことが可能なのだと知ってしまった。

 それに対して、斗織様は自分がしたことの重大さに全く気が付いていなかったのだ。

 最愛の人と自分との間にできた大事な跡取り息子だと思っていることはわかる。

 だからこそ、諏訪の後に他の子供を作ろうとはしなかった。

 完全な擦れ違い。

 この点で責があるのは伊織の方ではなく、斗織様の方だ。

 私が言いたいことの意味がわかったのだろう。

 斗織様の顔色は蒼白だ。

「違う、私は……」

「このような事態を引き起こしたことに、白薔薇の方はよくやったと微笑んでくださるような方ですか?」

「私は、赦せなかった。薔子を奪った律子が」

「あなたは証拠を手に入れていたのでしょう? それをそのまま警察に引き渡せば、それですべて治まるはずです。伊織様のことは、登録されている代理母候補の方にお願いすればよいだけ。そうすれば伊織様だけでなく珂織様も手許で育てることができた。万事旨くいく方法がありながら、あなたはそれをしなかった。現在、諏訪家が置かれている状況の殆どはあなたが原因です」

「あの女に復讐したいと思って何が悪い!?」

「復讐したければ、あの時点で律子様の目の前で自殺なさればよかった。これ以上ない復讐でしょう?」

 手に入れるために策を弄したものが目の前で消え去ることほど、彼女の矜持を傷付けるものはないだろう。

 犯罪に手を染めたとわかった時点で、それが例え法の下では軽微な罪だと見做されなくても、四族に名を連ねている生家では彼女の存在を抹消するだろう。

 刑期を終え、塀の外に出た瞬間に、彼女の生家は彼女を屋敷奥へ捕え、朽ち果てるまでそれこそ一生、表に出さないだろう。

 斗織様がしてきたことは、そのほとんどが無意味なことだと言える。

 ただの悪趣味な自己満足と言う人もいるかもしれない。

 生餌を甚振って楽しんでも、それは自分の内側だけのことで、傍からは何もわからない。

 それよりもきちんと罪を暴いて、亡くなった方の名誉回復をしたほうがいい。

 圧力かけての病死など、理由を晒しているようなものだ。

 真実だろうと思われる憶測で冒涜されるより、事実を明らかにした方が傷は小さい。

 決して彼女に非はないと堂々と言えるからだ。

 それを伝えるための痛みは確かにあるが、無い罪を捏造されるよりはいい。

「しかし、あなたはそれをしなかった。生を選んだあなたは、天寿まで生き抜かなければならない。己がしでかしたことを悔やんでも」

「それは」

「これから先、伊織様が受ける悪意や嘲笑をあなたが庇うことは赦されません。白薔薇の方が命を賭して守ろうとしたものを踏み躙ってしまったあなたへの罰でしょう、それが」

 当主であるなら、先をすべて見通して行動しなければならない。

 感情のままに動いてしまった斗織様はこれからそのツケを払うことになるだろう。

 白薔薇の花束を斗織様の膝に乗せ、私はご隠居に視線を向ける。

「……これで、よろしかったのですか。ご隠居様?」

 これまでのことがご隠居様の指図だとわかるように、問いかける。

「ああ。見事な蹴りだな。どっちかっつーと抉った系?」

 ゆったりとご隠居様が笑う。

「お褒めにあずかり、光栄です。では、覚悟はよろしいですか?」

 八雲兄上とよく似ているという顔で、私は笑う。

「まさか、ここで終わりだとは思っていらっしゃいませんよね?」

 にこやかと言ってもいいほどの笑顔を作って告げる私に、疾風が書類を手渡してくれる。

「さあ、次はご隠居様の番です」

 覚悟してくださいね、と、書類を見せれば、ご隠居様の笑みが崩れた。

今年最後の更新です。

皆様、よいお年をお迎えください。

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