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収納式のドアをスライドさせて部屋に入る。
最近の病室では、この収納式スライドドアというのが定番になっているが、ドアを開ける際、若干力が必要だ。
体力及び筋力が落ちた病人や車いすの人がドアを開けるのには少し不向きではなかろうか。
それとも介助者がいるという想定で……いや、それはないな。
特別室は考えられるが、一般病棟ではそういった考慮はされていないはず。
うん。これは考える余地があるな。
ドアについての考察はあとにしておいて、挨拶を口にする。
「気分が優れないところを申し訳ないが」
「さ、相良っ!?」
ベッドで横になっていた諏訪伊織が慌てて起き上がり、そうして呻き声をあげて再びベッドに崩れるように倒れ込む。
自業自得だ。
同情はしない。何故なら、本当に軽傷だからだ。
刺されたのは左脇腹で、幅2cm程度、深さ1cm程度。
内臓とは全く関係のない場所で、脂肪に到達するくらいの深さと言えば、何となく想像がつくだろう。
ナイフは先端に向かって尖っている。
つまり、一番深い場所がナイフの先端であるから、他はさほど深く切れていないのだ。
縫わなくてもいいとても小さな傷だ。
あえて縫うなら1針で充分だし、この程度なら、きっちり消毒した後、サージカルテープを貼るという処置でも構わない。
もちろん、刺されたのだから痛みはあるが、普通であれば入院などはしないだろう。
相良や岡部の人間なら、稽古中によくやる怪我の範囲だ。
痛みに慣れていない者にとっては充分痛いのかもしれないが。
「真っ直ぐに起き上がるからだ。痛みがあるときは横に転がるように体を丸めて起き上がれ。そう説明されただろう?」
「…………された……」
ぐったりとしながら唸るように返事する。
「そのまま横になっていて構わない。怪我人なのだから、安静にしているべきだろう」
そう告げて、テーブルの上に紙袋を置く。
仄かに甘いカカオの香り。
「……それは?」
「見舞いの品だ。甘いモノ、特にショコラが好きなのだろう?」
「もしかして、相良のて……」
「うちのパティシエの知り合いに高名なショコラティエがいるということで、お願いをしたものだ」
「……そうですか……」
何故か先程よりもぐったりとして、さらに哀愁まで漂わせた諏訪が力なく頷く。
諏訪伊織が甘いモノ、特にショコラを好むというのは、わりと一部では有名な話だ。
ハロウィンの周辺やヴァレンタインなどが近づくとそわそわしている姿がよく目撃されている。
なので特別に用意してもらったのだが、食事制限でもあるのだろうか。
そんな話は聞いていないから、別の理由があるのかもしれない。
まあ、いいか。
理由を聞いたところで私にはどうしようもないはずだ。
「ああ、それから。誕生日と当主就任、おめでとう」
私の言葉に、痛みをこらえるように唸っていた諏訪が固まった。
血の気の失せた青白い顔に朱が走る。
なかなかに複雑な顔色だ、器用だな。
「え? 相良?」
「何だ?」
「まさか、知らない、とか……?」
「何について知っているのか、言葉にしてもらえないと答えようがないのだが」
「俺が……」
「あ。もしかして、あのことか……君が律子様の御子でないという……あれなら、以前から薄々そうではないかと思っていた」
「え!?」
「諏訪家は神に仕える者と一族を率いる者、2人の頭を必要とする家だと聞いている。男子を2人産む者が正妻だと、な。律子様には君1人だ。おかしな話だろう? 聞けば、斗織様には律子様ではない婚約者がいらっしゃったと……つまり、正妻はそちらだと考えた」
「それだけのことで!?」
「充分すぎるヒントだと思うが? 君も他家の成り立ちに関しては、ある程度学んでいるだろう? まあ、それに関しては、男児よりも女児の方がより詳しく学ばされるのは当然だが。何しろ、他家へ嫁がねばならぬのに、相手の家に関して何も知らないでは通用しないからな」
「……あ……」
私の言葉に諏訪の表情が目まぐるしく変わる。
「それで、俺のことは、どう思った? 死亡した女性の卵子から生まれた俺は」
「言いたいことの意味がさっぱり分からないな。諏訪は諏訪だろう? 誰から生まれようが、誰の子だろうが、私が知っているのは目の前にいる君だ」
率直すぎる言葉は時に凶器だ。
理解しているが、言わねばならないこともある。
「前当主である諏訪斗織様の御子であり、現当主なのだろう、君は。遺伝子に関しては不可抗力だが、意思がある以上、どうやって生きるか、それを選ぶのは君自身だ。自分自身の意思で選びとって行動している君が私が知る諏訪伊織という人間だ。正直に言えば、相変わらず学ばない男だと思ったが」
「は……え?」
「まだわかっていなかったのか? 君の今回の怪我は、またしても自業自得だろう? 確保を目的とした時間稼ぎを行う時に、相手の視界を動かすような真似をする莫迦がどこにいる!?」
「相良……どういう……」
「……確保を行う者たちが迅速に対象者に近付くために、対象者の視界、意識を一点に向ける。基本だろう。それを出来もしないアクションに持ち込んで混乱に陥れた挙句に怪我するなど、愚かの極みだ。君が怪我を負ったのは、君が愚かな行為に走ったせいなのに、責任は彼らが負うことになるんだぞ!」
「……あ」
ようやくわかったらしい諏訪が目を瞠る。
「その点に関しては斗織様も同罪、いや、遥かに罪は重いな。他殺に見せかけた自殺をしようとしたのだから」
「父が!?」
「君を庇う振りをして自ら刺されたそうだよ。あの男を招き入れたのも、斗織様だけれどね」
「……何故……」
「理由は君が一番よくわかっているだろう? 諏訪の舞台から降りるためだ。後顧の憂いをすべて取り払うために」
私の言葉に諏訪がぐったりとベッドに沈む。
思い当たったことがいくつもあるのだろう。
「……諏訪の立て直しを俺にしろと、そう言っているのか、父は……」
「さて。諏訪家自体に未練を持ってなどいないと思うけれど? 現当主は君だ。君が思うようにすればいい。盛り立てるか、没落するか、解体するか。すべて君の裁量ひとつだ」
「……相良」
ぽつりと諏訪が呟く。
「何だ?」
「頼み……いや、願い、だな。俺の傍にいてほしい」
「何故?」
「俺は、おまえのことが好きだ。それと同時に、俺を導く者としておまえを必要としている」
真っ直ぐに向けられた視線。
それは嘘偽りないと告げている。
「そうか。君の気持ちはわかった。だが、断る」
「諏訪家の当主が正式に申し込んでも、か?」
「ああ。相良家としても決して頷かないな」
「……俺が、加害者だからか?」
「いや。私が『みずき』だからだ」
予想はしていたが、とうとう諏訪がその言葉を口にしたか。
それが『今』ではなく、もう少し先であれば、また違った答えが出ていたかもしれないが。
仮定の話をしても、現実には起こり得ないことだ。
「相良?」
「先程も言ったな? 他家の成り立ちについて学んでいればわかることだ。相良家で『みずき』という名の人間は、外に出ることはない。ましてやそれが『姫』という文字を持つ者なら特に、な」
「姫……」
「そう。姫の文字を崩せば、女と臣だ。諏訪には『ヒメヒコ』と言った方が馴染があるか……」
私が言ったその言葉に思い当たったのか、諏訪の顔色が変わる。
「まさか、おまえも相良の当主なのか!?」
「私はスペアだがな」
ヒメヒコとは、媛彦ともヒミヒコとも言う古代の政治制度のひとつだ。
親を同じくする男女のきょうだいが、治める地を武と農で支配するという二重統治制度だ。
男が武力を女が農耕または政治でその地を支配する。
その男女のきょうだいは、胎が違えば夫婦となったとも言われている。
大和王権以前の統治制度なので、地族である諏訪ならば知っていると思って言ってみたが、正解だったようだ。
「スペア?」
「そうだ。兄が結婚し、子ができれば、私は分家を作ることになるが、兄が死した場合、私が父の後を継いで相良の当主となる。実際のヒメヒコとは異なるが、常に直系の血を継ぐという一族独特のならわしだ。私は相良の名を捨てることはない。よって、他家の次期当主や当主に嫁ぐことはしない」
「それならば」
「当主である者が家を捨て、名を捨てた場合でも、私はその相手には嫁がない。守るべきものがありながら、それを手放す無責任な者に寄せる好意は持っていないからだ」
諏訪の表情が凍りついた。
私が諏訪に嫁ぐことはないと理解できたようだ。
「諏訪。以前、私は君に、君の気持ちは君だけのものだと言ったが、あれは今も有効だ。君が誰を好きであろうと、それは君の自由だ。だが、私の気持ちは私だけのもので、おそらく君を好きになることはないだろう。今の私には恋というものが全くわからない。だから、君の気持ちを察することはできない。これを言えば君が傷つくということはわかるが、正直に答える。これから先、どんな状況になろうとも私は君に応えることはない。そのことについて君に『すまない』とも思わない。私の答えで君がどういう結果を導き出すことにすら興味を持てない」
「……例えば、俺が諏訪を盛り立て、逆に相良を窮地に立たせるような場面に立って、相良を助けるからおまえを寄越せと言えば……」
「相良は『みずき』である私を手放すような真似はしないだろう。その時は、私自身が諏訪、君の首を狩る」
「結局、俺は何の為に」
「自分の為だろう? 自分で考え、自分で選びとった結果はすべて自分の為だ」
誰かのためという考えも、自分が選び取った結果だ。
厳しいようだが、諏訪は時期を見誤った、それだけのことだ。
柾兄上が結婚して子が出来た後、分家を作らなくてもよいという状況を作り上げることができたなら、その時は『みずき』である私でも他家へ嫁ぐという道はあるかもしれない。
その手に気付かなかった諏訪の落ち度だ。
そこを指摘してやるほど私は親切ではない。
「おまえも俺に諦めろと言うのか?」
「言っただろう? 君の気持ちは君のものだ。君自身で選べばいい。そこに私の意思は関係ない」
「……なお悪い。おまえは酷いな」
「この道を選び取ったのは、君自身でもある。君が少しでも他家の事情というものに興味を持てば、私が選ぶ結果に気付いたかもしれないが」
「俺の勉強不足か。紅蓮にも再三言われた」
「いい友だな」
大神は諏訪の欠点を指摘してやるほど、彼に心を砕いているようだ。
それを活かせなかったのは諏訪の問題だ。
「休養が必要だろう。私はこれで失礼する」
それだけを言うと諏訪に背を向ける。
答えはなかった。
嗚咽を殺すような重い気配を感じたが、振り返ることはしなかった。
諏訪がどのような結論を下すのか、それはわからない。
だが、諏訪が結論を出すために、私は今振り返ってはならないことだけはわかっていた。
それが彼を傷付けた者の最低限の礼儀だからだ。
病室を出ると、疾風が心配そうな表情で私を迎える。
「瑞姫」
「……さて。本命への見舞いへ行こうか」
実にややこしい、微妙な状況を作り出した元凶にぜひとも責任を取ってもらわなければ。
疾風の手から花束を受け取ると、隣の病室の扉をノックした。




