119 (大神紅蓮視点)
大神紅蓮視点。
先日の職員会議の結果を受けて、生徒会室で処理を行っていた時だった。
緊急呼び出しのメールの着信音が高らかに鳴り響く。
それも、複数同時に。
「……一体、何が……?」
生徒会長が不思議そうにスマホを取出し、メールを確認する。
それにつられて自分のメールも確認し、思わず立ち上がった。
『緊急
問題発生。
至急、来られたし』
簡素な内容と共に添付された写真は、諏訪伊織と、今、処理を行っていた東條凛が映っていた。
その写真を見ただけで、マズイ状況だとわかる。
東條さんはどうでもいいが、伊織の表情が最悪だ。
諏訪家の人間であるにもかかわらず、嘘がつけない伊織の表情は嫌悪と怒りに満ちている。
早く止めなければ、最悪の状況が待っていることは間違いない。
この場合の最悪というのは、本当に最悪な状況だ。
伊織が下手を打つ時は、大抵、相良さんを巻き込んでいるからだ。
厄介ごとにものすごく好きな子を巻き込んでしまうなんて、どんだけ莫迦なんだと毎回思うけれど、まったく自覚なしの伊織は、毎回のごとく相良さんを被害者にしてしまう。
馬鹿だろうとは思うけれど、フォローはしない。
僕だって、相良さんには非常に興味があるんだ。
親同士が仲が良かったために諏訪家と近しい家として相良家に疎んじられてしまっている現状に不満を抱けるほどに。
確かに、親同士は親友だ。そのため伊織とも幼い頃から親しかった。
だが、それとこれとは別だと思う。
僕は伊織ではない。
相良さんと親しくしたいと思って、そのように行動しても別に咎められるはずがない。
それなのに、相良さんは僕を忌避した。
その理由は、今は理解している。
大神家の跡取りである僕を危険に曝さないためだ。
つまり、彼女の目から見て、僕は自分の身を守れないと判断されたからだ。
実に正しい判断だ。
未だに僕は、自分の身を自分自身の手で守れる程の技量はない。
それは、僕につけられた護衛の仕事だ。
僕にできる事は、手に入れた知識と周囲をつぶさに観察することで、状況や相手の性格や行動を把握し、自分で作り上げたシナリオに沿って動かしていくことだ。
伊織ですら、僕の思う通りに動いてくれる。
だけれども中には全くシナリオと違う行動を取る者たちがいる。
相良さんがその筆頭だ。
彼女の考えは、殆ど読めない。
何も考えていないのではないかと思うほどに、無秩序に感じることもある。
しかし、後から気づけば、恐ろしく繊細なまでに行動を組み立てている。
いきなり巻き込まれたことに対しても、即座に対応できる能力の高さは普通ではない。
伊織は毎回、相良さんを巻き込んでしまっていること自体はおそらく偶然だろう。
だが、巻き込まれた相良さんが悉く瑕疵のない被害者になっているのは、その場面で素早く状況を読み取って自分の優位に動くようにと彼女が己の行動を選び取っているからに違いない。
今回も、もし、伊織と東條凛のいさかいに彼女が巻き込まれたなら、諏訪家も東條家も最悪の事態が待っているだろう。
止めなければならない。
東條家は本当にどうでもいいが、諏訪家に影響が出れば、大神も無傷ではいられない。
そろそろ、父に諏訪家との関係を考えるように進言すべきだろうか。
めまぐるしく考えながらも、無意識に立ち上がり、生徒会室を後にする。
二宮会長が一緒に部屋を出たことは意識の片隅で理解していた。
廊下は走らないと誰でも知っていることだが、今回だけは大目に見てほしい。
急がないと大変なことになるのだから。
そう、自分に言い訳しつつ、写真の場所へと向かう。
予想通りの金切り声、そうして悲鳴。
ようやく見えたその場所で何が起こっているのかといえば、伊織が東條凛を振り払って、彼女が倒れ込んだところだ。
ああ、本当に莫迦だよ、伊織。
これじゃ、彼女が万が一怪我をしていたとしたら、責任逃れができないじゃないか。
舌打ちしたい気持ちで、その場へ向かう気が削がれ、足取りが重くなる。
そうして、深々と溜息を吐きたくなった。
どうして、この場面に出くわすのかな、相良さん。
餌食になりに来たようなものじゃないか。
そう思って、彼女を見てふと、考えが変わった。
これは、彼女にとっての好機なのかもしれない。
余計な者を排除するための、絶好の場面。
だから敢えて現れたのかもしれない。
そうすると、相手は伊織ではない。
諏訪も大神も命拾いしたようだ。
だが、排除するのは東條家の他にどこだろう?
たかだか東條家だけを排除するために、彼女がわざわざ動くわけがない。
余計な争いを好まない彼女は、今まで東條凛から姿を隠していたのが証拠だ。
様子を見つつ、便乗するのが得策だろう。
動いたからには、この手の便乗を見越しているに違いない。
一体、どの家を排するつもりなのかと思いつつ、騒ぎを眺めている生徒たちの中に意外な人物がいることに気付いた。
生徒会、会計。
3年の松平美奈子先輩だ。
相良さん信奉者としても有名だ。
前生徒会長に、相良さんを今期生徒会役員に入れたいという話を聞いて、会計に立候補した数字の勇者。
進路としては、特に親の言うとおりに動かねばならない立場ではないため、数学者になりたいと夢を語る理数系好きの先輩だ。
彼女が何故、そこにいるのか。
考えるだけ愚かしい。
相良さんがそこに遭遇すると予測したからだ。
おそらく、松平先輩が緊急メールの送り主だろう。
間違いなく、そうだ。
今現在、松平先輩が何をしているのかというと、スマホで動画を撮っている。
彼女一人だけが、そこにいる生徒たちとは違う動きをしているので、一目瞭然というやつだろう。
証拠写真ならぬ証拠動画を撮って、何かあった時のための対応と考えているんだろうな。
松平先輩にとって、諏訪は悪き敵であり、東條さんは忌々しい毛虫なのだそうだ。
つまり、東條さんの位置づけは、目障りだけれど踏み潰せば済む不様な存在らしい。
四族と葉族の差が歴然とした感想だ。
松平家にとって、格上の諏訪家は如何ともしがたい存在で、相良家が事を構えない間は静観する立場を貫かねばならないところがもどかしいのだろう。
変わり者と評判の松平先輩が、殆ど興味すら抱かない生徒会に入ったのは、相良さんを陰ながらサポートするためだと思う。
相良さんが生徒会入りをするかどうかは問題ではない。入りたくないのなら周囲を徹底妨害し、入るのなら負担がないようにと心配りするためのものだったようだ。
前生徒会長が相良さんに生徒会入りを打診するために日参しようとして、全学年の女子生徒から妨害されたというあの大混乱の裏側には松平先輩の姿があったと言われている。
おそらくは、彼女一人ではないだろうが、裏側から扇動したひとりであることは確かだ。
相良さんが、あそこまで支持されるのは、何も彼女の呼び名になっている『王子様』という容姿のせいではないだろう。
すべてにおいて完璧であろうと努力する人だからだと思う。
努力している姿は見たことがない。
すべてを淡々とこなし、それが人並み以上というよりも完璧に近いという状態に持っていける完成度は、才能だけでは足りないことを僕たちは知っている。
ここはそういう学園だからだ。
常に人より優れていることを求められる。
そこで上位にいる、しかも普段からすべてにおいてという異常性は、普通に考えれば想像を絶する努力をしているということだ。
もちろん、それを本人が努力していると思っていないのかもしれない。
穏やかでゆったりとした性格で、他人を優先させる余裕があるというのは、なかなかもって難しい。
だからこそ、彼女を尊敬する人間は多い。
松平先輩もそのひとりということだ。
僕が松平先輩の姿に気を取られている間に、多少話は進んだようだ。
演技ともいえない芝居じみた様子を見せる東條さんとは対照的に、相良さんは落ち着いていた。
そう。落ち着いて、彼女を煽っていた。
その間、伊織は失言を繰り返し、そうして呆然と彼女の動きを見守っている。
きっとあの伊織の様子を失言大王とか木偶の坊とか言うんだろうな。
救いようもない。
そんな彼の目の前で、東條さんに相良さんが突き飛ばされた。
ああ、上手いな。
あれを見た瞬間、そう思った。
女の子に突き飛ばされたくらいで、体勢を崩すような相良さんじゃない。
巧妙に立ち位置を変え、触れられたと同時にステップを蹴って上体を後ろに反らしたんだろう。
ちらりとこちらを見た相良さんは確かに微笑んでいた。
あとは託してくれるということなのか。
それともまだ秘策とやらがあるのだろうか。
だが、存在を確信されているのだから、出ていかないわけにはいかない。
お見事としか言いようもない程、上手に相良さんを受け止めた岡部君に、流石だと思う。
日頃、どんな訓練をしているのか聞きたいほどだ。
そうして岡部君から発せられる怒りに、苦笑が滲む。
どこまでが本気で、どこからが演技なのか。
少なくとも東條さんよりも遥かに演技は上手いな。
そう思いつつ、僕は前に出た。
相良さんが狙っていたのは、島津だったのか。
まあ、確かに確執はあるだろう、島津が一方的に。
親子揃って相良さんを狙っているという、実にバカバカしい骨肉の争いをしているという噂を聞いていたが、あれは本当だったのか。
そうして、そのダシにされていたのが東條さん。
うん。
島津家の考え方は、はっきり言って莫迦だろう。
キャストを間違えている。
それと、相良家の力を侮っている。
相手に情報が漏れていることを気付かずに策士気取りをしていた島津が愚かなのだ。
多分、諏訪も、大神も同レベルなのだろう。
どうやら諏訪の現当主ですら、相良家は相手にしていないようだ。
伊織と相良さんの婚約を躍起になって画策していた律子夫人は、相良さん本人の迎撃にあって失墜したと聞いた。
律子夫人については、微妙な憶測が飛び交っている。
正夫人ではなく、後妻だという噂だとか。
いつだったか、父が酔って妙なことを言っていた。
律子夫人は伊織を誕生させるためだけ存在で、そもそも妻ですらないと。
どういう意味なのか、今の僕にはわからない。手を出せる領域ではないが、相良さんなら知っているのかもしれない。
諏訪家の正妻の条件は、男子を2人産むことだ。
女子は子として数えない。
何故なら、女子は嫁ぐからだ。
律子夫人は、正妻の条件を満たしていないことは確かだ。
だが、正妻である女性の姿は見えない。
しかしながら、あの律子夫人を手玉に取るような相良さんの傍にいる岡部なら、島津家封じもそう難しいことではないような気がしてきた。
傍系が本家となり替わった島津家とは違い、相良家は直系が絶えたことがない。
そうして、岡部家もそうだが、西家や愛甲家といった分家が本家を支えようと層厚く守っているのだ。
家の在り方が、根本から違う。
これに対抗できるのは、藤原家ぐらいなものだろう。
下手に突けば、押し流されるのはどう考えてもこちらの方だ、分が悪い。
こういう場合は突くよりもうまく同調し、利を得た方が良い。
出過ぎなければ、そういった面に関して驚くほど融通を聞かせてくれる相手でもある。
打つ手を間違いさえしなければ、大人しい相手なのだ。
素早く手を考え、元々、案として出ていた学籍剥奪を告げ、何とか岡部君が納得する処遇に落とし込む。
学園側にも恩を売れるだろうことは、間違いない。
僕が、ではなく、相良家が握る念書の存在が、である。
ただの退学と、学籍剥奪とでは雲泥の差がある。
今のままではただの退学だった。
念書を使うと岡部君が言ったことで、案としては挙がっていたが到底使える手ではないと諦めていた学籍剥奪という手段を手に入れた。
退学であれば、学校側の責任が問われることになるけれど、学籍剥奪であれば、東雲に在籍していたという事実自体が消えるため、学校側に責任はない。
むしろ、堂々と被害者を名乗れるというわけだ。
これはもちろん、対外的なことだ。
対理事会には、別の手段を用いることができる。
本来ならば入学できない者を理事会が圧力かけて無理を押し通した結果、刑事事件に発展したということは大きい。
何せ、殺人未遂だ。
相手が生きていたからいいという問題ではない。
明確な殺意があったということ、そうして、一番の問題は、葉族ごときが四族に刃を向けたことだ。
これが一般人だったら、罪は軽かっただろう。
彼らは守られるべき存在だからだ。
だが、葉族は、四族があっての存在だ。決して裏切ることを許されぬものなのだ。
それが主家であれば、罪は重い。だがそれ以上に他家のしかも本家直系の人間にということであれば、相応の覚悟が必要になる。
法の下の平等というものは四族や葉族にはない。
四族や葉族への戒めは、一般人と異なり非常に重いものなのだ。
権力、所謂力を持つ者は、それに応じて科せられるものも大きくなくてはならないのだから。
力というものを封じるという点では、法の下の平等と言えるのかもしれないが、ある同じ罪を犯したからといって、罰が一緒というわけではないという意味では確かに平等ではない。
社会への損失というものに重点を置いているからだそうだ。
この場合、『相良瑞姫』を仮に失ったとした時の損失は、今から未来を計算して、計り知れないものだという結果になるだろう。
実際、相良さんはすでに友禅作家としての名前があるし、彼女が手掛けた作品は驚くほどの値段がつけられている。
それに比べといってはなんだが、葉族としての東條さんの価値はまったくない。むしろ、マイナス方向だ。
今もなお、わけのわからないことを喚く彼女に辟易しながら、学園側と警察への対応を生徒会長にお願いする。
会長だから、当然の仕事だと言える。
本音を言えば、東條さんを彼に任せて僕が学園側と警察の対応をしたかった。
彼女の綴る言葉は実に気味が悪い。
妄想と現実の区別がついていないというか、ああ、これが、噂に聞くゲーム脳というものか。
よくよく聞けば、彼女の言っている言葉の内容は辻褄が合わないものの何かのシナリオ通りに事が運ばないことを呪っているものだ。
その原因をバグといい、そのバグが相良さんだと言っているようだ。
ならば、対応のしようはあるというものだ。
彼女が信じる世界を打ち砕き、破壊することを口にすればいい。
これ以上、彼女に煩わされる時間がもったいないし、僕や伊織を不利な状況に追い込むかもしれない存在をこのまま放置するわけにもいかない。
どのみち、東條さんが進むべき道は破滅しかない。
ならば今ここで引導を渡したところで、何の問題もないだろう。
その結果、彼女が壊れたところで僕たちには何の影響もない。むしろ自業自得だろう。
「君は、相良さんが要らない存在だと言いましたね」
不意にかけた声に、東條さんがぴたりと言葉を止め、僕の方を見る。
そうして、嬉しそうに笑った。
「やっとわかってくれたの!? そうよ、あの女がいなければ!!」
「その前に、大事なことを確認しましょう。シナリオ通りに行かなかったのは、本当に彼女のせい?」
「……え?」
きょとんとした少女は、徐々に表情が凍り付いていく。
「相良さんと君が出会う前にシナリオ以外のことをしなかったのかい?」
「そ、それは……」
思い当たる節があるのか、明らかに挙動不審になる。
「だって! だって、あいつらは邪魔になるし……狙ってるのはママだし……」
母親、ね。
父親は自動車で事故死となっていたな。
本当なら、母親も同行するはずだったとも。
つまり、この子は事故ではなく事故に見せかけた他殺だと知っていて父親を行かせ、母親は引き止めた、と。
そのことについて何の罪悪感も感じていないとは、あまりにも身勝手すぎるだろう。
「シナリオ通りに動かなかった」
「でも、それはっ!!」
「主人公がシナリオ通りに動かなかったら、どうなるだろうね」
にっこりと笑って問えば、顔色を失う。
「その時点で、主役交代だ。君は、最初から主人公じゃなかったってことだね」
「嘘よっ!!」
「わかりきっていたことじゃないか。バグは相良さんじゃなくて、君本人だよ」
「嘘よっ! うそ……いやぁあああああああああああああああああっ!!」
何も聞きたくないと言いたげに両手で耳を覆い、叫び声をあげる。
ああ、うるさい。
ひとしきり叫んだ東條さんは、そのままぱたりと倒れた。
「気を失えるとは、便利だな」
「やりすぎでしょう?」
松平先輩が嫌そうに顔を顰め、そう告げる。
「静かになったのは結構ですけれど、使い物にならなかったら罪を償えないでしょう。瑞姫様に害をなそうとしたこと、贖っていただかないと」
「……そこですか、あなたが気になさるのは」
「当たり前です。それ以外の価値が、この娘にあるとでも?」
「いや、ありませんけどね。最初から何も期待していませんでしたし」
正直な話、そこにいる人たちをモブ扱いするような人間に見出す価値などほとんどない。
それは松平先輩も同じことだろう。
「いいじゃありませんか。彼女、余罪がありそうですし、罪を償って世間に戻った時には、完全に何もかも失っているんですから」
「何もかも?」
「ええ。家も、家族も、おそらく友人も。そうして一番大事な若さも、ね」
「若さ?」
「ええ、そうです。どうやら、自分はゲームの主人公だと思い込んでいるようでしたからね。塀の向こうからこちらへ戻ってきたときには、彼女にとって一番価値がある女子高生ではない、というわけです」
「ああ、そういうこと。あらあら、残念ね。まあ、存在自体が残念だということは最初から分かっていましたけれど」
くすりと笑った松平先輩は、ゆったりと微笑みを浮かべる。
扇子を持たせたら似合いそうだと、ふと関係のないことを思う。
「余罪なら、私にも心当たりがありますわ。警察の方に情報提供をいたしましょう」
上品に微笑んではいるが、どこか肉食獣のような獰猛さを連想させる。
見た目と中身がそぐわない方であることは間違いないようだ。
生徒会長が生徒会室に警察の方を案内して姿を現した時、正直僕はホッとした。
これで厄介ごとから逃れられると、そう思って。
もちろん、それは、次の出来事の序章であることは承知していたけれど。