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第2保健室へ私を運び入れるなり、「ちょっとそこで待っていろ」と言い置いて、疾風はどこかへ消えてしまった。
「あの、姉上。これはですね……」
いきなりのことで、状況を説明しなくてはと焦る私に、茉莉姉上はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「ライブ中継で見てたわよ」
「は?」
「ふふっ 世の中の人は、あれを『いい気味』と言うのかしら?」
何やらご機嫌な姉上の言葉に、私は首を傾げる。
「姉上?」
「ん?」
「見てたって……」
「一部始終を動画で送ってくれた生徒がいてね」
「……姉上のファンですか……」
「瑞姫のよ。持つべきは、同性にもてる妹よね。ちゃんと保存してるから、警察への証拠提出にもできるわよね」
「ちょっと待ってください。誰がそんな……」
そう言いかけて、私は不審に思う。
「茉莉姉上、何故、今、ここにいるのでしょうか?」
成績発表の今日は、午前中1時限目は職員会議で自習になるのが通例だ。
つまり、この時ばかりは保健医である茉莉姉上も会議に出席するのがあたりまえなのだ。
「私が関係者の身内だから、辞退したのよ」
「え?」
「東條凛という名の生徒の退学に関する決議があるので、相良である私は私情を挟んだと思われては困るので欠席すると連絡入れてね」
「サボったんですね」
「まあ、ね。私の仕事は医師であって、学校に籍を置いていても生徒の進退に関わることは違うと思うのよ。あくまでも、生徒の健康を守るのが私の仕事」
実に立派な心掛けですが、それは建前であって、会議が面倒臭かったんですよね、姉上。
すでに退学が決定しているのに、形式上の会議をする学校側の茶番に付き合いたくなかったということなんですね。
にこやかに笑う姉上に、私は溜息を吐きたくなる。
「会議の間に、学生に急病人が発生したらどうなるのよ? まあ、今回はけが人だけどね、瑞姫」
にこにこと笑う姉上。
「全然怪我をしていない推定怪我人ですけれどね」
「でも、あれはいい判断だったわ。足許映ってないから、誰がどう見ても、突き落とされたようにしか見えないから」
「姉上にはわかったでしょう?」
「もちろんよ。相良の人間があんな脆弱な人間に突き落とされるわけがないじゃない。それを知っている人間は、全員、口を噤むしね」
ものすごく上機嫌だ。
「ちゃんと兄さんたちにもさっきの映像、送っておいたから、今頃、東條家は……ふふっ」
あーねーうーえーっ!!
何やっちゃったんですか!!
いや、兄上たちか!
止めるつもりは毛頭ないけれど、手加減はしておかないと。
「疾風も相当怒ってるし。この分じゃ、島津も数日内に堕ちるわね」
「怖いことを言わないでください」
「知らないって怖いわよねー。岡部もね、相良と同じで瑞姫至上主義なのよね。疾風が岡部に事の次第を連絡したら、全力猛攻で絶対島津当主の首、獲るわよね」
はーやーてーっ!!
それこそ、島津の当主は自業自得だから仕方がないと思うが、嬉々としてやっちゃってる人々の顔を思い浮かべると天を仰ぎたくなる。
「ま、これも『みずき』の定めよね」
「……軽く仰らないでください。好き好んで騒動の目になっているわけではないのですから」
「そりゃそうよ。代々の『みずき』も、温厚な性質を持っていたと記述されてるもの。私が『みずき』だと仮定した時に起こる騒動よりも遥かに大人しい結果になってるわ」
胸を張って騒ぎを大きくするからと仰らないでください、心臓に悪いですから。
それよりも、今後のことを考えるにあたって、気になることはいくつもある。
どうしたものかと考えていると、ふと、姉上の机の上に置きっぱなしになっていたタブレットが目に留まる。
「……茉莉姉上、そのタブレットPCを貸していただけないでしょうか?」
「いいわよ。調べもの?」
「はい」
無造作に机の上のタブレットを掴んだ茉莉姉上は、私にそれを手渡してくれる。
起動させて、ネット上であるキーワードを打ち込む私に、茉莉姉上は何でもない事のようにとあることを暴露した。
「あ、そうそう。私が会議を蹴った理由ね。あの、東條凛という生徒、昨日付ですでに退学になっているの。書類の処理も終わっているわ。だから、でなかったのよ」
「は?」
「とんだ茶番でしょ? すでに退学扱いになってるのに、退学にするかどうかの会議よ? まあ、今頃、議題は学籍剥奪と警察対応に代わってるだろうけど」
「姉上?」
「当然でしょ? 退学になった元生徒が、無関係の生徒に殺人未遂ですもの。というか、学籍剥奪したら、在学してた履歴も削除だから、どこの誰とも知れない人間が紛れ込んでの殺人未遂ね。まあ、学園側の警備の不備を指摘されるかもしれないけれど、被害者は無傷で、犯人は取り押さえられているんだもの、大した傷にもならないわね」
「学園側はその方針で?」
「ええ。さっき、メールで連絡が来たわ。保健医としては、学園側の決定に従うと返信したけれど」
保健医としては、と、仰いましたけれど、相良茉莉としては従うつもりはないとでも言いたいのでしょうか?
映し出された文字を目で追いながら、私は取り留めのないことを考える。
今調べているのは、諏訪のご隠居のことだ。
表舞台に出ていなかった時期、あの方が何をしていたのか。
わかっていたが、簡単には出てこない。
キーワードを変えてみたら、どうだろうか。
ご隠居ではなく、大刀自様とか?
そうやって色々と検索内容を変え、絞って、とある結果に辿り着く。
そういうことですか、ご隠居様。
ようやく見つけ出した内容に、私は溜息を吐く。
これが、ご隠居様の謝罪方法とやらですか。
確かにこれなら、私は納得してしまうだろう。
年の功というのか、経験の差というのか。
ご隠居様のすることにはソツがない。
そして、そのことに気付くのは、私以外にはいないだろう。
私以外、誰が調べても辿り着けないご隠居様の数年間の動向。
ご隠居は、これをいつ公表するつもりなのかと、ふと思う。
おそらくは、私がこれを暴くであろうことを想定しての行動だ。
だが、無遠慮に暴いてしまっては味気ない。
所謂無粋の極みになってしまう。
本当に困った方だ。
多分、このほかにもまだ色々とやっているはずだ。
それを全部調べ上げなくては、突き詰めることもできない。
思わず深々と溜息を吐いたとき、ようやく疾風が戻ってきた。
保健室へ戻ってきた疾風の手には、鞄が2つ。
疾風の分と、私の分だ。
「……疾風。早退する気はないぞ?」
いくらなんでもこのくらいで早退してたまるかと、つい思ってしまったが、過保護は何を考えるかわからない。
「早退じゃなくて、放校だ。臨時職員会議のため、生徒は下校という指示が出た」
「そういうことか」
「瑞姫には、ここで待っていてほしいと伝言を預かっている。警察の事情聴取があるそうだ」
「ここで?」
「階段から突き落とされて、殺されかけたからな。保健室で安静にしていて当然だろ? 茉莉様もいらっしゃるし」
「臨時の保護者よね」
にやりと笑う茉莉姉上。
臨戦状態ですね、敵は警察ではないでしょうに。
「それと、よくわからなかったんだが、あの問題児、自分の父親が殺されることを知っていて黙っていたらしいということで、殺人幇助の疑いもかかっているようだ」
「殺人幇助」
「ああ、父親というか、養父だな。DNA鑑定で死亡した安倍氏と親子関係ではないことが判明したそうだ」
「母親は?」
「東條家当主の娘ではないようだ。血縁関係にあるが、母娘ではないとの結果が出た。母親は不明だが、父親は東條家当主で間違いないそうだ」
疑ってはいないが、やはり千瑛が調べたことがあたっていたということか。
「安倍? そう言えば、1年生に安倍の御嬢さんがいたわね」
ふと思い出したように茉莉姉上が呟く。
全校生徒の名前と病歴を覚えることくらい、茉莉姉上には造作もない。
「東條の娘になるより、安倍の娘になる方がよほどいい暮らしができたでしょうに。そちらを好むような子に見えたけれどね、東條凛という生徒は」
「知らなかったのでしょう? 引き取られる前までは、一般人として暮らしていたようですから」
「……葉族と知って、目が眩んだ。と、いうわけね。四族の血を引くとわかったら、即座に母親の実家と言えど蹴り落としそうだし」
「どうでしょうか」
ゲームの主人公として生きることを選んだのであれば、絶対に東條にこだわると確信できる。
あの狂乱が証拠だ。
少しばかり首を傾げたものの、茉莉姉上は何も言わずに話を元に戻す。
「父親が東條だとしたら、母親は誰なのかしらね? 夫人ではないことは確かのようだし。あの様子では、夫人が何かしら圧力をかけたと思っても不思議ではないわね」
以前、東條夫妻が本邸に押しかけて来た時のことを言っているのだろう。
瑞姫さんの記憶にあった、あの己を省みない自分本位な人たちなら、確かにそう思える。
「……そうなると、東條凛という女子生徒が警察に引き渡されたなら、東條夫妻なら、警察に向かわずにうちに押しかける可能性が高いわね」
「姉上?」
「相良の力で取り下げてほしいとか、馬鹿げたことを言いそうよ。また、瑞姫に、あなたから口添えをお願いいたしますなんて馬鹿なことを言うわね」
「そこまで馬鹿じゃないでしょう?」
被害者相手に謝罪せずにそんな真似をすれば、代々積み上げてきた名誉も地に堕ちる。
普通なら、矜持が邪魔をしてそんなことをしないはずだ。
だが、それも数時間後に茉莉姉上の考えが正しかったことが証明された。
保健室で、茉莉姉上と疾風同席のもと、警察の事情聴取が執り行われた。
すでに生徒会から動画が証拠として提出されているということで、殆ど内容は確認のようなもので、それほど時間は取らなかった。
「ところで、あなたは、加害者がどうなればいいと思いますか?」
最後の締めくくりのように、その質問が私に向けられる。
「どうなれば、というのは実に曖昧な問いかけですね」
私はそう切り返す。
途端に、彼らはバツの悪そうな表情を浮かべ、苦笑いする。
「すみませんね。どうにも、勝手が違うのでこちらも対応に困って……」
未成年刑事事件担当の警察官だと最初に名乗った彼らは、相手を子供扱いすべきなのか、それとも大人として対応すべきなのか、未だに迷っているようだ。
東條凛の後で私の所に来たのなら、そうなるのも当然だろう。
四族であれば、例え未成年だろうとも大人として対応しても問題ない。
そのように教育されているのだから。
だが、葉族であれば、一般人と同じく未成年は未成年でしかない。
その落差に戸惑いを覚えるのは仕方がない。
「正直に答えましょう」
思わずくすりと笑った私は、まっすぐに彼らを見る。
その途端、彼らの背筋が伸びる。
「法に則って、公正に裁かれるべきだと思います。その後は、二度と私と関わらないようにと思います」
「……その理由を伺っても?」
「前者については、理由は明白でしょう? 後者については、相良の名は大きすぎるということです。私を害そうとしたということは、東條に明日はないということを意味します。相良が手を下さなくても、相良と取引関係にある他の家が、一斉に東條から手を引けば、取引先を失い、資金源を失った企業がどうなるかは想像するに容易いことでしょう。例え奔走しようとも、彼らを助けようとする者はいない。助ければ、己も二の舞になりますからね」
「それは……だが、東條に勤める人たちのことは可哀想だと思いませんか?」
「私が思ったところで、どうにもなりません。手を下すのは私ではなく、私とは関係のない大人たちですから。私が何を言ったところで、自分たちの利益のための行動ですから止められるはずもないでしょう」
私は疾風のように株を扱いもしなければ、諏訪のように会社経営に手出しもしていない。
つまり、直接の影響力は何も持っていないということだ、表向き。
他の方法でなら、働きかけることはできる。
それを彼らに教える必要はない。
「わかりました。事情聴取はこれで終わります。後程、またお伺いすることもありますが、その時はよろしくお願いします」
茉莉姉上にそう言って、終了を告げた彼らは、保健室を後にする。
「……瑞姫、帰るぞ」
それまで黙っていた疾風が鞄を手にすると私を促す。
「そうね。いつまでもいる必要はないわね。家に戻りなさい」
茉莉姉上も帰宅を促す。
「わかりました」
反対する理由は全くないので、素直に従い、疾風と連れ立って車寄せまで向かう。
我が家の車が最後の一台だったようだ。
横付けされた後部座席の扉の所に運転手である東さんが立っていた。
「東さん。何故、あなたが迎えに?」
東さんは長兄の専属だ。
私には専属の運転手はおらず、その時に手が空いている人が送り迎えをしてくれることになっている。
忙しい東さんが迎えに来ることなど、滅多にないと断言してもいい。
「柾様から迎えに行くよう、指示されました。御屋敷の前に招かれざるお客人がいらしゃっておりますので」
「招かれざる……?」
「東條とか……瑞姫様に会わせろと。実に礼儀を損なった方々のようで」
穏やかに告げる東さんの口調に微妙な棘がある。
「他にも周囲にひっそりと潜んだ方もお見かけいたしました」
もしかしてと、視線を上げれば、東さんは静かに頷く。
警察か。
現行犯逮捕をしたのちに、別件逮捕を狙っているという線も考えられる。
つまり、柾兄上は、確実に私が無事に戻れるように東さんを寄越してくれたのだろう。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「はい、承知いたしました。安全運転に務めます」
にこりと笑った東さんは扉を開け、中に入るように促してくる。
それに従い、疾風と乗り込んだ私は、家までの道のりを無言で過ごした。
いつもは、到着と同時に開けられる門扉が、厳めしさを伴って閉じられている。
そうして、その門扉の前に立つ初老の男女。
男性の方は、扉を無遠慮に拳で叩き、何やら叫んでいた様子だが、こちらに車が近づいているとわかると、車の前に飛び出してきた。
最初から予想がついていた東さんだからこそ、スピードを落とし、すぐに停まることができたが、これが咄嗟であれば、相手に怪我をさせていたかもしれない。
あまりにも危険な真似をする。
思わず顔を顰めると、相手は後部座席の窓を叩き始めた。
何かを叫んでいる様子だが、防音防弾の窓ガラスでは無意味だ。
邪魔だとばかりに東さんがクラクションを鳴らす。
形式的な警告だが、これが重要なのだそうだ。
屋敷に戻ることができず、妨害されている。
その事実が重要だと説明された。
傷害未遂だとか、器物損壊あたりが適応されて、警察が彼らを逮捕する予定なのだとか。
クラクションを鳴らしていた東さんが手を止めた。
「お出ましですよ」
そう声を掛けられ、窓の外を眺めやれば、背広姿のいかつい人々が東條夫妻を抑え込み、手錠をかけているところだった。
手首に手錠をはめられたところで、呆然と動きを止め、大人しくなる。
一種のショック状態に陥るのだろう。
門扉が開けられ、悠然と車が発進する。
敷地内をゆったりとしたスピードで進んだ車は、車寄せで止まる。
そこには柾兄上が立っていた。
「お帰り、瑞姫」
兄上自ら扉を開け、私を迎えてくれる。
「ただ今戻りました、柾兄上」
「驚かせてしまったかな?」
「……茉莉姉上が予想していましたので」
「ああ、なるほどね」
納得したと頷いた兄上は、私の頭を撫でる。
「東條家の問題は、そう時間が掛からずに片付くだろう。あちらは色々と後ろ暗いことがあるようだからね」
「そうですか」
何となく、予想がつくが、今は口を閉ざしていた方がいいだろう。
「それよりももうじき夏休みだね。予定を立てたのかな?」
明るい話題を出す兄上に、私も疾風も乗ることに決め、車から降りた。
本日、試験日です。
この話がUPされる頃に試験が終了するでしょう。
夏季の試験はあと残り1つですが。
つまり、試験勉強も楽しいけどストレスも溜まるということで。
見逃してくださいぃ~っ!!