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凍り付いていた時間が緩む。
誰もがそう思った瞬間だった。
「……また、おまえが発端か、諏訪」
怒りを孕んだ低い声が、疾風から発せられる。
「岡部……相良は?」
諏訪の沈んだ声が聞こえてくる。
謝罪の言葉はない。
それが、答えだ。
己の至らなさを自覚した諏訪は、言葉による謝罪というモノを一切やめたようだ。
口先だけの謝罪と、本心からの謝罪。
どうやって見分ければいいのかと不思議に思うだろうが、あれは意外と簡単に見分けられるものだ。
視線・仕種・表情、そういった態度から真摯な態度というものは感じ取れる。
それと同時に、悪かったと思い込んでいるという表面的な罪悪感も何となくわかるものだ。
謝意を表すのは何も言葉だけではない。
むしろ、言葉を尽くした方が嘘臭く感じられることの方が多い。
そう気付けば、言葉に頼らぬ謝罪の方が相手に気持ちを伝えられると結論付けられるのだろうか。
以前よりは好ましくなったと、その態度から思えることができる。
「……俺が傍にいて、瑞姫が怪我をするとでも?」
見縊られては困ると疾風が唸るように告げる。
「そう、か。そうだな」
明らかにホッとした様子で諏訪の声音が変わる。
「これはまた、とんでもない場面に居合わせてしまったようだね」
不意に呆れたような声が割り込む。
大神だ。
「紅蓮君っ!!」
東條凛の声が明るく大神の名を呼ぶ。
「皆、酷いのよ! 聞いて……」
「許可もなく人の名前を気安く呼ばないでください。それから、一部始終、見ていましたよ。君がやったことは殺人未遂です」
あっさりとした口調で東條凛の言葉を遮り、淡々と告げる。
多分、あのいつもの穏やかな笑みを浮かべたままなんだろうな。
「は?」
意味がわかってないらしい東條凛のきょとんとしたような声。
「大神」
疾風が大神を呼ぶ。
「はい」
「相良家一の臣である岡部の代表として言う。東條家の念書の執行を希望する。相良瑞姫を害したその女を東雲から除籍しろ」
「承知いたしました。もとよりそのつもりです。東雲学園から犯罪者を出すわけにはいきませんから。学籍剥奪の上、放逐いたします」
「外部生規律の2回連続50位以下になったこともあり、生徒会及び学園側双方にて退学ということは決定していたので、当然の結果と思ってくれ」
二宮生徒会長の声に、やはりそうかと納得する。
理事会が何と言っても、学生生活の根底となる規則に反しては生徒会の判断が最優先される。
これを待っていたのだと、予想を裏づけされ、笑みが零れそうになる。
東條凛は一度、学園内で傷害事件を起こしている。
これは表沙汰にはしなかったが、当然二度目はないということは誰でもわかるだろう。
そうしてその二度目が殺人未遂。
階段から突き落とせば、落ちて死亡する可能性が高いというのは、一般的に判断できる。
しかも、彼女は私に『死ね』と言っている。
殺意があったのは明白だ。
「ちょっ!? 何のことよ!? 学籍剥奪って何!?」
話が理解できなかったのか、東條凛のわめき声が聞こえる。
「学生は、学籍というものを持っていることは当然知っているでしょう?」
何を言っているんだと言いたげな大神の声。
「その学校に所属しているという履歴です。それを剥奪されるということは、不名誉極まり無いことですが、それ以前に、君は学生ではないということになります。つまり、君は、今後、警察に引き渡され、裁判を受け、それ相応の罰を受けた後、学生として復帰できないということになります。当然ですが」
「は? アンタ、馬鹿じゃない? 未成年は罪に問われないわよ!」
「……それは、いつの話ですか? 我々が生まれる前の話ですよ。例え、未成年であっても、それを罪と判っていて行った場合は、それに相応する処罰を受けることになっていますが?」
「何よそれ!? 嘘でしょ!!」
東條凛のわめき声に、白けた空気が漂う。
何故、こんな基本的なことを知らないんだ?
私の疑問はすぐに解決する。
『少年法自体、違うってことをあの子、知らなかったんだろうね』
瑞姫さん?
『自分に都合よく考えていたんだろうけれど、私が生きていた世界はね、未成年者は保護されるべき存在として、犯した罪も成人と比べて軽い処罰にしかならなかったんだよ』
そういうものなんですか?
『まあ、それを見越して犯罪を犯す未成年者が増えて来たから、改正されつつはあったようだけれど。それすらも知らない子供なのかもしれないね、彼女は』
そう、なんですか。
子供。
確かに、彼女の行動を見れば『子供』だ。
年齢を嵩に、また立場を嵩に、それが赦されるものだと思っての感情に任せた行動ばかりだ。
自分が世界の中心だなんて、誰がそんなことを思うものだろうか。
ゲームの世界だから、主役の自分がこの世界の中心。
そういう考えが生まれること自体、おかしな話だ。
自分が関知しない場所でごく普通に生活している人々がいるということに疑問を抱かないのだろうか。
ごく普通にインターネットやTVで世界各地の情報を目にしているはずなのに。
「話はついたようだな。俺はこれで失礼させてもらおう」
まだ何か喚いている東條凛を無視し、疾風が大神たちに声を掛けた。
「岡部君、ですが……」
「瑞姫を保健室へ連れて行く。何か、問題が?」
気を失っているふりをしている私に視線が集中しているようだ。
バレそうなので、あまりじっくり見ないでほしいのだが。
「ああ、そうですね。きちんと休ませてあげた方がいいでしょう」
「ちょっと待ってよ! 疾風君っ!! その女に騙されてるんだってば!! あたし、わかってるの。その女が疾風君を縛り付けてるんだって!」
甲高い声が告げるその言葉に、私は溜息を吐きそうになった。
底冷えするような空気が疾風から滲みだす。
ああ、やってしまった……。
そんな言葉が過る。
わずかに疾風が身動きした。
その途端に、ひっと息を飲みこむような悲鳴が漏れる。
「……誰が、誰に騙されているだと?」
怒っているというレベルではないな、これは。
激怒という言葉も生易しい。
「だから……」
「何を以ってそう断言するのか、根拠を聞かせてもらおうか」
気付いていないんだろうな。
東條凛は、疾風の存在そのものを全否定したということに。
岡部は幼少期に随身として相良の子供と対面させるが、主を選ぶ自由を与えているのだ。
私は、いつ、疾風が私の随身になることを決めたのかは知らないが、疾風が自分で決めたのだ。
そうして、私が主たり得ないと判断すれば、疾風はいつでも随身を外れることができる。
それを私は引き止めることはできない。
つまり、風を留めることができないのと同じように、私が疾風を縛り付けることは不可能なのだ。
「それから、俺の主を侮辱するような言動を取ったことへの制裁を受けてもらうぞ」
これは無理だ。
止められない。
温厚とは言えないが、相手を敵認定しない限りは無害である疾風をここまで怒らせてしまえば、私の言葉でも聞かないだろう。
止める気もないが、体面的には穏便に済ませてほしいと願うのみだ。
疾風があたりにまき散らしている気配は、殺気ではない。闘気だ。
殺気よりも明確で濃厚な気配は息苦しいと思うほどの重圧感を生み出している。
これでは身動きするのもつらいだろう。
当然のことながら、闘気と無縁の暮らしをしている者には恐怖心しか感じられないだろう。
カチカチカチと歯が鳴る音が聞こえてくる。
言葉を発するのも不可能なほどの恐怖心に縛られて、東條凛は何を思っているだろうか。
「答えられないようだな。口先だけのでまかせで人の気を害する愚かな真似をするならば、こちらもそれ相応のことを取らせてもらおう」
今度こそ、その場を離れようと向きを変えた疾風がイラっとした空気を漂わせた。
階段を上ってくる足音。
「あっれー? 相良じゃん。ナニナニ? どーしたの? あ、保健室? 俺が運んでやるよ」
場を読まない軽薄な声。
島津だ。
「触れるな」
がたんと何かが倒れる音。
「え?」
疾風はまったく動いていない。
「今の、何?」
「……これは、おまえの父親が馬鹿な真似をした結果だ」
「は?」
「面倒臭いから泳がせておいたが、それも面倒になった。岡部はこれより島津を潰す。二度と瑞姫の前に姿を現せないようにな」
おい、疾風。
さすがにそれは拙いだろう。
そう突っ込みたいが、それすらできない気を失ったふりの不便さを実感する。
「は!? 何言ってんだ!? おまえごときが島津を潰せるはずないだろう!」
「馬鹿か。業績落ち目の島津を岡部はとっくの昔に抜き去ってるぞ。今、おまえたちが潰れたところで問題はない」
家の内情も知らなかったのか、この男は。
末子だからというのは、理由にはならない。
経営に興味を持たないということは、行く末は決まったようなものだ。
そのことに島津が気付くときは来るのだろうか。
私の疑問を余所に、すでに興味を失った疾風が歩き出す。
危なげない足取りで階段を下りていく疾風に、私は目を開けてもいいかと合図する。
「保健室に行くまでは駄目」
そうですか。
ひと目が気になるんですけど。
「誰もいないから大丈夫」
って、目を開けても問題ないじゃないか!!
私の訴えは、最後まで聞き届けられなかった。




