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 階段を一段登るたびに、不快感が増す。

 これ以上先に進むなと、勘が告げる。

 だが、進まねばならないとも告げている。


「疾風」

 私の右斜め後ろを歩く半身ともいえるべき随身に声を掛ける。

「…………」

 私の声に、疾風が私の視界に入るように立ち位置を変える。

「再度、告げる。東條家の念書、おまえに使い方を任せる」

「瑞姫」

 前々から何度も言っていたけれど、もう一度、改めて告げる。

 なるべく穏便に済ませたいとは思っていたが、どうもそうはいかないようだ。

 姉たちに『野生のカン』と笑われている説明しがたい予感が、東條家からの念書を使う時機が到来したと言っているのだ。

 しかも、それを使うのは私ではなく、疾風らしい。

 馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしたくなるところだが、この勘が外れたことは今まで一度もない。

 それを証拠に、今、私は生きている。

 それならそれで、その勘を信じて自分の感覚のままに行動する方がいい。

 だから、その感覚が示すまま、疾風に告げる。

「あの踊り場の先からはひとりで行った方がいいようだ。疾風はそこで待っていてくれ。上の階から姿が見えない位置で」

「……上から問題児の金切り声が聞こえる。わかった。見えない場所で待機している。が、何かあったらすぐに打って出るぞ」

 顔を顰めた疾風の言葉に、私は驚く。

「……良く聞こえるな」

 流石に声まで聞こえなかった私は、思わず感心して呟く。

「聞こえなかったのか?」

「さすがにまだ聞こえる範囲ではないな」

 断じて私の聴力は悪くない。

 普通より少しいい方だ。

「そうか」

 にやりと自慢げに笑った疾風がちょっとむかつく。

「俺もさすがに会話の内容までは聞こえないが、あんまりいい感じではないことは確かだ。頭に血がのぼってなんかやらかしそうだな」

 すぐに難しい表情になった疾風は、私に上に向かうなと言いたげな表情を浮かべる。

「誰を相手にしているか、わかるか? 諏訪だろうと思うが」

「声は殆ど聞こえない。だが、気配からすれば、諏訪だろうな」

 ふと溜息を洩らした疾風が応じる。

「あいつ、本気でシメたいんだけど」

「まだ、駄目だ。ご隠居の真意がわからない」

「わかってるんだろ、瑞姫には。確証が持てないだけで」

「……千瑛が、気になることを言ってた。ご隠居が表舞台から消えた理由……あれがわかれば、動ける。わからないうちは、足下を掬われるかもしれない」

 そこまで話をして、言葉を切る。

 行きたくないが、本当に行きたくないが、行かねばならないようだ。

「……後を頼む」

 骨は拾ってくれと言ってしまいそうになるが、言ったら最後、疾風が般若顔になりそうなので、呑みこんで一段、踏み出す。

 その後に続いた疾風は、階段の踊り場手前で立ち止まる。

「…………」

 気を付けてという言葉が、聞こえたような気がしたが、疾風は何も言わずに私を見ている。

 安心させることはできないだろうが、ひとつ頷いて、私はひとり、折り返し階段を上って行った。




「嘘よっ!! 八雲様に弟がいないっ!? じゃあ、あの子は誰よっ! 親戚とか他人の空似のレベルじゃないわよっ!!」

 けたたましい声が響き渡る。


 あー……私のことか。

 今頃、というか、ようやくそこに辿り着いたのか。

 遅かったな。


「あんなに八雲様に似てるんだもの、絶対に攻略対象でしょう!?」

「……は? 攻略……?」

 どこか呆然としたような諏訪の声。

「おまえごときが彼らの名を勝手に口にするな、汚らわしい」

 すぐに諏訪が冷ややかに告げる。

「あら、伊織君ったらやきもちやいちゃって。かーわいいっ!」

「許可もなく、勝手に人の名を呼ぶ無礼者に持ち合わせる感情は侮蔑だけだな。鬱陶しい」

 ウンザリしたような声音で紡ぐ言葉は、傲慢そのものだ。

 いつもながらに言葉が足りてない。

 そして、双方向な会話が成り立っていない。


 ああ、なるほど。読めた。

 ここで諏訪が私の正体を暴露して、怒り狂う東條凛の前に最悪のタイミングで私が登場するという場面を作り上げればいいのか。

 疾風に視線を流せば、嫌そうな表情でこちらに頷いて見せる。

 そうか。疾風もそう思うのか。

 まったく迎合していないが、やむなしといったところなんだろうな。

 廊下には彼ら以外の気配があるが、階段にはなぜか誰もいない。

 証人はいくらでもいるし、だけれど私に巻き込まれて怪我をする人はいないという状況だろうな。

 運がいいのか悪いのか、どこか作為的なものを感じる。

 誰の作為かは、この際、置いて。

 乗るしかないだろうな、忌々しいが。


 感情的になった人間が取るだろう行動のいくつかを想定し、自分がそれに対応できるのかを考える。

 何とか、なるだろう。

 疾風がいることだし。

 誰よりも信頼している相手が、私を渋々ながらも送り出したということは、何があっても対応できると断言できるからだ。

 そうでなければ、過保護で心配性の疾風が私の野生のカンを信用するはずもないだろう。

 最高のタイミング、言いかえれば最悪のタイミングを狙って姿を現すために、私は耳を澄ます。


 一方通行な会話は、相手の態度を読み取ろうともせずに進んでいく。


「大体において、相良家が東條の人間を気にかけるはずもなかろう。今、辛うじて存続しているのは、手を下すことすら面倒だからに決まっている」

「分家のことなんか、知らないわよ。あたしが来る前のことなんて関係ないし」

「諏訪とて相良に睨まれて無事では済まなかった。指一本、動かしていないにも拘らず」

「関係ないこと言われても困るのよねー。それより、あの子、誰なのかしら? 病弱だってことはわかったんだけど」

 これは、本当に会話なのだろうか。

 かみ合っているようでかみ合っていないことは明白だが、とりあえず違和感なく進んでいるようだ。

「おまえが言っている人間が彼女のことなら、彼女は八雲様の妹だ」

 うんざりした様子で諏訪が告げる。

「はあ!? 男の子よ! 妹のわけがないわ」

「おまえが弟と呼んでいる者は、八雲様の妹の相良瑞姫嬢だ。正真正銘、相良家の姫だ」

「冗談でしょっ! 女の子が何で男の格好をしてるのよ!? 気持ち悪いったら!」

 その言葉に、諏訪の表情が強張る。

「……あの姿は……俺の……」

「やめてよね! イマドキ流行んないんだから! 男子校に男装してもぐりこむとかは定番だけど、共学で男装なんて馬鹿みたい!」

「貴様っ!!」

 相手の背景など気にもかけない偏見に満ちた言葉に諏訪が憤る。

 ああ。

 諏訪の一番嫌な記憶を無造作に抉ったな。

 当事者でありながら、どこか他人事のように思っていた自分の事故のことを思い浮かべ、それが諏訪にとってどんなものかを想像してしまった私は、思わず顔を顰める。

 長かった髪を切り、傷を隠すために男子用の制服に身を包む私の姿は、今の諏訪にとって罪の意識を苛むモノだ。

 その私の姿を『男装なんて馬鹿みたい』と断じた東條凛の言葉が赦せなかったというのは、まあ、理解できた。

 その言葉を聞いた瞬間、疾風が凄まじい殺気を放ったからだ。

 さすがの私でも、ヒヤリとした。

 だが、直接姿を見て放たれていなかったからか、諏訪も東條凛も気付かなかったようだ。

 その鈍感さが、ちょっと羨ましい。

「あんな子なんてどうでもいいわ。ねえ、伊織君……」

「俺に触れるなっ!!」

 どかっと何かが激しくぶつかる音がした。

 小さな悲鳴も上がる。

 どうやら、頃合のようだ。

 階段を上がり、最後のステップをのぼりきる。

「……何の騒ぎだ?」

 見れば、壁際に倒れ込んだ東條凛の姿がある。

 そこから数歩離れた所に憮然として立つ諏訪の姿も。

 一目瞭然という形だ。

「……諏訪。女性の扱いは、あれほど丁重にするようにと言っておいたはずだが」

 相手が誰であれ、状況がどうであれ、最低限守らなければならないことがある。

 強きモノは弱きモノに対し、常に加減をしなければならないということだ。


『ま、そうだよね。獲物は鮮度が命だからねー。甚振るにしろ、手加減は大事だよね』

 や。瑞姫さん、それ、違いますから。


 どうみても、無作法に諏訪に触れようとした東條凛が、諏訪に振り払われ、勢い余って壁に激突して倒れ込んだ図だ。

 とりあえずの正義は諏訪にあるのかもしれないが、見た目が悪い。

 男たるもの、相手の性格がどうであれ、女性に対し力を振るっては駄目なのだ。

 そう、八雲兄上も橘も常に言っている。

 八雲兄上の場合、『女性は肉体的な痛みに対しては、男よりも遥かに耐性があるから痛めつけるという目的なら、肉体よりも精神の方が効果的だと思うんだけど』と、とんでもないことを言っていた。

 ちなみに、男性は、肉体も精神も共に痛みに対して耐性がないので割とヘタレるのが早いとも言っていた。

 本当だろうか?

 疾風も橘もかなり耐性ありそうに思えるから、すべてそうだとは言えないと思うけどな。

 それよりも、この場を何とかしないといけないことは確かだろう。

 まずい場面を見られたと、顔を顰めている諏訪は、開き直ったように傲然と顔を上げる。

「俺は、いきなり掴み掛ってきた手を振り払っただけだ。丁重とかいう以前の問題だな、相手の突然の無礼に丁重に応じる暇などなかった」

 そうか?

 私が周囲に視線を向ければ、うんうんというよりもがくがくと首を上下に振って同意する者が殆どだ。

 女性であるにもかかわらず、東條凛を庇おうという者は、どこにもいない。

「それでもだ。上位者は、常に、そう。いかなる時でも、力なきものに配慮せねばならないと習っただろう? 初等部の時に」

 ちょっと突っ込んでみたら顔色を変える者が殆どだ。

 今頃思い出しても遅いぞ。

 これは、その言葉通りの意味じゃない。

 権力の優位性を説いたようでありながら、実はその裏側の言葉だ。

 力を持つ者は、自分が不利になるような真似をするなという方向の。

「誰か、彼女を保健室へ連れて行ってくれないか」

 私はこの男を説教するから。

 そう匂わせて告げれば、弾かれたように顔を上げ、見合わせる者たち。

 誰が連れて行く? と、視線で問い合わせているようだ。

 本気で関わり合いになりたくないのなら、この場を立ち去ればいいことなのに、結末を見届けないと気が済まないらしい。

 視線の話し合いは、結果を待たずして終了した。

 ゆらりと東條凛が立ち上がったからだ。

「あんたのせいよ。何もかも! いっつも邪魔しちゃってさ!!」

 憎々しげに睨みつけた先には私がいる。

「君に会ったのは、これで3度目ほどだが?」

 ひとりの人間に対し、男か女かでこれほどまでに態度を変える人物がいるとは驚きだ。

 ここまで態度を豹変させれば、彼女の言葉に信憑性は全くないと誰もが思うだろう。

「あんたの存在自体が邪魔なのよ! どっかへ行っちゃってよ!! そうよ、死んじゃえばいいんだわ」

 鬼気迫る表情というには今一つ迫力に欠けている。

 どちらかというと、自分の演技に酔っている感じだ。

 それゆえ、周囲の者は彼女を取り押さえるかどうか迷っている。

 私にどうするかと視線を向けてくる者たちに、軽く首を横に振る。

「やめておけ。相良を害しようがしまいが、貴様の退学は決まっている」

「うそよっ!!」

 諏訪……だから!

「うそようそようそよっ!! 間違ってるわ!! ここはあたしの世界なのよ! あたしが主役なんだから!! バグを修正すればいいだけよね」

 どうやら東條凛は最悪のルートを選び取ったようだ。

 これが現実だと、認識するつもりはないらしい。

 私は半歩、足を後ろに引く。

 段鼻の滑り止めに靴の踵が当たる。

 視界の隅に大神の姿が映った。

 こちらへと向かってきている。

 その後ろには生徒会長の姿も見える。

 誰かが彼らの連絡を入れたようだ。

 役者が揃ったということだろうか。

「世界は誰のものでもない。ただあるだけだ。現実をどう受け止めるかは、個人の自由だが、それが他の人間に受け入れられるかも彼らの自由だ。君は、現実を認識しているのか?」

 ならば、引き金を引こう。

 これが『ゲーム世界』だと思い込んでいる憐れな夢の住人に、夢の終わりを告げてやろう。

「うるさいうるさいっ!! 死ねぇ!!!」

「相良っ!!」

 私の足許は階段。

 ほんの少し、力任せに押せばどうなることか、誰にでもわかる。

 証人は充分すぎるほど。


 すべてがスローモーションのようだった。


 私を突き落そうと駆け込む東條凛。

 それに遅れて彼女を止めようと動き、手を伸ばす諏訪。


 『力無き者に配慮する』という言葉の本当の意味を見せてあげようじゃないか、諏訪伊織。

 一分の隙もなく相手の非を作り上げるということを。


 東條凛の指先が私の鎖骨の下あたりに触れる。

 突き落とそうという形が作られた。

 その勢いに合わせ、私は上体を後ろに反らす。

 滑り止めに掛けていた方の足とは反対の方の足で、段鼻を蹴り、宙に身を任せる。

「……疾風」

 踊り場の階下で待機していた疾風を呼ぶ。

 あちこちで悲鳴が上がる。

「相良っ!!」

「相良さん!」

 悲痛な声が私の名を呼ぶ。

「瑞姫っ!」

 疾風の声が聞こえた。

 ああ、大丈夫だ。

 これは位置についたという呼びかけだ。

 ほどなくして私は疾風にがっちりと受け止められる。

「疾風」

 ありがとうと言葉を紡ごうとし、疾風に視線だけで止められた。

「そのまま目を閉じてろ。あとは俺が処理する」

 小声で告げられた内容に、私は素直に応じて目を閉じる。

 私の身体を抱きとめた疾風は、そのまま抱え直し、立ち上がった。

試験前の身ですが、やっちゃいました。

ストレス解消で書いちゃいました。

悔いはない。が、誤字見直しができてなくてたくさんありそうです。

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