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塗り替えられた夜 ― 匿名という本音 ―  作者: 西崎小春


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第11章 会わない約束

その夜、レンは二十三時三十分より少し早くメールを送った。

いる。

既読は、すぐについた。

だが返信は来ない。

五分。 十分。

レンは、画面を見つめたまま動かない。

“少し考える”と言ったユイの言葉が、頭の奥で反響している。

やがて、通知が鳴る。

レン。

それだけ。

レンは、ゆっくりと打つ。

うん。

少し間。

今日さ。

会うって言ったら来る?

レンの心臓が跳ねる。

来るか。

問いではなく、試すような響き。

レンは、呼吸を整える。

震えが強くなる。

AIを開く。

「会う提案をされたときの適切な返答」

整った文章が並ぶ。

・自分の気持ちを正直に伝える ・無理をしない ・段階的に進める

レンは、画面を閉じる。

整えたら、逃げになる。

レンは、震える指で打つ。

行く。

送信。

数秒後、既読。

返信は来ない。

レンの手は汗ばんでいる。

やがて、ユイからメール。

どこ?

レンは、胸の奥がざわつく。

具体的になる。

駅。

看板のとこ。

送信。

しばらく沈黙。

レンは、椅子から立ち上がる。

今夜なのか。

明日なのか。

明日。

ユイの返信。

レンの視界が狭くなる。

明日。

現実になる。

翌日。

レンは、昼過ぎから落ち着かなかった。

駅までの道は知っている。

二度行った。

だが、今日は違う。

誰かがいる。

“ユイ”が。

本名じゃない名前。

顔も知らない。

それでも、存在は確かだ。

レンは、部屋を出る。

階段を下りる。

玄関で靴を履く。

手が震える。

外に出る。

昼の空気は、重い。

駅まで歩く。

信号を渡る。

足が止まりそうになる。

駅の看板が見える。

レンは、立ち止まる。

スマートフォンが震える。

ユイから。

今、どこ。

レンは、写真を撮る。

駅の看板。

送信。

既読。

数秒。

見えた。

レンの心臓が跳ねる。

見えた。

ということは、近くにいる。

レンは、周囲を見る。

人の流れ。 制服の学生。 スーツ姿の男。

どれがユイか分からない。

スマートフォンが再び震える。

レン。

ごめん。

胸が締まる。

行けない。

レンは、画面を見つめる。

呼吸が浅くなる。

何で。

打つ指が震える。

返信。

近くまで来た。

でも、怖くなった。

レンは、目を閉じる。

怖い。

それは自分だけじゃない。

私さ。

会ったら壊れる気がした。

レンは、駅の看板を見上げる。

壊れる。

何が。

何が壊れる?

送信。

今の距離。

今の夜。

レンは、立ったまま動けない。

会えば、現実になる。

現実は、具体的だ。

声。 顔。

匂い。

それは、理想を削る。

レン、震えてる?

ユイのメール。

レンは、正直に打つ。

うん。

ずっと。

既読。

私も。

その一文で、何かがほどける。

二人は同じ場所にいる。

会っていない。

でも、同じ空気を吸っている。

レン。

今日、やめよ。

レンは、ゆっくりと打つ。

うん。

やめよう。

少し間。

でも。

夜は来る。

ユイの返信。

うん。

夜は来る。

レンは、駅の看板をもう一度見る。

ここまで来た。

それで十分かもしれない。

レン。

会わない約束、しよ。

画面の文字が、静かに胸に落ちる。

会わない約束。

逃げではない。

選択だ。

レンは、ゆっくり打つ。

うん。

会わない。

でも消えない。

既読。

数秒。

それでいい。

レンは、深く息を吐く。

震えはまだある。

でも、崩れていない。

駅の前で、二人は同じ時間を過ごした。

顔も知らないまま。

それでいい。

レンは、帰り道を歩く。

足取りは、来るときより軽い。

会わなかった。

でも、壊れなかった。

夜は続く。

その夜。

二十三時三十分。

レンはメールを送る。

いる。

既読。

いる。

短い。

でも、確かだ。

レンは、ふとAIを開く。

画面が立ち上がる。

カーソルが点滅する。

レンは、閉じる。

今夜は、いらない。

ユイもまた、AIを開かない。

整えられない言葉で、十分だ。

レン。

今日、生きててえらい。

レンは、笑う。

ユイも。

送信。

夜は塗り替えられた。

完全ではない。

でも、確かに。

会わない。

でも、終わらない。

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