トコヨノクニ――新学期
「五十嵐侑子です。北中から編入してきました。事情があって一年間中学校に通えていなくて、もう一度一年生からやり直すことになりました。失踪していた一年間の記憶がないので、知らないことがあるかもしれませんが、よろしくお願いします」
ホームルームの始まりとともに紹介された編入生の挨拶に、生徒たちは皆、無言で唖然としていた。担任もぎょっとした表情のまま、「五十嵐さん、そこまで説明しなくてもいいのに」と呟く。
淀みなく言い切った侑子だけが、教室の中で清々しい顔をして立っていた。
沈黙を破ったのは、担任ではなく愛佳だった。
「ゆうちゃんって呼んであげてね。私と蓮のいとこなの。しっかり者でいい子だから、仲良くしてあげて!」
彼女の発言が口火を切ったように、教室の中がざわめき始める。
「愛佳のいとこなんだ」
「確かにちょっと似てるかな?」
愛佳と蓮が話していた通り、雰囲気の良さそうなクラスだった。先ほどの侑子の驚くべき発言を聞いた直後にもかかわらず、すでに彼女を受け入れようとする空気に変わっている。
「ゆうちゃんの席、ここじゃない? 俺の隣!」
ひときわ大きな声で黒板の前の侑子を呼んだのは、一人の男子生徒だった。一番後ろの窓際で、こちらに手を振っている。示されたのは、その隣の席だった。
「ありがとう」
席に着くと、侑子は周囲の生徒たちに改めて「よろしく」と挨拶した。皆、はにかみながら笑顔で応えてくれる。侑子はようやく胸を撫で下ろした。
「よろしくね。野本裕貴です」
隣の席の男子生徒が、人懐っこい笑顔を向けた。
◆◆◆
新学期初日の学校は、始業式とホームルームだけで終わる。しかし教室を出て帰宅する生徒は数えるほどで、残った生徒たちのほとんどが侑子の席の周囲へ集まってきていた。
――こうなることも想定しておいて良かったな
侑子は心の中で苦笑する。案の定、次々と質問が浴びせられた。
「記憶がないって、本当?」
「事情って、どんなことがあったの? 病気か何か?」
ほとんどがこの類の問いだった。
思いのほか直球だなぁとおかしくなり、侑子が笑い出したのを見て、止めに入ろうとしていた愛佳と蓮は顔を見合わせた。
「自分でもよく分かってないの。一年間失踪してたみたいなんだけど、その間の記憶がなくて」
「ええぇー!」
「そんなこと本当にあるんだ?」
「ドラマの話みたい」
茶化したり、あからさまに疑ったりする者が一人もいないのは、運が良かったのだろう。何か言われた時の心構えはしていたが、その必要がないのなら、それに越したことはない。
侑子は失踪直前の記憶や、こちらへ戻ってきてからのことを話した。その間の一年については、本当にあったことの代わりに、あらかじめ用意していた説明をする。
生徒たちは皆、神妙な顔で頷いていた。
全てが嘘ではない。けれど、本当のことを知っている自分には、それがかえって少し後ろめたかった。
「ゆうちゃん、軽音入るんだって?」
唐突に別の話題を差し込んできたのは、裕貴だった。隣の席に姿がなかったので、もう教室から出ていったのだと思っていたが、どうやらずっといたらしい。
「皆もういいだろ。部活あるやつら、そろそろ始まっちゃうぞ」
ほら、解散解散、と裕貴は陽気な調子でクラスメートたちを散らしていく。
侑子は少しだけほっとした。
「私が入ること、知ってたの?」
問いかけると、裕貴は「うん」と頷いた。
「高橋先輩から聞いたよ。ついさっき」
スマートフォンを軽く振って、にこにこと笑う。
「裕貴、私もゆうちゃんと一緒に入ろうと思うんだけど」
「そうなの? いいじゃん。じゃあ、さっさと行こうぜ」
愛佳と侑子を促すと、裕貴は教室を出ていった。
蓮は侑子たちの活動が終わるまで図書室で時間を潰して待っていると言って、廊下の反対側へと消えていく。
「愛佳といとこってことは、高橋先輩ともいとこ?」
「そりゃそうだよ」
廊下を歩きながら尋ねる裕貴に、侑子は笑った。
「先輩と似てるもんね」
「えぇ! どこがぁ⁉︎」
反論したのは愛佳だった。
「あんなぽんこつヌケサク兄貴とゆうちゃんの、どの辺が似てるって言うの」
「お前、自分の兄ちゃんのことディスりすぎ」
裕貴は盛大に吹き出した。
「似てるよ。さっき教室で自己紹介した時とか。初めての集団の前で、あんなにすらすら言葉が出ててさ。全然緊張してなさそうで、すげーなって思ったよ。高橋先輩もそういうとこあるじゃん」
侑子を振り返る裕貴の視線には、素直な感心が浮かんでいた。
率直に褒められたのだと分かって、侑子は途端に恥ずかしくなる。
「緊張はしたよ」
――それに、本当のこと言ってないし
舞台の上で誰かを演じる役者とは、ああいう心境で台詞を口にするのだろうか。それとも、演じる対象になりきれば、その台詞は自分自身の言葉になるのだろうか。
侑子はあの時、演者になったつもりで自己紹介をしていた。
噴水広場でユウキが滑らかに口上を述べていた姿を思い浮かべ、記憶の中の彼に倣っていただけだ。
「でもさ、やっぱ凄いものは凄いよ。……ああ、着いた。ここで活動してるんだ」
裕貴を先頭にした三人が足を止めたのは、第二音楽室の前だった。校舎三階の一番北奥にある。
「この学校って、音楽室二つもあるの?」
「あるけど、授業では全然使ってなかったらしいよ。生徒数が今より多かった頃には使われてたけど、長いこと吹奏楽部の物置みたいになってたんだって。同好会を立ち上げる時に、高橋先輩と顧問の佐藤先生が校長に掛け合って、活動場所として使わせてもらえるようになったんだ」
「そうなんだ。遼くん、本当に立ち上げ頑張ったんだね」
「お兄ちゃんって一極集中型だからなぁ」
三人は第二音楽室へ足を踏み入れた。
すでに会員たちが楽器を鳴らしていたらしい。ドアを開けた途端、ギターやドラムの音が混じり合った賑やかな音が、一気に侑子の耳へ飛び込んできた。




