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――怖かった


 見覚えのない町並み。


 異様な外見の人々。


 知っているものは何もなく、唯一自分の意思で動かせる身体だけで、我武者羅に進んだ。

 どこかに出口があるような気がして、そんな頼りない小さな希望だけを信じて、気力を奮い起こしながら、とにかく歩いた。

 そんな気力も尽きかけた時、大きな手で掬い上げてくれたのが、目の前の男だった。


 侑子は膝の絆創膏を人差し指でなぞりながら、すっかり落ち着いた心を確かめるように、ユウキを目で追っていた。

 彼は今、大きな鞄の中から、正方形の黒い箱を取り出している。


「そろそろ準備を始めるよ」


 にっこりと侑子に笑いかけると、箱を開ける。箱の中身を覗きこんだ侑子は、わぁと思わず感嘆の息を漏らした。


「すごい。これ本物の宝石?」


 箱の中には、色とりどりの美しい石で彩られた、指輪やピアスなどの装飾品が入っていた。どの石も大きく、金銀の繊細な細工で縁取られていて、光を受けると艶やかに煌めいた。侑子には価値はわからないが、きっととても高価なものなのだろう。おもちゃには見えなかった。


「天然かどうかって点では、残念だけど全て人工物だよ。だから価値はとても低い。成分は変わらないはずだけど。土台の金も銀も同じ。俺が作ったものだから。()()()()


 反応を予想しての言葉だったのだろう。案の定驚いて目を真ん丸にする侑子を見て、ユウキは声をあげて笑った。


「俺は身に付けるものを作るのが得意って、言ったでしょ? 宝飾品も同じ。こういう繊細でゴテゴテしたものは特にね」


 赤い楕円形の石の周囲に沢山の青い石を配したピアスを両耳につけながら、ユウキは話す。


「この指輪を見てごらん」


 侑子の右手を取り、大きな宝石のついた金の指輪を彼女の人差し指に通した。

 羽を広げた鳥の背に、大きな青い宝石が配されたデザインだった。宝石は深く濁りのない美しい青色をしており、複雑なカットを施されて光を浴びる度に煌めいた。

 じっと見入る侑子の顔の上に、石が反射した七色の光が踊る。


「どう思う?」

「すごく綺麗。キラキラ輝いて……眩しいくらい。それにこの鳥、とても可愛い顔をしてる」


 侑子は自然と笑顔になる。大きな宝石を背に乗せる鳥の口許が、微笑んでいるように見えたのだ。


「綺麗なものを見ると、心が沸き立つよね」


 ユウキは箱の中に残る指輪を、両手の指にどんどんはめていく。


「きらきらするもの、可愛いもの、魅力を感じるもの。心を良い方へ動かすものを見ると、魔力は上がる」


 魔力、という馴染みのない言葉に、侑子は指輪から顔をあげてユウキを見た。


「魔力が上がると、魔法を使った時、その効果がより強くなる。だから人は、自分が美しいと感じるものを身近に欲しいと思うんだ」


 ユウキは自分の灰色の短髪に両手で触れ、一瞬の後に腰までの長髪に伸ばした。そして同時に、その髪色は透き通るような薄い水色へと染まっていった。眉も睫毛も同じ色に変化したので、顔の印象ががらりと変わる。

 驚いて目を離せなくなっている侑子に微笑んで、今度はベンチの後ろに落ちていた小枝を拾いあげた。

 その枝を一撫ですると、先程の侑子の靴を出現させた時と同じように、光の粒が枝を包み込んだ。光が消え去った時にユウキが持っていたのは、一本の銀の(かんざし)だ。一方の端には、ピンポン玉大の丸く艶やかな青い玉がついている。玉を半分ほど包み込むように銀細工の繊細な小花が散らされ、玉と棒の繋ぎ目あたりから、細長い銀の筒状のビーズが、いくつも垂れ下がっていた。

 ユウキは慣れた手つきで水色の髪を高く結い上げ、仕上げに簪を挿した。侑子が見たことのない髪型だった。


「髪を結ぶのも、魔法でするんだと思ってた」


 まるで魔法のような手つきではあったが。

 褐色の長い指が水色の髪の上を迷いなく滑らかに動く様子は、とても鮮やかに侑子の目に映った。


「自分の手を動かすのも好きなんだよ。魔法は便利で早いけれど、やっぱり手を動かして作り出したものが一番美しいと思うから。それに、作っている時間はとても楽しいしね」


 ユウキが首を傾けると、簪のビーズがシャラシャラと涼しげな音を立てた。


「魔法は心で描いた通りの物を作れる。ほんの一瞬で。だけど手で一から作り出したものは、なかなかそうはいかない。だからこそ面白いし、気づかなかった美しさを見つけられる。俺はそういうのが好きなんだ」


 再び鞄の中を探りだしたユウキの隣で、侑子は胸が暖かくなるのを感じた。

 今彼が口にした言葉に、共感するものを感じたからだった。この訳の分からない不思議な場所において、誰かと同じ感情が自分のなかに生まれたことが、純粋に嬉しかったのかも知れない。


「私も」


 素直に浮かんだ言葉を口にした。大きな宝石が輝く指輪を見つめ、そしてその手をひっくり返して掌を見た。


「作るのが楽しいの、分かる。私も作ることが大好きだから」


 あみぐるみを編んでいる時のことが、頭に浮かんでいた。お気に入りの道具と、自分で選んだ糸を使って形にしていくその工程。それは時を忘れる程、楽しい時間だ。編み針が糸をすくいとり、編み目をひとつひとつ作り出す感触は、例えようもなく気持ち良い。空っぽの身体の中に、綿をぎゅうぎゅうに詰め込んでいく作業は、わくわくした。ばらばらの手足と胴体を繋ぎ合わせる時には、緊張もしたけれど、早く一つにしてあげたくて、いつでもとんでもなく集中した。目や鼻、口をつける時にはいつだって笑顔でいたものだ……それは侑子にあみぐるみの作り方を教えた母の言葉が、いつも脳裏に浮かんでいたから。


『作ったものを笑顔にしたい時には、自分も笑っていないとね』


 出来上がったあみぐるみは、いつでも描いていた完成像からは、少し外れていた。全く同じ材料で再び作っても、同じようには出来ない。

大きさが微妙に変わったり、表情が違うのだ。

 初心者の頃には、思うように作れないことが気に入らなくて不機嫌になったものだが、作っている時の楽しさが忘れられず、再び最初から作り始めてしまうのだった。

 そしてやがて、作るということはそういうことなのだと分かってきた。


「ユーコちゃんも作る人なんだ?」

「うん。作ること大好き」


――何を思い浮かべたんだろう


 屈託なく向けられた笑顔に、ユウキは些か驚いた。自分に対しては大分警戒心を解いていたし、むしろ好感も与えていた確信はあった。しかし侑子のこんなに素直で大きな笑顔は、この時初めて目にしたのだ。


――やっぱり、人の笑顔はいいものだな


「ユーコちゃんありがとう。魔力上がった」

「え?」

「メイクも自分でやろうと思ってたけど、そろそろ時間だ。魔法で一気に終わらせる」


 膝の上に広げ始めていた化粧道具を鞄に戻すと、ユウキは顔を両手で隠す。そして覆っていた両手を開くと、そこには更に風貌の変わった彼の顔があった。

 紫と青が複雑に混ざり合いながらグラデーションを作るアイシャドウ。目尻に向かって大きく跳ね上げたアイラインは、エメラルドグリーンだった。星屑をそのまま散らしたような大小のラメが、目元を賑やかに煌めかせている。頬は青白く神秘的に輝いていた。唇は深い紫色にも、血を混ぜたような深紅にも見える。


「びっくりした?」


 手鏡で仕上がりを確認しながら、ユウキは侑子にたずねる。

 しかし侑子は、一言も発することができなかった。

 再び腰を抜かしたかと思うほど、仰天したのだ。

 たった今ユウキに対して深い共感を覚え、喜びを感じるほどに気を許した直後だったというのもいけない。完全に油断をしていて、意表を突かれた。


「……ほんとに、本当の本当に、ユウキちゃん?」


 声を震わせて確認する侑子に、ユウキは罪悪感を覚えた。

 化粧だけならまだしも、()()()も突然変えてしまったのは、やりすぎだったかもしれない。

 驚かすつもりが、完全に怯えさせてしまっている。


「ごめんごめん、ほら…………俺だよ。ユウキちゃんだよ」

「!!」


 追い討ちをかけただろうか。侑子は目を剝いて固まった。


「ごめん。びっくりさせたよね? これは………これはもう一つの俺が得意な魔法。こういう特殊な魔法の特技のことを、『(マタナ)』って呼ぶんだよ。才能の才と書いて(マタナ)……俺のは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(マタナ)


 ユウキは地声と異なる別人の声を、文節ごとに細かく入れ換えながら、侑子に解説した。

 ユウキの本来の声は、低く男性らしい音だ。しかし魔法で変えた声は、高く可愛らしい、鈴の音の様な少女の声。肉体だけの技術で、どうこうできる声の変化ではなかった。

 それが分かったのだろう。だからこその侑子の驚きっぷりだった。


「え……魔法? それも魔法だったの? びっくりした……ユウキちゃんが突然消えたのかと思った……」


 しばらく地声で話しかけ続けているうちに、ようやく納得したのだろう。侑子は長く息を吐いた。それに続けて呟いた一言に、ユウキは更に申し訳なくなった。


「怖かった……」


 おそらく侑子は、よっぽど恐ろしい目に遭った直後だったのだろう。傷だらけで汚れていた状態を整えてやったのは自分だが、失念しかけていた。


「ごめんね、ユーコちゃん。怖がらせるつもりはなかった。お詫びにはならないかも知れないけど、ちゃんと楽しませるから」

「ううん。私こそごめん。はは……声が変わるのって、すごい変化なんだね。見た目以上にびっくりしちゃって……その……ただの魔法なのに」


『ただの魔法』の部分は、かなり無理して言葉にした感じがあった。

 侑子はなぜこんなに魔法に対して耐性がないのだろう。まるで初めて見たかのような反応を繰り返す。

 ユウキは気の毒になる一方で、かなり侑子に興味を引かれていた。怯えた顔はさせたくないので、無理に事情を聞き出すつもりはなかった。しかし先程の会話のなかで聞いた、『作ることが好き』という話と、屈託なく向けられた笑顔が気になって、もう少し一緒にいたい気持ちになっていた。


――そもそも彼女には、どこか頼る場所があるのだろうか? そんな風に見えないのだが


 考えを巡らせていると、常連客たちが自分を呼ぶ声が聞こえてきた。


「ユウキちゃんだ!」

「そろそろ始まるー?」


――時間だ


 ユウキは肩から全身をくるむように羽織っていた、長い衣の結び目を解いて脱ぎ去った。

 脱ぐといっても、身体に巻き付けていただけの長い一枚の布なので、すぐに身体から滑り落ちていく。

 下に身に付けていた普段着を、埃を払うように一撫でして衣装に変えた。踵を軽く打ち鳴らすと、履きつぶしそうなスニーカーは衣装と揃いの靴に変わった。

 ユウキは脱ぎ去った柔らかな長い布を侑子の肩に掛けると、そのまま彼女の身体をおおうように緩やかに二巻きした。

 一番外側に来た布端を手で固定し、侑子の右人差し指の指輪を抜き取って、布端にあてる。光の粒が僅かに沸きだし、すぐにそれは指輪からブローチへと形を変えていた。鳥が羽を広げて宝石を乗せているデザインはそのままだ。


「終わるまで、指輪と布、預かっててもらえるかな?」

「あ……うん。分かった」


 また魔法を見せられただけにしては、表情が固いことが気になった。

 侑子が頷いたのを確認すると、ユウキは笑顔で片手を差し出す。


「それではお嬢さん、最前列へご案内しますよ」


 おどけたような口調だが、それはユウキの声だった。侑子は自分を気遣ってくれているのが分かり頷いた。「手を重ねて」と囁くユウキの言うとおり、自分の手を差し出された褐色の手の上に乗せた。

 そのまま噴水前の最前列へと、侑子は誘われていったのだった。

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