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不意打ち

――あつい


 頭に浮かんだのはその感情だけで、次に把握したのは凶暴なまでの赤い光だった。

 目の前に広がる一面の火の海。その炎は、彼が今までの人生の中で目の当たりにしてきた炎の類――コンロの炎や、キャンプファイヤーの炎とは全く異なる形状をしていて、視界いっぱいに広がる巨大な熱の固まりだった。


――焼かれる


 声を出そうにも、あまりの熱さで息を吸うことも吐くこともできなかった。


「あ……あぁ……」


 開口したまま喘いで、漠然と死を連想した。

 しかし意識を手放す前に、そこが炎に包まれた建物の内部で()()()()()と彼は気づく――――一瞬の後に、建物の外側に投げ出されたからである。


――なぜ?


 なぜ足を一歩も動かさないままに地表に叩きつけられているのか。全く分からない。焼きつける熱さから解放されたことと、打ち付けた身体の痛みが本物であると理解しただけである。

 吸い込む空気は冷たくて、身体に取り込めば取り込むほど、少しだけ五感がはっきりしてくる。激しく咳き込みつつ、本能のままに荒い呼吸を繰り返しながら、彼は立ち昇る巨大な火柱を見上げた。その中に誰かの腕が見えた気がして、やはりそれは崩れた木片だったのかもしれないと思う――――彼の意識は、そこでぷつりと途切れたのだった。




◆◆◆




 侑子がジロウに事務所へ呼び出されたのは、変身館の前でリリーとエイマンを見送ってから、一週間が過ぎた日のことだった。

 あの日エイマンが言っていた通り、リリーが非番になった分の穴埋めは、ほぼユウキたちが引き受けることとなった。まだバンドメンバー同士知り合って間もなかったが、彼らの演奏は少しの綻びも見せず、客からの評判も上々だった。侑子も昼間のステージで度々一緒に歌うので、すっかりこのメンバーで過ごす時間に馴染みきっていた。


「どうしたんですか」


 買い出しや雑用などの言伝ならば、わざわざ事務所に呼び出されることもない。あえて人払いしたと分かる静まり返った事務所に入ると、自然と声が小さくなった。普段だったらこの部屋には、ジロウの他にもライブハウスのスタッフが常駐していて賑やかなはずなのに。


「うん、ちょっとね。あまり人に聞かれないほうがいい話をしたくて」


 やはりそういう事情での呼び出しだったらしい。侑子がかしこまった表情になると、ジロウは僅かに首を振った。


「構えなくていいよ。俺もたまげたけど、嫌な話ではないから。むしろわくわくする話だぞ? 今日、もう少ししたらエイマンくんとリリーが帰ってくるよ。こっちに着いたら、まっすぐ屋敷の方に向かうって」

「そうなんですか」


 エイマンから聞いた話だと、年末まで留守にするとのことだったが、早めに帰ってくるらしい。

 それにしても、わくわくする話とはなんだろう。


「それでな。エイマンくんたち、どうやらお客さんを一緒に連れてくるらしいんだ。それがユーコちゃんと同郷の人だって言うんだ」


 侑子は驚愕した。告げられた言葉の意味を理解するのに、思考が追いつかない。


「……トコヨノクニから来た人……ってことですか?」

「そういうことらしい。いやあ、驚きだよな」

「……」


――同じ世界からやってきた人。どこから? リリーさんの家から? 私と同じドアを通って来たの?


 言葉で追いつかない考えがぐるぐると頭の中を巡って、侑子は無言になってしまった。

 ジロウはそんな彼女の様子を見て、困ったように笑った。


「そりゃあ、そんな反応にもなるか。突拍子もないし」


 まあ座りなよ、と侑子にソファを勧めたジロウは、彼女にココアの入ったカップを持たせる。甘い香りが湯気と共に立ち上った。

 ジロウはローテブルを挟んで侑子の向かい側に座ると、いつものように気楽な調子で説明を始めた。


「リリーの家族が五年前の政争の時から行方不明になっているのは、知っているな? ずっと居場所が分からないままだったんだが、ようやくエイマンくんが足取りを掴んだんだよ。それでその場所へリリーを連れて向かったんだけど……」


 リリーの家族が暮らしていた場所は、火災で燃えた後だったという。焼け跡からリリーの家族の遺体は見つからなかったことから、全員無事であることは分かったらしいが、再び行方は分からなくなってしまった。


「その火災現場近くで倒れているところを、発見されたらしい」

「えっと……じゃあ」


 リリーの部屋のドアから出てきたわけではないらしい。エイマンとリリーが訪れた街というのは、この央里からかなり離れた場所であることは、侑子も確認済みだった。元いた世界の場所と合致するのは、鹿児島県だ。


「倒れていたって、火事に巻き込まれたってことですか。大丈夫だったんですか?」

「火傷や擦り傷があちこちにあったようだが、どれも大きな怪我ではなかったらしいよ。エイマンくんが面会した時には、既に治癒済みだったって」

「そうですか……」


 同じ世界からやってきた人が他にもいたら。そんな風に思ったことは今までいくらでもあったのに、現実になった途端に実感が湧いてこない。

 ジロウは今話したこと以外にも、その人物に関して情報を持っているだろう。侑子は根掘り葉掘り聞き出したいという思いが頭のどこかにありつつ、なぜか言葉には出せずにいるのだった。


「どんな人だろう」


 そう口に出すのが精一杯だった。


――変なの


 もしかしたら、怖いのだろうか。この世界にやってきて、想像を上回る現象ならいくらでも目の当たりにしてきたが、まだ自分の想像の上を行く出来事が起こるとは、考えていなかった。そんな事態が自分と同じ世界からやってきた人物によってもたらされるだなんて、完全な不意打ちだ。


「会ってみれば分かるさ。俺もさ、早く会ってみたいんだよな」


 ジロウは大きく笑った。侑子のことを安心させようとしているわけではなく、本心から楽しみにしているのだろう。侑子は励まされるように頷いた。



◆◆◆



 ユウキのバンドメンバーの内、ジロウの屋敷に寝泊まりしているのはアミだけだ。ミユキとショウジ、レイはそれぞれ央里内の家族の待つ家へと帰っていく。

 今日のステージは夕方で終わった。こんなに早い時間に帰宅できるのは、リリーの出演分をカバーしていたここ最近では珍しい。

 侑子は夕食の時間を超えてライブハウスに留まることはないので、最近はユウキやアミより一足先に帰宅する日々だったが、今日は久しぶりに三人並んで帰路を歩いている。


「ユーコちゃん、緊張してるね?」


 アミが笑った。

 昼間は雪が舞っていたが、積もることはなかったらしい。足元の歩道は解けた雪に濡れたまま、街灯に照らされて艷やかに光っていた。


「初めて会う人だから……ううん。久しぶりに会うから、かな。同じ世界を知っている人と」


 そういえば元いた世界の自分は、今よりも内気で人と会うことに対して、いつだって緊張しがちだった。


「本当は楽しみなはずなんだけど。でも、ちょっとだけ怖い」


 これから会うのは、内気で口下手な数ヶ月前の自分ではない。同じ場所から来たというだけで、おそらく全く知らない赤の他人のはずなのに。なぜだかそんな他人を、侑子は過去の自分と重ね合わせてしまうのだった。


「大丈夫」


 ユウキが言った。その声はいつものように優しく、侑子の耳に馴染むように響く。


「あれこれ考えている時ってのは、一番怖く感じるものだよ。だけど実際にその時になってしまえば、どうってことない。むしろ楽しいかもしれない。俺も君も、つい最近そんな体験をしたはずだ」


 謝恩会と噴水広場の風景が脳裏に蘇る。頷いた侑子は、歩幅を狭めないように意識して、一歩一歩進んでいった。

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