おそろいの鱗
その日は爽やかな秋晴れになった。
侑子はノマに選んでもらった紬の着物姿だ。この世界では、普段着として着物を身に着ける人が少なくない。そしてその着こなしは、着物について知識のない侑子から見ても、かなり自由であることが分かる。動きにくそうというイメージを覆すのに十分だった。着付けなど全く分らない侑子だったが、こういう時に魔法は便利だ。ノマに手伝ってもらって一通り手順を覚えた後は、細かい微調整は魔法で行う。ノマの手さばきを思い返しながら念じていれば、美しい形に整えることができるのだった。
侑子は自力で着ることができるようになってから、よく着物を身につけるようになっていた。初めはその色柄の美しさが気に入ったからだったが、次第に着物を身に着けている時に歌うと、声が気持ちよく伸びていくということに気がついたのだ。服の構造や帯の効果で、背筋が自然と伸びるからかもしれない。
「ユウキちゃん。緊張してる?」
ユウキは先程から手に乗せたクマのあみぐるみを撫でていたが、心はどこか遠くに出かけているようだった。彼にしては珍しいほどにぼうっとしている。侑子から声をかけられ、苦笑いを浮かべた。
「そうかも。いつもだったら着替えてメイクして……その間に気持ちを作っていたんだね。思い知ったよ」
彼の方はいつもと全く変わらない普段着姿だ。ジーンズの上から硝子の鱗を縫い付けた腰布を巻いているだけで、変身館で歌う時と変わらない。侑子がすっかり見慣れている姿だった。
「一番はじめの踊りはするんだよね」
これからの手順を確認するつもりで、侑子は訊ねた。
「うん。本当はそれもなくしちゃおうかとも思ったけど、あの舞いをやっておかないと、観客は俺だってことに気づいてくれないかもしれないから。それにね、舞いって場の空気を整えるんだよ。やった方がいいんじゃないかと思い直した。それから一番最後の歌。あれもそのまま、いつも通り」
ユウキが曲芸の最後にいつも詠唱する、和歌のことだ。侑子は頷いた。
「おまじないだよね。お客さんとユウキちゃんに良いことが起こりますようにって。そのままがいいと思う」
あの和歌の詠唱は、元々ユウキが才を使わずに行っていたものだし、無理になくしてしまう必要はないだろう。
「ユーコちゃんにも、だよ。今日は二人で歌うんだから尚更」
微笑んだユウキは台の上にクマを立たせると、足元でじゃれ合っていた他のあみぐるみ達もすくい上げて移動させた。
「お前たちも、よろしく頼むな」
ぴぃぴぃと甲高く気の抜けた音で返事をするあみぐるみたちは、今日は十体以上連れてきた。小さな台には納まりきらない大所帯だ。台の上だけでなく、観客の側近くでも踊ってもらう手筈になっている。
「時間までまだあるな。身支度整えないだけで、こんなに持て余すとは思わなかった。そうだ! ユーコちゃんの髪やらせてよ」
ユウキが気を取り直したような口調で提案してきた。侑子が着物を着る時は、ノマが教えてくれたかんざしを使った簡単なアップスタイルか、いつものおさげ髪だ。今日も緩く編んだ髪を横に垂らしただけの簡単なものだったが、ユウキの指が結紐を解くと、あっという間に癖のない黒髪が背に広がった。
「手を動かしたいんだ。ぼーっとしてると、余計なことばかり考えてしまう」
手櫛で整えられながら、地肌が濡れて、すぐに乾いたのが分かった。
侑子には到底真似ができそうにない程の素早く正確な手さばきで、魔法が使われていた。人に髪の毛を触られるのは、緊張するがどこか心地よい。秋の日差しは爽やかで心地よく、目を瞑るとウトウトしてしまいそうだった。
「出来上がり」
強く髪を引っ張られた感覚は伝わってこなかったのに、侑子の髪はきっちりと編み込みが施された、複雑な形に纏め上げられていた。手鏡だけでは後頭部まで確認できないが、自分では再現不可能なヘアスタイルになっていることは間違いない。
「そうだ。あとこれも」
突然の思いつきだったのだろう。ユウキはそのアイデアに満足したのか、微笑みながら侑子の帯に人差し指で触れた。侑子はこの悪戯そうな笑顔には見覚えがあった。初めてこの広場で彼の曲芸を見た時に、マリオネットを侑子に似せて変身させた時のあの顔だ。
「わぁ」
ユウキの魔法で変化したのは、帯締めだった。薄い水色の帯締めに、いくつもの硝子の鱗が光っていた。規則的に並ぶその鱗の色合いは、ユウキの腰布の鱗と揃いであることが分かる。
感嘆の声を上げた侑子を見て満足げに笑ったユウキの表情には、先程までの硬い緊張感は見当たらなかった。
「一緒に歌うなら、お揃いがいいよ」
「ありがとう」
侑子の足元であみぐるみたちがぴょんぴょん跳ねている。彼らの身体にも、同じ鱗が光っていた。
◆◆◆
そうこうしている間に、広場にはユウキの曲芸目当てと分かる人々が集まりだした。常連客たちだ。彼らは素顔のユウキを知っている者が多い。やってくるとまず声をかけに来てくれる。
そんな中、「まだ化粧してないんだね」と何気なく訊く者が現れ、それに対するユウキの返答に驚きの声が広がっていった。『玉虫色の声』を封印した舞台。それはこの噴水広場では初の試みで、ユウキの素の声だけの舞台を知らない客も多かった。もちろん変身館へ出入りする客もいたが、そんな彼らもたまげている。
「ライブハウスとは趣向を変えてやるつもりです」
「それもそれで楽しみだけど……あ、彼女は変身館でも一緒に歌っていた子かな」
若い客の一人が侑子に視線を向けた。謝恩会の後にも何度か変身館で歌う機会があった侑子に、見覚えがあったのだろう。改めて挨拶した侑子に、その客は明るい笑みを返した。
「君も歌うのか。それは楽しみだな。良い声だったものな。今日は衣装も変身館とは違うんだね。素敵だよ」
予想外の褒め言葉に赤面して狼狽えた侑子だったが、噛みながらもしっかり謝意を伝えることは忘れなかった。その様子にユウキが吹き出す。
「どさくさに紛れて口説かないでくださいね」
からかうようなユウキの言葉とタイミングを合わせたように、あみぐるみたちが飛び跳ねる。その場は和やかな雰囲気に包まれた。
侑子は、きっと大丈夫という予感を確かなものに変えるために、ユウキの緑の瞳を見上げた。




