表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/115

鎧の外側

 ユウキと二人連れ立って街の中を散歩するのは、侑子の日課だった。早朝だったり昼間だったり、時には夕食後のこともあったが、二人は時間を見つけては必ず日に一度は散歩にでかける。遊園地の中を縦横無尽に歩き回って遊んだ夢の記憶と重なって、二人の歩は自然と弾むように楽しげになるのだった。

 しかしこの日の侑子は、どうしても足取りが重たいままだった。エイマンから聞いた一連の話が、ずっと頭から離れない


――金のバッジをつけた、沢山の人の顔。此方に向かって親しげに笑う人々


 侑子と同じ世界を知っている彼らは今もう、侑子と同じ空気を吸うことは叶わない。死の世界へと一人残らず旅立っているのだから。

 どこに目を向けても、平和な日常の時間しか流れていないように見えるヒノクニ。しかしそんな国は、少し前まで戦場だったのだ。


――今私が踏みしめる地面に、誰かの血や涙が散ったのかもしれない。耳に入る人々の日常の喧騒は、悲鳴や慟哭だったのかもしれない


 そんな空想で頭がいっぱいになってしまう。


「ユーコちゃん。大丈夫?」


 足を止めたユウキが、覗き込んできた。今日のことをかいつまんで話していた侑子は、続きをどういう言葉で説明しようかと考えて、沈黙していたのだ。侑子の説明は、研究施設への襲撃事件で来訪者たちが殺されてしまったところで途切れていた。


「この公園、覚えてる? ちょっとそこで座っていこうよ」


 ユウキが示したのは、侑子が初めて変身館で歌う彼を見た夜、二人で話をした小さな公園だった。侑子とユウキは、あの日と同じように、丸太の遊具の上に並んで腰を下ろした。


「エイマンさんはきっと、今日ユーコちゃんに説明するために色々準備したんだろうね。お父さんに当時のことを突っ込んで質問しただろう

なぁ。……知らなかったよ。トコヨノクニからやってきた人が、そんなに沢山いただなんて」

「ジロウさんも同じこと言ってた」


 侑子の左腕には銀のブレスレットが光っていた。二人の視線は自然とその魔道具へと注がれた。


「それにしても酷い皮肉だ。彼らを護るための道具だったはずなのに」

 

 金のバッジのことだろう。ユウキの表情は険しく、その指先がブレスレットに触れる。


「……政権が変わったからって、政治家なんて信用できない。あの政争は空彩党の人間だけが起こしたものじゃない。今この国の政治を動かしている平彩党員の多くだって、あの政争に関わっていたんだ」


 ほんの一瞬侑子を捉えたユウキの視線は、真っ直ぐ前へと向いた。その声は侑子が久しぶりに耳にする、魔法を使った声だった。


「この(マタナ)

 

 その声は侑子のものだった。確かに自分の声だと分かるが、普段は内側から聞いているので、どこか違って聞こえる。


「珍しいんだ。(マタナ)と称される魔法はどれも珍しいものだけど。人間の肉体や身体の組織を意図的に変化させることのできる種類の(マタナ)は、特に珍しいと言われてる。どれも一般的な魔法での再現が難しいから。俺の(マタナ)は、人の身体の機能――声を自在に他人に変えられる。誰が名付けたのか知らないけど、『玉虫色の声』って呼ばれる(マタナ)なんだよ」


 説明の途中からユウキの声に戻っていた。薄く笑ったその表情には、どこか冷めたような哀しさが浮かんでいる。


「五年前の政争のさなか、俺の(マタナ)の噂を聞きつけた政府の人間が、何人も協力を仰いできた。その時の俺は今のユーコちゃんと同じくらいだよ? そんな子供に平然と『諜報活動に参加しないか』って誘いをかけてくるんだ」

「諜報活動……」

「声を他人に変えられるんだ。そりゃあ利用できる場面が多いだろうね。当時の俺にだって簡単に納得はできた。空彩党のやつらも、奴らに敵対してた側のやつらも、他にも政争の仲裁を画策してるっていうやつらもいた。全てジロウさんが追い払ってくれたけど」


 ジロウが『子供相手になんて話をもちかけやがる!』と怒鳴り散らした話をしたときだけ、ユウキは優しい表情に戻った。


「政争がなんとか収束を迎えた後も度々誘いが来た。今年は学校を卒業する年だったから、尚更多かったね。王府からも来たよ。うちの職員になりませんかって。しかもどれもかなり条件が良いんだ。給料だって申し分ない。けど全部断った」


 淡々と語るユウキの口調は落ち着いていて、表情から読み取れる感情もなかった。時折侑子のブレスレットに目を落としながら、彼の言葉は続く。


「ユーコちゃんはよく知ってるだろう。俺がそもそも(マタナ)を使うことに、良い感情を持っていなかったこと。それなのにそんな魔法を使うことを生業にしてしまったら、きっと俺はおかしくなる。だから(マタナ)を使う仕事に就くつもりはないんだ。ましてや政治に関わるなんて、まっぴらごめんだ」


 夜の公園には深まった秋の空気が立ち込めており、僅かに肌寒い。前回この場所に座った時は夏だった。季節が移ろったことを侑子に感じさせた。


「……あの政争でこの街はあまりダメージを受けなかった。王都は戦場になることがなかったから。だけど皆、誰もが心を痛めた。無関係でいられた人間なんて、きっと誰一人いない。ノマさんは家族を亡くしているし、リリーの家族は今も行方不明。ジロウさんも変身館の営業がずっと出来ないでいた」


 侑子はどんな言葉を発して良いものか、すっかり分からなくなってしまった。ノマとリリーという、身近な人達が味わった悲惨な事実を、今まで知りもしなかった。そのことへの罪悪感と羞恥心が胸の奥の方で疼くのを、ただ感じていた。


「毎日誰かが近くで泣いていて、ニュースでは何人死んだって一日中報道してる。そんな日々が終わりも見えずに続いていて、たまに俺の(マタナ)をぜひ有効利用させてくれって奴らが、ニコニコしながらやってくる。嫌になるんだ……絶対に、絶対に俺は、こんな争いに俺たちを巻き込んだ奴らのために働かない。そんな気持ちばかり強くなった」


 唐突にぎゅっと手を握られて、侑子はユウキを見た。街灯の光の下では、緑の瞳は暗くて色がよく分らない。


「利用させない。俺のこの声も、君も」


 ふつふつと湧き上がる怒りを抑えた声だった。ユウキのこの顔と声の調子に、侑子は覚えがあった。この公園に前回来たあの夜も、彼はこんな表情でステージで歌っていたのだ。


「ユーコちゃんが魔法を使えるようになった夜に、すぐに駆けつけてあげることができなかった。あんな風に遅れをとらないように気をつけるから。だから少しでも変なことに巻き込まれそうになったら、すぐに俺を呼んで」


 握った手と真剣な声はそのまま、ユウキの顔が曇った。侑子は慌ててうなずいて、「約束する」と言った。吸い込んだ空気はとても冷たかった。


「ごめん」


 手を離したユウキが、ようやく相好を崩して、少しだけ気まずそうに笑った。


「五年前のことを思い出すと、腹が立ってくるんだ。俺は母親とはずっと縁が切れてて、身近な大切な人達は皆無事だったけど。その人達の大切な人や家族は、死んでしまったり酷い目に遭ってた。ただ悲しんでいる彼らを見ていることしかできなかった。その上大嫌いな(マタナ)を使って、あの争いの原因を生み出してる奴らに加担するぐらいしか出来ることはなさそうだった。悲しむ人に寄り添いたかったけど、そうする資格が自分にあるのか自信がなくて、そんな自分が腹立たしかった。そんな自分に仕立てている、この(マタナ)が憎かった」


 おもむろに宙に向かって何かを描くように両手を動かしたユウキの顔を、光の粒が明るく照らした。その表情が、いつものユウキの優しい顔であると侑子が認めるのと同時に、粒は弾け飛ぶ。彼の手の中に、白い布がふんわりと落ちてきた。魔法であっという間に出現したそれは、ユウキが大きく広げると、温かそうな毛織物であることが分かる。ショールに丁度良さそうな大きさのその布を、侑子の肩に羽織らせると、ユウキは再び口を開いた。


「ユーコちゃんはトコヨノクニからやってきた人。この国にとって、それだけで特別な存在であるのは確かだよ。だけどそれ以前に俺にとって君は、ずっと同じ夢を共有してきた大切な人だ」


 白い布は柔らかく、繊細な布目の間で温められた空気は、優しい熱で侑子を包み込んでいる。見上げたユウキの顔にも、この柔らかい熱が伝わればいいのにと侑子は思った。


「そんな君を利用されてたまるか。政治家も、国も、王さえも。俺は信用できない」


 そこまで言ってから、ユウキは自嘲するように呟く。


「……俺だって、自分の願望のために君が来たんじゃないかって思わないでもなかったけどね。でもユーコちゃんが楽しそうに笑って、この場所で暮らしていけるなら、それが一番良いって思うんだ。そのために出来ることがあるのなら、なんだってしてあげたい」

「ユウキちゃん」


 丸太から立ち上がり、向き合うようにして侑子は口を開いた。


「私、ユウキちゃんのことをこの世界で一番信頼してる。本当だよ。だってユウキちゃんはずっと前から本当の私を知っていたんだから」


 今度は侑子の方から、ユウキの手を取った。自分の手よりもずっと大きなその手を、侑子の両手は包み込むことはできない。ぎゅっと両手で握るようにして力を込めた。自分の手のぬくもりが、ユウキの冷たい手にも伝わるように。


「ユウキちゃんに会えなかったら、この世界のことをこんなに好きになってなかった。だってユウキちゃんが歌おうって言ってくれたから、歌えるようになった。歌えるようになったから、毎日がこんなに楽しいんだもん」


 以前の世界での自分よりも今の自分の方が、色々なことを無理していない。そんなふうに侑子は感じるのだった――――兄と二人で家庭を回していく自分。親戚の中で手のかからないいい子でいる自分。学校の中で程よくやり過ごす自分……そのどれもが、今のこの世界には必要のないものだった。

 以前ユウキは、自分の(マタナ)のことを、『便利な鎧』と呼んだ。侑子にとってのかつての他人のための自分も、きっと鎧だったのだ。

 身体の内に流れる魔力を外へ放出させたのと呼応するように、内側に隠れてきた本来の自分が表に出てきた。侑子はそう確信していた。


「ありがとう」


 二人の声が重なって、思わず笑い出す。

 立ち上がったユウキが横に立つと、薄暗い夜の闇の中、侑子はあの夢の景色とそっくりだと思うのだった。


「どうせこの(マタナ)を使って金を稼ぐのなら、ついでに誰かを……できれば街中で普通に生活している人たちを、てっとり早く笑顔にできることがいい。そう考えて曲芸することを思いついたんだ。小さい頃にジロウさんが連れて行ってくれたサーカスを思い出したんだよ。マリオネットを操って、歌や踊りを見せる芸人がいてさ。とても印象に残っていて。歌うことは好きだったし、あれなら俺の(マタナ)も活かせるかもって思ったんだ」


 公園を後にして、再び歩き出しながらユウキは続けた。


「……まあ結局、(マタナ)の歌声が称賛されればされる程、苦しくなっちゃったわけだけど。だけどそんな苦しみからも、もうすぐ解放されるのかな」


 明日は噴水広場で歌う日だった。ユウキが素の歌声だけで歌うと決めた日。侑子も隣で歌うと決めていた。提案された時の自分からは、考えられないことだったが、侑子はあの広場でユウキと並んで歌う自分の姿を、とても鮮明に想像できるのだった。


「私も一緒に歌いたい」


 頭上には星空が広がっている。瞬く星の光と月明かりに照らされた道を進みながら、侑子は確信を胸に抱くのだった。


「一緒に歌ったら、きっととても楽しいよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ