金の印
「ここからもっと辛い話になるけど、大丈夫?」
気遣うように覗き込まれ、侑子は顔を上げた。
正直気分は最悪だったが、ここで中断する気持ちにはならなかった。
「さっきエイマンさん、『彼女は事故では死ななかった』と言ってました。気になっていたんです。金色のバッジをつけた人……写真で見ただけでも、沢山いましたね。あの人達が今誰も生きていないっていうのは、この後に何か事故があって、皆その時に亡くなってしまったってことなんじゃないですか」
想像しうる最悪の事態を自ら口にした。この後語られる悲惨な現実から受けるであろうダメージを、最小限軽くしようとしたのだ。これは無意識の自衛行為だった。そしてそれが意味のある行為だったのかそうでもなかったのか、その後分かることはなかった。
「事故、というのは違う。だけど君の推測は当たってるよ……残った彼らは同じ日、同じ場所で亡くなったんだ。それはあの政争の始まりとなった事件――『来訪者解放事件』が起こった日だった」
エイマンの言葉に、侑子は自分の予想から大きく外れた点の意外さに、目を見開いた。
「五年前?」
政争の始まりということはつまり、二十年前ではなく、ほんの五年前。そんなに最近まで、自分と同じ場所からやってきた彼らは生きていたのか。そして一斉に死んでしまった。
「そう、五年前。彼らは五年前もあの研究施設で働いていた。そして当時の野党派の武装集団が、その研究施設を襲ったんだ。名目は『来訪者たちの解放』」
侑子のようにトコヨノクニからやってきた人間のことを、『来訪者』という呼び方をするのだという。
「多くの来訪者たちがあの施設で働いていること、そして空彩党主導のもとで怪しい研究に従事させられているという噂は広まっていた。本来来訪者は大切に扱われるべき存在なのに、そんな彼らを搾取している。そのように受け取った人々が過激化し武装化して、施設を襲撃するに至った。あの頃空彩党は予算をますます軍備拡大に回すようになっていた上に、横暴さも目につくようになっていた。敵を作りすぎたんだ」
「でも、それならなんで死ななきゃいけなかったんです。来訪者たちは」
沢山の写真が貼り付けられて、本来の大きさよりも大分厚みが増している冊子。古びて波打った頁の端を見つめながら、侑子は言った。
エイマンは写真に写る、丸い金のバッジを指し示した。それは大きく丸く、何も装飾のないただの金色だったが、だからこそ目についた。明らかに目印となるように、意図的にそのようなデザインにしてあるようだ。
「これは研究施設内の人間を、来訪者とそうでない者と視覚的に分かりやすくするためにつけられた、印だったんだよ。そして同時に、君のその魔道具と同じ効果がつけられていたんだ」
侑子は左手につけっぱなしにしている銀のブレスレットを、反対の手で触れた。紐の二つの先端についた硝子の鱗を、指先で撫でる。その仕草は、いつの間にか気持ちを落ち着かせたい時にする癖のようになっていた。
「来訪者を見分ける最大の特徴とも言える魔力を隠されては、来訪者とそうでない者の見分けがつかない。事情を知らない外部の人間が施設を訪れても、研究目的が分からないようにしてあったんだ。そして襲撃事件の起こった時も、この印を彼らは身につけていた」
エイマンは侑子のブレスレットに視線を落としたまま、続きを述べた。暗い声音だった。
「……襲撃した者達の中に、この印が何を意味するのか、知っている者は誰もいなかった」
青ざめる侑子の顔を見て、エイマンは躊躇った。彼女の想像通りであろうこの先の話を、聞かせなければならない。
しかし数秒の間を置いた後、彼は続けたのだった。
「襲撃する側の止められない勢いと怒り、襲撃を受けた側の不意を突かれた焦りと混乱。全てが悪い方向へ働いた。結局施設で研究に携わっていたと見なされた者は、一人残らず殺されたんだ。魔力を隠された来訪者たちはきっと、襲撃者達が自分たちを解放しようとしていたなんて思わなかっただろうし、弁明しようとする余裕もなかっただろう。襲撃する側は、まさか金の印に防視効果が施されているという想定などしていなかった。怒りの勢いだけで突っ込んでいったのだから……」
涙が流れなったのは、エイマンの淡々とした口調のせいかもしれないし、どこかでまだ現実に起こった出来事として、捉えきれていないからかもしれなかった。
侑子はただ青い顔色のまま、沈黙することしかできないでいた。手の中の冊子をめくって、一枚一枚の写真に目を走らせる。その冊子に収まる全ての写真に、誰かしら来訪者が写ってることに、改めて気づく。古さを感じさせない、鮮明な写真だった。昨日撮ったばかりだと言われても、疑わないだろう。
「ジロウさん」
エイマンの声に顔を上げた侑子は、隣に座っていた彼が、立ち上がって部屋のドアの方へ身体を向けていることに気づいた。
侑子がそちらを見ると、マグカップを二つ盆に乗せたジロウが、戸口に立っていた。
「随分重たい授業だなぁと思って。すっかり入るタイミングが分からなくなっちまったよ」
苦笑いを浮かべながら、ジロウは湯気を立てるマグカップを、二人の前に置いた。そのまま別の椅子を引きずってくると、腰を下ろして、エイマンにも座るように促した。
「聞いてもいいか? あの襲撃事件の犠牲になった来訪者の人数は?」
エイマンは首を振った。
「正確な人数は分かりません。父が視察した二十年前には、少なくとも三十人はいたと聞きましたが……五年前の事件で亡くなった人数は、おそらく意図的に隠されているでしょう。葬られた場所を父がつきとめることができたのは、十人でした。少なく見積もってもそれだけの人があの事件の日に研究所にいたのは、確かです」
長い溜息の後に、ジロウが呟くように言った。
「……そんなに。初めて知ったな」
「そうなの?」
侑子の声は、驚きのあまり大きくなった。彼女に応えたのはエイマンだった。
「あの事件で来訪者の犠牲が出たということは、広く知られていることだ。しかし具体的な人数までは公表されていないんだよ。施設内で殲滅された空彩党関係者と研究員達の人数の中に、大多数が含まれてしまっていたから……」
「あの襲撃事件からだったよな。色々な場所で物騒なことが起こるようになった。武器を持った団体同士が、突然戦闘を始めたりして、町一つ瓦礫の山になるようなことが起こった。ただその日その日を無事に過ごすことで、皆頭がいっぱいになった頃、あぁなんとか終結したのかも知れないと思ったら、一連の騒動に平空政争なんて名前がついていた」
「戦闘? 瓦礫の山……」
信じられない、と侑子は窓の外に目をやった。通りに面したその部屋の窓からは、綺麗に舗装された広い道路がのび、通りを縁取るように立派な街路樹が整列している。侑子も毎日通るその大通りの周囲には、人々の生活が営まれる大小様々な家々が立ち並ぶ。そのまま道なりに進めば、変身館を始めとする商店がひしめき合う、賑やかな市街地へと繋がっているのだ。
「この場所は戦地にはならなかったから、被害はそんなに出なかったよ」
ジロウが言った。
「小競り合いがたまに起きたくらいだ」
冷めないうちに飲みな、とマグカップを手渡された。そこから漂ってくるコーヒーの香りが鼻孔をくすぐり、少しだけ気持ちがそれる。
「今日はここまでにしよう、ユーコさん」
エイマンの言葉に、侑子は頷いた。途中でメモを取ることを忘れてしまったノートを、横目で見る。記憶と衝撃が薄れないうちに、記録しておかなくてはと思った。
そして両手で掴むようにして持っていた冊子を、エイマンに返却した。
「最後に質問していいですか。お父さんのお友達は、何ていうお名前だったんですか?」
エイマンはゆっくりと笑みを浮かべながら、侑子にその人の名を告げた。




