暗い歴史
「エイマンさん、政争について、もう少し教えてもらえませんか? こういう時じゃないと、何となく皆にききづらくて」
政争の話題になると、誰もが途端に息をひそめるように声のトーンを下げ、沈痛な面持ちになる。侑子はこれまで何度も目にしてきた。
彼らは皆無意識にそんな表情になってしまうのだろう。きっと思い出したくないほど辛い記憶なのだと、侑子は察していた。
「もちろん。そのつもりで今日は来たんだ。私の父は平彩党で働いてるけど、そこは偏りのないように説明するつもりだよ」
頷いた侑子を確認してから、エイマンは話し始めた。
「あの争いのきっかけは、二十年より前になるかな……空彩党がある年を境に、大幅な予算を軍備に回し始めたんだ。何度も言うけど、ヒノクニは平和な状態を長く保ってきた。他国との外交関係も良好だったし、そもそも軍備は十分なはずだった。どこにも拡張しなくてはいけない要素はなかったはず。なのに突然膨大な金をかけはじめた。そしてその十分な説明はなされなかった」
「軍備って、具体的には何をしていたんですか?」
「当時は本当に分からなかった。兵器調達や軍備インフラの拡大など、もっともらしい理由を並べていたそうだが。どんどん国民の不信が募っていった。無理もない。……そしてきっと、当時空彩党が行っていたのは、兵器開発だ」
エイマンが一冊の冊子を、侑子に手渡した。文庫本ほどの大きさだった。中を見てみると、糊付けされた小さな写真がいくつも目に入る。アルバムだらうか。写真に写る人物に見覚えはなかった。しかしその中の一人は、エイマンとどことなく雰囲気の似ている青年だった。
「父が昔の仕事で携わった、軍事研究施設の視察記録を私的に纏めたものだ。今日は君に政争のことを説明するので、父が持ち出すことを許してくれた。その写真に父と一緒に写っているのは、君と同じ世界からやってきた人だよ」
「えっ!」
侑子はエイマンが指し示す写真を凝視した。
そこに写っているのは、二人の男性だ。金髪碧眼の人物の方がエイマンの父親だろう。ということは、その隣の男が、侑子と同じくこの世界に迷い込んだ人物ということだ。その人は、エイマンの父と同じくらいの年格好で、顔つきから日本人であることが分かった。二重瞼の下の瞳は黒く、髪色は明るい茶色をしていた。日本の街中を歩いていても、全く不自然ではない。彼はスーツ姿のエイマンの父の隣で、灰色の作業着姿で笑っていた。
「父からその資料を貸し出してもらうにあたって、私も初めて教えてもらったことなんだが……父が訪れた視察先の研究施設には、その写真の人の他にも、君と同郷の人々が多数いたそうだよ」
再び侑子にとって、驚きの事実が告げられた。
エイマンは冊子に貼り付けられた、他の写真を彼女に見せていく。
先程の写真にエイマンの父と二人で写っていた男。彼が最も多くの写真に写っていた。しかし侑子に馴染みのある雰囲気を持つ人々が、他にも男女共に複数写っているのだった。楽しげな表情で此方に向かってピースサインを作る人々。和やかな空気が時間を超えて伝わってくる。写真の人物たちは皆服装は様々だった。しかし彼らは皆、共通して左胸に丸いバッジのようなものをつけている。
「この写真は全て研究施設で撮られたものですか? もしかしてこのバッジをつけている人が、トコヨノクニからやってきた人々?」
「その通り」
「こんなにいたんだ……」
驚きつつも、侑子は胸の高鳴りを覚えずにはいられなかった。
「この中の一人でも、連絡を取れる人はいないんですか? 二十年前の写真なんですよね?」
写っている人々は、皆まだ若々しかった。以前話に聞いた通り、エイマンの父と懇意にしていた人物は亡くなっている。しかし他の人々は? 二十年経っているとはいえ、存命中であってもおかしくはない年齢だろう。
しかしその侑子の問いを耳にしたエイマンは、僅かに顔を歪めて、首を振ったのだった。
「……皆亡くなっている」
――嘘でしょ、なぜ
そんな言葉も口から出せずに、侑子は固まった。再び手元に目を移すと、そこには肩を組んで楽しげに笑う人々が此方を向いている。今にも動き出しそうな、生き生きとした表情だ。
「全員……? ここに写っている人たち皆? そんなことって」
久々に感じる種の恐怖だった。
数ヶ月前、この世界にやってきたばかりの頃に味わった、得体のしれない不快な感覚。
それがじわりと胸に沸き起こるのを感じて、侑子は顔をしかめた。
「説明させてもらえないだろうか……私にも全容は分らないのだが……。彼らが皆亡くなっている事実は、五年前の政争に少なからず関係している。私はそう考えている」
隣に座るエイマンが侑子の背中をさすった。侑子は慄えていたのだ。
澄んだ碧眼に視線を移し、侑子はエイマンの言葉を待った。
◆◆◆
「父が撮影した研究施設は、空彩党の所有するものだった。二十数年前から空彩党は、トコヨノクニからやってきた人々を各地から集め、この施設で研究への協力を依頼していたらしい」
「研究? 兵器の研究ですか」
先程の軍備拡大の話と結びつけるのなら、そうなるだろう。
「父が視察で見た限りでは、兵器や軍に関連する研究現場はなかったそうだ。ちなみに当時の父は政治活動は行っていなかったから、空彩党から警戒されるような身分でもなかったんだが……表向きには、兵器を連想させるような現場を見せていなかっただけなのかもしれない」
エイマンは否定も肯定もせずに、説明を続けた。
「父が目にしたものだけでは、具体的に何をしようとしているのか分からなかったそうだよ。無属性の魔石をただ量産しているだけの現場もあったし、魔石を作るのと同じ手順で魔力を体外へ放出させていたり……いずれせよ、かなりの魔力を消耗させる作業だったようだ」
「透明な魔力。無属性の魔力が、何かの製造に必要だったのでしょうか。材料になるとか?」
侑子は自分の手を見つめる。今はブレスレットを身につけているので、きらめく無色の気配は見えなかった。
「そう考えざるを得ないな。しかし具体的にどう利用していたのかは分らない。父が見ることを許されていたのは、研究のかなり限られた箇所だけだったようだからね」
侑子の背に添えていた腕を引っ込めたエイマンは、冊子のある頁を彼女の前に広げた。
写真に写る男女二人が、ストローをさした瓶を手に、こちらに笑いかけている。二人共左胸に金のバッジをつけていた。
「彼らが飲んでいる、この飲み物。『命の栄養剤』――シェハイと呼ばれていた。これは消耗した魔力を即時補充できるものらしい」
ラムネ瓶程の大きさの茶色の瓶だった。写真の人物二人は、その中身を飲んでいる途中だったのだろうか。
「そんな便利なものがあるんですか。消費した分の魔力は、時間経過で回復するって聞きました。待つしかないって。即時補充ってことは、飲めばすぐに消耗分を回復できるってことでしょう?」
「そうなんだ。私もこの話を父から聞いた時は、驚いたよ。そんなものが二十年前にあったのなら、あっという間に普及しただろう。だけどそんな品があるなんて話は聞いたことがなかったし、今もそんな物は流通していない。父は視察当時、この栄養剤は無属性魔力だけに特化して開発されたものだと聞かされたそうだ。つまり、君と同じトコヨノクニからやってきた人間にだけ有効なものだったと」
冊子を更に捲りエイマンが手を止めた頁に、別の写真が貼り付けてあった。その下に鉛筆で書かれた文字は、侑子には読めなかった。写真はエイマン父と親しかったという男性と、桜色の長い髪の女性のツーショットだった。彼女も金のバッジをつけているので、トコヨノクニ出身であることが分かる。二人は仲睦まじそうに寄り添いながら、笑顔で写真におさまっていた。
「二人は夫婦だった。だけど奥さんの方は、この写真を撮影した数日後に亡くなっている」
金のバッジをつけた人々は、既に全員亡くなっていると聞いてはいたが、侑子は重ねてショックを受けた。「なんで」と口にせずにはいられない。
「数日後? 施設で事故でもあったんですか? もしかしてそれで沢山の人が被害に?」
侑子の脳裏に、リリーから聞いた、エイマン父の知り合いはいつも爆発ばかりさせていたらしいという話が蘇った。
「いや……彼女は事故ではない。突然死だったそうだ。突然前触れもなく倒れて意識を失って、そのまま」
「……」
「さっきの写真に写っていた、栄養剤があっただろう。無属性魔力を即時回復させる物……あれは身体に有害な薬品だったのではないかと、父は考えている。父は視察に訪れた後も、個人的に彼らと交流を続けていたんだ。特に親しくなった彼とは、週に何度も共に食事をするほど仲良くなってね……だから頻繁に顔を合わせていて、疑問を抱くようになっていった。日常的に彼らが摂取していた、栄養剤――――は、本当に無毒なのか? と。確かに魔力は栄養剤を飲んだ瞬間に回復する。一本全て飲みきれば、枯渇した成人の魔力を、ほぼ全て回復させるほどの効力があった。だけど、代わりに表情から覇気がなくなるように感じたと、父は言っていた。痩せていくとか、目に見てすぐに気づく異変ではないのだけれど」
続きを語ったエイマンの言葉を反芻して、侑子は頭がぼうっとしてきた。
桜色の髪の女性が突然死した後、まるで後を追いかけるかのように、彼女の夫も亡くなったという。彼は栄養剤を飲み干した直後に倒れ、妻同様すぐに意識を失い、心臓が止まったのだ。そのことからエイマンの父は、二人の死が栄養剤が原因なのではと疑うようになったのだった。




