邂逅
頬に何かが触れた気がした。
柔らかい。
毛糸?
ちょっと硬いような気もする。
「ぴぃ ぷぅ」
そういえば最近、全然編み物なんてしてなかったな。
バンド活動ばかりだった。
もう、編み方忘れちゃったかも。
◆◆◆
水が流れる音がした。
獣道はその水場まで続いているようだった。一段高くなった場所を乗り越えると、急に視界が開ける。
あみぐるみたちはそこで列を崩し、わらわらと一箇所へ向かって一斉に駆け出した。
予想外の動きをした彼らを、咄嗟に追いかけたのだろうか。
いや、そうではなかったのかもしれない。——ユウキは直感したのだ。
紡久を追い越し、その足は地面を蹴っていた。
二本の大木の間に、何かが吊り下がっていた。
周囲の色彩に溶け込み、一見しただけでは見つけにくい。それがハンモックだと気づいた時、ユウキは足を止めた。
揺れてはいない。しかし見つめていると、わずかに動いている。
中で誰かが横になっているのだ。
小さな白クマが、ハンモックの布の隙間から這い出てきた。息を呑むユウキをよそに、小型のあみぐるみが数体、クマに続いて這い出してくる。
「おい」
咎めようとしたユウキの口は、それ以上の声を出せないまま固まった。
最後に布の上部から顔を覗かせたのは、丸いペンギンだった。手足が短いためそのまま転がり落ち、ユウキの足元までやってくる。しかしユウキがすぐに抱き上げないので、ペンギンは抗議するように「ピィ」と短く鳴いた。
その音が、ユウキの意識をわずかに引き戻した。
――まさか
転がってきたペンギンの向こうに見えたものを確かめようと、一歩進む。
たった一歩で、覗き込むまでもなくハンモックの中が見えた。
目を閉じ、すぅすぅと寝息を立てる一人の女がいた。
黒髪を束ねていたヘアゴムがハンモックの布に揉まれ、今にも滑り落ちそうになっている。
――見間違えるはずがない
確かに年月は経っていた。子供から大人へと成長を遂げる、外見の変化が著しい時期を彼女は通過している。
それでも。
――間違いじゃない
ユウキにとって、最も鮮明に記憶している人物なのだから。
――いつから君のことを知っていたのだろう?
多分、この世に生まれ落ちて、母親のことを認識するよりも前からだ。
――ずっと俺たちは、あの場所で会っていた
ユウキはいつも、鱗に覆われた化け物の姿をしていた。
そして彼女は、いつも笑っていた。
――やっと……やっと会えた
もう一歩進むと、彼女の左腕が見えた。
銀のブレスレット。そして青く光るものが目に入り、ユウキは「あぁ」とようやく声を漏らした。
大きく息を吐き出したような、嗚咽のような音だった。
ユウキがさらに一歩を踏み出した、その瞬間。
首筋に冷たいものが触れた。——刃物だ。
同時にすぐ背後から聞こえてきたのは、低く無機質な声だった。
「止まれ」
◆◆◆
気配などあっただろうか。
背後に立っているのが人間だと認識するまで、わずかに時間を要した。それほどユウキには、その人物の存在が声をかけられるまで分からなかったのだ。
「ユウキくん!」
紡久の声と二人分の足音、直後に「うわっ!」という焦った声が聞こえた。
「動くな!」
今度は子供の声だった。あどけなさは残るが、鋭い声音だ。
ヒュン、ヒュンと、何かが空気を切る音もする。
「あ……? ユウキ?」
ユウキの背後で一人が呟いた。首筋に刃物を当てている人物の声だろう。
「お前、ユウキ?」
背中を軽く小突かれた。
不愉快に感じながらも、ユウキは素直に頷いた。
沈黙が訪れた。ユウキからは見えないが、紡久とアミもすぐ後方にいるのだろう。背後の男には仲間もいるらしい。何人いる? 囲まれているのか?
――あみぐるみは? どこかに隠れているのか?
不安が胸を過ったが、ユウキの目は目の前のハンモックに注がれたままだった。
彼女は相変わらず眠っている。
――間違いない。絶対にそうだ。なぜこんなところで眠っている?
確信が揺るぎないものになるにつれ、今度は目を覚まさない彼女が心配でたまらなくなった。
名前を呼ぼうと思った。
何度も、何度も呼んできた名前。
決して本人の耳に届くことのなかった、ユウキの声で呼ぶ彼女の名前。
口を開き、舌が最初の一音を形作ろうとした時だった。
ハンモックの中で目を覚ました人物が、こちらを見ていた。




