トコヨノクニ――助けたい
その日、蓮は珍しく朝から書架の間に侑子の姿を見つけた。
「おはよう。珍しいね。午前中から図書館来てるなんて」
「ああ、蓮くん。おはよう。今日は部活お休みなんだ」
「そっか。自習?」
従姉妹が抱えている本は、どれも歴史関係のものだった。それも近代史に集中している。
侑子は少し迷うような顔をしたあと、伺うように蓮を見た。
「蓮くん、今忙しい?」
「いや、別に」
暇な時、とりあえず図書館に足を運ぶのが習慣になっているだけだ。蓮は首を振った。
「話したいことがあるんだけど……そのついでに、ちょっと付き合ってもらえないかな?」
思い詰めたような表情が意外だった。
できれば他の人に聞かれたくないというので、二人は侑子の部屋へ移動することになった。
◆◆◆
「そんなことになってるんだ。向こうの世界」
一通りの説明を聞き、ヒノクニの人々から届いた手紙にも目を通したところだった。
蓮は最後に読んだミツキからの手紙を、静かに封筒へ戻した。
「今までずっと自然災害と無縁だったってことに、まず驚くけど……だからこそ、怖いだろうね」
侑子は神妙な顔で頷き、アミからの手紙をもう一度机の上に広げた。
「この手紙を読んですぐ、明治以降の日本史年表をコピーして送ったの。それからまだアミさんから返事は来てないんだけど……もう少し昭和に絞って、大きな出来事とか事件をまとめてみようと思って」
「なるほど」
それで図書館から昭和史の本ばかり借りてきたのか。
蓮は積み上げられた本の一番上を取り、目次に目を走らせた。
「……役に立つかな」
小さな声だった。
蓮は本から顔を上げた。
「とりあえず、思いついたことは何でもやってみればいいんじゃない?」
ノートを開き、ペンを指先で回す。
「こっちの歴史を調べるのだって、きっと無駄にはならないよ。歴史は繰り返すっていうし。まあ、異世界でも通用する理屈なのかは分からないけど」
「うん……」
「あとは、災害対策とか。ヒノクニの人たちって、避難訓練みたいなことも、ほとんどしたことないんでしょ?」
「そっか……災害対策」
侑子は突然立ち上がると、部屋を出ていった。
間もなく戻ってきたその手には、一冊の黄色い本が握られている。
「これ」
表紙には、大きな黒い文字で『東京防災』とあった。
侑子がヒノクニに迷い込んだ、ちょうどあの頃に話題になった冊子だ。家庭で実践できる防災の知識をまとめたもので、東京都内の全世帯に配布されていた。
「丸ごと一冊は、さすがに封筒に入らないよね」
東京に特化してまとめられたものだったが、ヒノクニでも活用できる情報は多いはずだ。少なくとも侑子の知る限り、二つの世界の地形にはよく似たところがあった。
侑子はページを繰り始めた。有益そうな箇所を選んで、送るつもりなのだろう。
「大丈夫だよ、きっと」
言ってから、蓮はわずかに唇を噛んだ。
何が大丈夫なのだろう。
自分の言葉には、何の根拠もない。
それでも、眉間に皺を寄せたままページを繰る侑子を見ていると、口にせずにはいられなかった。
ふと、机の上に散らばる写真が目に入った。
眠る小さな赤ん坊。
その隣で微笑んでいる、不思議な色の瞳をした女性。
確か、リリーという人だ。侑子がヒノクニで最初に出会った人。
別の一枚には、ギターを構えたユウキ。その傍らで、金髪の男性が赤ん坊を愛おしそうに見つめている。エイマンという人だったはずだ。
オレンジ色の髪の少年が、ひどく緊張した顔で赤ん坊に哺乳瓶を向けている写真もある。鹿児島からヒノクニへ渡った、遼と同い年の少年。
そしてもう一枚。
赤ん坊を抱いた女性を中心に、色とりどりの髪をした人々が並んでいる。
みんな、笑っていた。
蓮はその一枚をしばらく見つめた。
この人たちなのだ。
四年前、突然家族の前から消えてしまった侑子を、一年間支えてくれた人たち。
帰ってきた侑子は、随分変わっていた。
蓮には知らないことがたくさんある。
写真の中の人々とは、一度も会ったことがない。
それでも。
――俺も、助けたい
そう思った。
侑子が助けたいと願っているからだけではない。
この写真の中にある笑顔が、一つでも恐怖や絶望に変わってしまうのは嫌だ。
ただ、そう思った。




