ヒノクニ――噂
侑子とユウキの文通が始まって、一か月が経とうとしていた。
二人がやり取りした手紙の数は、すでに両手では数えきれないほどになっていた。文通というより、お互いの日常の報告書のようになっている。二人とも一日に一通以上のペースで手紙を書いていたのだから、当然だった。
異世界間での文通。
この驚くべき現象について、今のところ二人が確かめられたことは、以下の通りだった。
①屋根裏の限られた範囲に置いたものしか届かない。侑子の場合はケーブルテレビの機器の横、ユウキの場合はリリー宅の魔石ソケットの横。
②誰かが観察していたり、カメラなどで監視したりしている間は届かない。
③封筒に収まる程度の大きさのものしか届かない。
④侑子とユウキのどちらかが差出人で、もう一方を宛先にした場合にしか届かない。
⑤二人のどちらかが直筆した便箋を入れる必要がある。
⑥その便箋と一緒に封入すれば、侑子とユウキ以外の人物が書いたものも届けることができる。
⑦切手を貼らなければ届かない。ただし、貼った切手の料金は関係ないらしい。
ただし、なぜこの条件で手紙が届くのかは、まったく分からない。ユウキは身近な人たちをはじめ、ラウトにも相談したが、もちろん彼にも説明できなかった。
そしてラウトは、この現象について、自分と息子以外の党関係者や政府の人間には口外しないことに決めた。
「専門家や研究者たちがまた家に出入りするのは、リリーさんも嫌だろう。それに、ユーコさんが消えた経緯についても何も分からないままだ。これ以上調べても、何かが見つかる見込みは薄いだろう。変わったことがあれば、その都度ユウキくんから教えてもらえれば十分だ」
理由を訊ねたエイマンに、ラウトはそう答えた。それから少し間を置いて、「それに」と付け加える。
「ユウキくんとユーコさん、二人の文通を他の者が邪魔するのも野暮じゃないか。そうだろう?」
微笑んだ父の顔がひどく優しくて、エイマンははっとした。
自分と同じ色をした父の瞳に、かつて親しくしていた来訪者たちの面影が映ったように見えた。
それはきっと、気のせいではないのだろう。
◆◆◆
「噂になってるの、知ってる?」
その日もユウキは、リリーの家へ向かうところだった。
屋敷の駐輪場から自転車を引っ張り出し、門を出たところでハルカに声をかけられた。どうやら自分を訪ねてきたらしい。
「噂?」
出会い頭に唐突に訊かれて、ユウキは聞き返すことしかできなかった。心当たりはない。
「どうせ今日もリリーのとこ行くんだろ?」
「行くけど」
「そういうことだよ」
「はあ?」
本気でハルカの言いたいことが分からない。ユウキは一度自転車を門の中へ戻すと、幼馴染も中へ入れた。
「お前とリリーが付き合ってるって、噂になってるんだよ。知らなかった?」
「何だそれ」
くだらない、と一蹴して、ユウキは大きく息を吐いた。
「毎日欠かさず一人暮らしのリリーの家に出入りしてる。長時間いることもある。職場も一緒。なんだったら二人揃って出勤してくることもある。恋人同士なんじゃないかって誰かが勘違いしたって、文句言えない状況だろ」
少々面白がっている様子が透けて見える。ユウキは呆れた視線をハルカに送った。
「手紙を出すために行ってるだけだ。リリーの家じゃないと駄目なんだから、仕方ないだろ」
「そうだなぁ。それで返事が来るまで、何時間でもずっとポストの前で待ってることすらあるんだから。世話がねえよな」
ハルカの言う『ポスト』とは、リリーの家の屋根裏のことだった。
あからさまにからかう口調になった幼馴染に、ユウキはむっとする。しかし言い返せない。ハルカの言葉に嘘はないし、呆れられるのも仕方がなかった。
侑子に手紙を出したあと、返事が来るまで魔石ソケットのある部屋で時間を潰すことが、ユウキの日課になりつつあったのだ。
「言いたい奴には言わせておけばいいだろ。俺は気にしない」
「ならいいけどさ」
後ろから、しれっと別の自転車に跨ったハルカがついてきた。
「暇だから、今日は俺も一緒に待っててやるよ」
◆◆◆
いつも通り、魔石ソケットの隣に封書を置いた。四色の魔石のうち、一番近くにある青い光に照らされ、封筒がぼんやりとその色に染まっている。
今日の手紙には、昨日発売されたばかりの特殊切手を貼った。通常のものより一回り大きく、描かれているのは可愛らしいクマのぬいぐるみだ。ユウキは今まで知らなかったが、このクマは郵便局のマスコットキャラクターなのだという。季節ごとの衣装を着た姿をあしらった切手が、年に何度か発売されるらしい。
――ユーコちゃん、こういうの好きそう
そう思って選んだのだが、果たして喜んでくれるだろうか。
実際に会って、その手に触れて、言葉を交わして喜ばせることはできない。侑子はユウキの歌声ひとつで笑顔になったし、手のひらに美しい魔法を出してみせれば喜んだ。ユウキにしてみれば何でもないことで簡単に見ることのできたその笑顔は、もう手の届く場所にはない。
その現実を認めるたび、胸の奥を鋭いものが刺すように痛んだ。
――だからせめて、手紙を見て笑っていてほしい
考えを断ち切るように、ユウキは屋根裏へ続く板を閉じた。
「すぐに向こうへ着くものなのか?」
一連の様子を見守っていたハルカが訊いた。
「完全に見えなくなった状態が一秒でも続くと、手紙そのものはなくなってる。それから実際にどれくらいで向こうへ届くのか、この間ユーコちゃんと示し合わせて試してみたんだけど……これがよく分からない。五分もかからず届いた手紙もあったけど、丸一日かかったものもあった」
「時間は決まってないのか」
「そうみたい。一度手紙が消えたのを確認して、返事を待たずに次の手紙を入れたこともある。届く順番は入れた通りだったけど、かかる時間はまちまちだった」
「そんな検証までやってたのかよ」
ハルカは静かに突っ込むと、うーんと唸りながら天井を見上げた。
「じゃあ今頃はもう、あそこにお前の手紙はないってことなのか……音も気配も何もないのに。なんだか薄気味悪いな。一体誰が届けてるんだ? 時間も空間も違う世界に」
「不気味でも、仕組みが分からなくても構わない」
ユウキはきっぱりと言った。
「向こうの世界とのつながりを作ってくれるなら、たとえそれが化け物や悪魔だったとしても、俺は歓迎するよ」




