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既視感

 身体から取り払われた長い衣の下は、白っぽいシャツにチノパンのようだった。兄の普段着とそんなに変わらない。そんな服装は一瞬の後に、彼の魔法によってきらびやかな衣装へと変化していった。

 侑子ははじめ、小さな既視感を感じただけだった――しかし無意識に察知したその既視感が、むくむくと大きく成長するのはすぐだった。

 踊るように踵を打ち鳴らしたその人のスニーカーは、侑子が何度も目にした覚えのある靴に変わる。


――知ってる


 口に出しそうになって、理性で押し止めた。

 けれどその人の姿を目がとらえる度に、止めることのできない言葉が頭を埋め尽くしていく。


――知ってる。知ってる。知ってる……!


 ユウキの身体をさっきまで覆っていた衣は、インドのサリーのような、長く大きな一枚布だった。柔らかい布の感触が首をくすぐる。侑子の身体にその布を纏わせた青髪の長身の男を、まじまじと見つめる。


――この人は一体誰?


 助けてくれた人。恩人だ。

 だけど、それだけではない。

 ただ行きずりで出逢っただけの人が――――


――なぜ突然()()()姿()に変わるの?


 手首まで隠す上衣は、長い袖とは対照的に丈がやや短く、引き締まった褐色の下腹部が露出していた。

 下半身は足さばきを邪魔しない程度に薄く長い布を巻き、その下から滑らかな質感の下穿きが覗く。

 高く結い上げられた見慣れない髪型と、本来の容貌をすっかり覆い隠している化粧の効果も、大いにあるだろう。決して華奢な体型ではないはずなのに、女性のようにしなやかにも見える一方、圧倒させるような力強さも感じられた。中性的で人間離れした何か――――そう、喩えるならば()()()…………それが、そこにいた。




◆◆◆




 ぱらぱらと集まり出した観客たちの輪の中で、一番自分に近い場所へと侑子をエスコートしたユウキは、観客たちに向かって深く頭を下げた。

 それが合図だったかのように、どこからか聞きなれない旋律が聞こえてきた。


――これも魔法だろうか


 ユウキは頭を上げると、そのまま滑らかな動きでステップを踏み始めた。侑子には見覚えのない舞いだった。日舞のような、バレエのような、不思議な動きだ。


――もうすぐ日が沈む


 柔らかく暖色が混じりはじめた日差しの中で、彼が軽やかに動く度に、指輪と衣装がキラリとまたたいた。

 青、紫、金銀に、時折真珠のような、柔らかい虹の輝き。

 侑子はその光の輝きも、色と色が織り成すグラデーションも、視界を遮る光の残像も、全て知っていた。

 ユウキは侑子が夢の中で幾度も会ったことのある、()()()そのままだった。

 衣装を彩るのは、鱗の形を模した、無数の寒色のビーズ。

 動く度に、小さなガラス片がぶつかり合うような、涼しげな音が鳴る。シャラシャラシャラと。

 ガラスの鱗は上衣だけでなく、腰に巻いた衣にも、下穿きにも、微妙な色のグラデーションをかけながら下の布地が見えないほどに均一に縫い付けられているようだった。

 地面を踏み鳴らす度に揺れるのは、靴の履き口を縁取った同じビーズだった。色も大きさも下穿きと揃えられているため、褐色の足首がのぞかない限り、境目は分かりづらい。

 鱗同士がぶつかり合う音は、いかにも割れ物のような脆い印象を与える危なげなものだったが、ユウキがどんなに激しい動きで舞い踊っても、弾け跳ぶことも割れ散ることもない。

 ただ強い光の残像だけを、侑子の瞳に残していく。

 ユウキの顔には鱗はないし、毛髪もある。異様な雰囲気の化粧に覆われていても、緑の瞳はそのままだ。


――魚の顔はしていない


 けれど侑子は、ただの偶然だとしても、夢の中の人物と一致しすぎている彼の姿に呆然とするしかなかった。


「きれいね。人魚姫みたい」


 すぐ近くで観客の誰かが、連れに話しかけたようだ。


「でも上半身も鱗に覆われているよ。人魚というか、魚人じゃないか?」

「人魚って上半身には鱗がないものなの?」

「さあ。会ったことないからな」


 二人組の会話はそこで終わった。

 ユウキの足が止まり、舞いが終わったのだ。どこからか鳴り響いていた音楽も止んでいる。

 幻覚から目覚めたような気分で、侑子は立っていた。いくらか気持ちが落ち着いてきて、冷静な思考を呼び戻す。


――今日はいくらでも不思議な出来事が起こったじゃない。夢は夢、現実は現実のはずだ……


 この世界を現実と言い切って良いものか、侑子にはまだ確信はなかったが。


「皆さん。本日はお集まりいただきありがとうございます! 足を止めていただいたこと、心より感謝いたします」


 再び深く頭を下げて観客たちに謝意を示すと、ユウキは片隅の鞄のなかから、一体の人形を取り出してきた。人形といっても、衣装は身に付けていなかった。顔はもちろん髪の毛すらない。人間の形を模しただけの、布人形のようだった。それはマリオネットで、手足の先に無色の糸が結びつけられ、糸先は二本の棒をクロスさせた操作棒に繋がっていた。


「どうぞ次の演目も、楽しんでいってくださいね」


 地面に着くか着かないかの場所で、立たせるように糸を引き安定させると、彼は慣れた手つきで操作棒を動かし、人形にお辞儀をさせた。

 のっぺらぼうの人形が、まるで生きているような滑らかなお辞儀をしたので、観客の子供達から無邪気な歓声が上がる。


「今日はこの相棒と一緒に、歌を歌って皆さんを楽しませたいと考えていたのですが……。裸ん坊ではかわいそうですねぇ。それに、口がないと歌えません」


 悪戯そうな視線を観客に送る。ユウキは長い指で器用に操作棒を動かしながら、人形と何やら相談するような仕草を繰り返した。


「え……? うんうん、そうか。今日の君は、そんな気分なんだね」


 自分の膝丈ほどの大きさの人形を見下ろしながら、合わないはずの視線を送り合う。


「それでは彼女に、素敵な衣装と歌声を贈りましょう」


 観客に向き直って、ユウキはにっこり笑う。

 少しだけ侑子に視線を合わせ、唇の前で人差し指をたてた。()()を意味するその仕草に、反射的に侑子が小首をかしげると、ユウキが人形に優雅なターンをさせた。

 光の粒が人形を隠すように集まった。そして粒は、楽しげに弾んで大きく散り飛ぶ。

 

「えっ」


 そこには侑子と同じセーラー服に身を包んだ、黒髪おさげの人形が両手を高く上げた姿勢で立っていたのだった。

 シンプルな両目は真ん丸の円、赤い口は逆三角形を描いて大きく笑っている。

 仰天した侑子はあんぐりと口を開けて、人形とユウキを交互に見つめた。


「このお姉ちゃんとおんなじ髪型だぁ」


 隣で興奮ぎみの子供が、すかさず侑子を指差した。

 ユウキの衣のおかげでセーラー服は丸ごと隠れているが、髪色と髪型で誰の目からみても人形が侑子を模したものであることは、一目瞭然だった。

 ユウキはにっこりと子供に笑い掛け、人形を抱えあげると侑子のそばまで近づいてきた。


「そうです。黒水晶(モリオン)のように美しい色なので、この子も思わず真似したくなったそうです」


 侑子の顔の高さと同じ位置にいる人形が腕をあげて、そっと侑子のお下げの先に触れるような動きをした。


「モリオンの君、お許しいただけますか?」


 青紫のメイクの向こう側から、柔らかい緑の瞳が侑子を見つめている。

 悪戯が成功した子供のような、嬉しげな視線だった。侑子には頷くしかなかった。


「ありがとう」


 ユウキの唇が動いたが、聞こえたのは聞き覚えのない幼い少女の声だった。

 ユウキが(マタナ)を使ったのだ。


「これが『玉虫色の声』か」


 背後から感嘆している男性の声が聞こえた。他にもユウキの声の変化について言及している会話が、ざわざわと聞こえてくる。


「すごいな。本当に別人の声だ」

「こういう『(マタナ)』は珍しいのよね」


 どうやら貴重な魔法らしい。侑子にとっては魔法そのものが貴重どころか見たことがないものだから、ピンとこないのだが。


「あんたたち、驚くのはこれからだぞ!」

「初めて聞いたとき、きっと仕掛けがあるんだろうって、あちこち探しちゃったんだ。もちろんどこにもなかったけど」


 常連客が初見の観客たちに力説している。

 この場にいる人々は皆、魔法が当たり前の世界に生きてきたのだろう。そんな彼らが驚くほどということは、少し前の侑子の驚き方も異常ではなかったということだろうか。


「お待たせしました」


 マリオネットの糸を少し縮めて短くし、ユウキは台の上に人形を立たせた。

 観客たちは口をつぐみ、じっと耳をすませるようにユウキに注目する。侑子のものも含まれる、たくさんの視線を口許に感じながら、ユウキは歌いはじめた。

 一番始めに彼が口ずさんだのは、驚くべきことに、侑子も知っている詩の一節だった。


 「ねんねんころりよ 木の上で」

 「風が吹いたら 揺れるのよ」

 「枝が折れたら 落ちるのよ」

 「その時あなたも 揺りかごも」 

 「みんなそろって落ちるのよ」


 ゆっくりしたテンポの、子守唄の旋律だった。

 ユウキは一節ごとに声を変えて歌った。セーラー服の人形が歌っている時には、先ほどの幼い少女の声になった。

 ユウキが繰り返し歌っている間、侑子はこの聞き覚えのある詩はなんだっただろうかと、思いを巡らせていた。そしてその疑問は、続いた二曲目の詩を耳が捉えた頃に解けることとなった。


 「男の子って何でできてる?」

 「ぼろきれやカタツムリ

  子犬の尻尾

  そんなものでできてるよ」


 「女の子って何でできてる?」

 「砂糖やスパイス

  すてきなことがら

  そんなものでできてるよ」


「マザーグースだ……!」


 国語の授業で紹介されたのをきっかけに興味がわいて、図書館で絵本を借りたことがあった。

 マザーグースはイギリスの伝承童謡のはずだ。ここでそんな詩を聞くことになろうとは思わなかった。この世界と侑子がいた世界とは、どれくらいの共通項があるのだろうか。


――そもそもどう繋がっているの? なぜ今私はここにいるんだろう


 侑子が考えこむ中、回りの観客たちが軽くどよめいているのは、ユウキが声を変化させたからだろう。

 今度は自分の地声ではなく、声変わり前の少年の声と、先ほどの少女とは別の少女の声だった。 

 彼は拍子にも僅かな変化を加えながら、何度か繰り返し歌った。その度に歌声は、年齢も性別もバラバラの別人のものへと変わっていく。酒焼けした男の声、朗らかな女性の声、商売人が口上を述べているような声、しわがれた老人の声…………

 操作棒を操る長い指が巧みに動き、紺色のスカートをひらめかせながら、人形が楽しそうに踊っている。

 ユウキの指を彩るいくつもの指輪が、キラキラと光を散らしていた。



◆◆◆



 夕日は急速に沈み、広場の街灯が灯されていた。賑やかな音楽が止まり、再び場が静まる。

 ユウキは人形を台の上に腰掛けさせると、まっすぐ前を見つめて、再び唇を開いた。


「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」


 楽器の旋律が鳴りを潜めたまま、ユウキの声が吟詔した言葉だけが、始まりかけた夜の大気に吸い込まれていった。


――和歌?


 そのような旋律だった。

 百人一首を知っているし、和歌の詠み方も聞いたことがあるので、それだけは分かった。


――なぜマザーグースを歌った後に、和歌なのだろう


 再び疑問に首をかしげる侑子をよそに、観客たちはパチパチと拍手を贈りだした。

 その賑やかさから、彼らがユウキの曲芸に満足していることが分かる。


――終わったんだ


 ユウキを囲むように半円状に集まっていた人々の集まりが、パラパラと解散していった。皆去り際に人形の隣に据えられた金色の箱へ、貨幣のようなものを入れていた。「素敵な舞台だった」「また見に来る」などと、感想を告げていく人も多い。

 侑子は立ち去る人の邪魔にならないところまで下がると、先ほどより離れた場所から、ユウキを眺めていた。

 常連客であろう顔見知りの人々と楽しげに話を交わし、寄ってきた子供達にマリオネットを操ってやっている。

 ずっと眺めていたら、侑子に手を振ってきた。相変わらず謎めいた不思議な化粧に隠されているが、目元に優しげな皺を作って笑う彼は、間違いなくユウキだった。


 けれどやはり――


 侑子はユウキに手を振り返しながら、慎重に自分の記憶を探った。

 あの半魚人の姿を思い起こそうとしたのだ。

 しかし目が覚めている状態で夢の記憶を呼び起こすのは、なかなか難しい。何度も繰り返し見てきた夢だから、すぐに思い出せると思ったのに。

 こうだったはずだと確信したそばからユウキを視界にいれると、本当にこんな色だっただろうか、こんな形をしていただろうかと記憶が疑わしくなり、どんどん夢の中の半魚人の輪郭がおぼろげになっていき――――終いにはユウキそのままの姿が、夢の中の遊園地の景色と重なる。それがあまりにも違和感のない一致だと気づいた侑子は、それ以上考えることを止めた。


――きりがない


 考えてもこの不思議の答えは、見つからないのだろう。

 むしろ考えれば考えるほど、沼の深みに沈むように、わからなくなりそうだ。

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