夏―蒼い便箋
僕の住む街に海はないし、僕は海に行ったこともない。でも、海の匂いだけは知っている。海辺の街に住む少女から、夏のひと月の間だけ磯の香りのする手紙が届くからである。彼女の名前は蒼井ソラ。三年前まで、僕の隣室で暮らしていた。
今年も空色の封筒が届いた。内容は、彼女の所属する部活について。毎年海で合宿が行われるらしい。体力づくりに砂浜を走ると書かれていて、足が砂にとられて大変そうだな、とぼんやり思った。
手紙の内容はほとんどが学校についてで、その次が家族の話。高校はとても新鮮だ、と去年の手紙に書いてあった。最後に会った時、彼女は中学生だったはず。ひと月しか手紙をやりとりしないから、書きたいことは沢山あるだろう。返信はどうしよう。適当に、大学の話を書いておいた。毎回大学のことばかりな気がする。しかし、一人暮らしだから家族について何か書ける話があるわけでもない。
次に届いたのは手紙と小包だった。小包には砂の詰められた小さな瓶と、いくつかの綺麗な貝殻、潮の香りのする千代紙が入っていた。海を知らない僕への贈り物だろう。手紙には、千代紙は海水を染み込ませ乾かしたのだと書いてあった。僕は贈られてきたものを全て木箱にしまった。深めの木箱の中には、今までソラから送られてきた手紙がぎっしりと入っている。そろそろ箱を増やさないといけないかもしれない。飾りっ気のない真っ白な便箋に贈り物に対する礼を書き、機会があればそちらに遊びに行きたいと記した。
手紙の上の彼女はとても生き生きとしていた。何度か手紙を送りあって、いつの間にか最後の月になっていた。ソラからの最後の手紙は、別の街に引っ越すことになった、という旨だった。新しい場所の住所は記されていなかったので、返信を書かずに僕は便箋を木箱にしまった。
翌日、ソラの「兄」から手紙が来た。そこに記された言葉は、僕が既に予想していた通りのものだった。
『ソラが自殺した。何か知らないか?』
僕は何も知らない、とだけ書いて送った。
ソラは昔からよく虐められていた。僕が彼女と知り合う前からそうだったはず。隣室で、僕のほうが年上だったということもあるのだろう。彼女は週に何度か僕の部屋へきて、つらいくるしいと泣いていた。僕は温かいココアを飲ませて話を聞くくらいしかできなかったけれど、それでも自室に戻るときは年相応の笑顔に戻っていた。
三年前、この状況から抜け出せることに彼女は大喜びだった。そして、夏のひと月だけ文通をしようと約束したのである。どうしてひと月なの、と聞いた時、彼女は「そっちのほうが目標みたいでいいじゃん?」と嬉しそうに答えていた。
しかし、転機にはならなかったのだろう。新しい環境でも虐められていたと僕は考えている。手紙の内容から言って、おそらく入水自殺だ。今までに彼女は海の話や贈り物は何度もしてきたが、詳しく部活の話をすることはなかった。最初の手紙で書道部に入った、と書いたことを忘れていたのだろう。ソラは運動ができる子ではなかったし、部活の名前は記されていなかった。
少し、思う。手紙で彼女の現住所は知っていたし、訪れることも難しくはないはずだった。あの時僕が彼女の元を訪れていたら、自殺は止められただろうか。
否―ソラならそれでも自殺するだろう。彼女の決心は、固いものだから。




