最終話
新聞で追う限り、巡行は大きな事故もなく進んでいた。途中、悪天候で予定が遅れたことや、体調を崩した者が出たという記事はあったものの、幸い命を落とした者はいない。
それからさらに季節が巡り、ついに三年目。聖女様の巡行団が、王都へ戻ってくる日がやってきた。
三年前と同じように、朝から王都は華やかな飾りに包まれていた。ただ、三年前とは違うことも多い。
巡行団が最後に向かうのは、大聖堂ではなく王宮。迎える王太子殿下も、あの方ではない。騎士団長の座は、前団長が解任されて以来、副団長が代行を務めたまま、正式な後任は決まっていなかった。
何より――三年前、私は大勢の人に埋もれながら、沿道から巡行団を見送った。
今は、王宮女官の一人として、彼らを迎える側に立っている。
「……来たわ」
隣にいた女官の声に、私は顔を上げた。
王宮へ続く大通りの向こうから、歓声が近づいてくる。やがて、白と金で飾られた馬車が姿を現した。三年前と変わらず美しい聖女様が、人々へ笑顔で手を振っている。その周囲を、巡行を終えた騎士たちが馬に乗って進んでくる。
私は息を呑んだ。
そして――。
「……っ」
聖女様の馬車のすぐそばに、ディーン様がいた。
三年前より少し髪が伸びている。顔つきも、どこか精悍になったように見えた。それでも、少し痩せただろうか。遠目にも、長い旅の疲れが残っているような気がする。
そして、その首元には――三年前、私が渡したワインレッドのスカーフが巻かれていた。
――大丈夫かな。
そう思った、そのときだった。
「……!」
目が合った。
ディーン様も驚いたように目を見開き、そして私を見て微笑んだ。
胸が苦しいほど締めつけられた。
――会いたかった。ずっと、ずっと会いたかった。
無事だった。
帰ってきてくれた。
それだけで、泣き出してしまいそうだった。
巡行団が王宮へ到着すると、帰還を祝う式典が行われた。新しい王太子殿下から聖女様へ労いの言葉が贈られ、巡行に同行した聖職者や騎士たちにも、それぞれ感謝が伝えられる。
三年間に及ぶ長い巡行を無事に終えたことを称える、簡素ながら厳かな式だった。
やがて式が終わると、集まっていた人々も少しずつ散っていった。
ディーン様の周りには、王都騎士団の騎士たちが集まっている。久しぶりの再会なのだろう。肩を叩かれたり、笑いながら何かを言われたりしていた。
私は離れたところから、その様子を眺めていた。
今すぐ駆け寄りたかったけれど、仲間と話したいことだってたくさんあるだろう。
そう思って、そっとその場を離れようとしたときだった。
「あら。あなた」
澄んだ声に振り返る。
「……聖女様!」
そこには、三年前とほとんど変わらない姿の聖女様が立っていた。
「王宮で働いているなんて、驚いたわ」
「あ、はい。いろいろありまして……」
私は慌てて頭を下げた。
「聖女様。三年間、本当にお疲れ様でございました」
「ありがとう」
聖女様は少しだけ目を細めた。
「……それにしても、たかが噂にずいぶんと必死になったようね」
「聖女様も……ご存じだったのですか?」
「ええ。途中で耳には入ったわ。まったく、こちらがどんな気持ちで巡行していると思っているのかしら……」
そう言って、聖女様は遠い目をした。
「聖女様……」
「まあ、途中からぱったり聞かなくなったけれど」
すると聖女様が、ふと私の後ろへ視線を向ける。
「安心しなさい。彼、大した怪我はしていないわよ」
「……!」
「そもそも、わたくしの巡行ですもの。神の加護があるに決まっているでしょう?」
「……そうですよね」
思わず笑ってしまった。
聖女様は一歩だけ私へ近づくと、声を落とした。
「それに――」
「?」
「あなたからもらったハンカチの分くらいは、ちゃんと彼を守ったつもりよ」
「……え?」
意味を尋ねるより早く、聖女様はくるりと背を向けた。
「では、ごきげんよう」
そのまま歩いていってしまう。
呆然とその背中を見送っていると――。
「アリア」
背後から、懐かしい声がした。
三年間、ずっと聞きたかった声だった。
息を呑み、ゆっくりと振り返る。
そこに、ディーン様が立っていた。
「ディーン様……」
名前を呼ぶだけで、声が震えた。
ディーン様は少しだけ目を細める。
「女官になったんだな。おめでとう」
「……はいっ……」
それだけで、堪えていた涙がこぼれそうになった。
ディーン様はそんな私を見て、少し困ったように笑う。
「少し、話せるか?」
そう言われ、私はディーン様と人の少ない中庭へ向かった。
しばらく黙っていたディーン様が、やがてためらうように口を開く。
「……手紙は、読んだか?」
私は何度も頷いた。
「……ごめんなさい、ディーン様。私のために、褒賞を……」
「いや。違う」
ディーン様はすぐに首を振った。
「私がしたかっただけだ。それに、この巡行に参加したことは後悔していない」
「でも……」
「手紙にも書いただろう。私は、きっかけを作っただけだ。女官になれたのは、君が努力したからだ」
それから、表情を和らげる。
「それより、礼を言うのはこちらだ。私と聖女様の名誉を守ってくれたと聞いた」
私は首を横に振った。
涙が次々に溢れて、顔を上げられない。
「……アリア」
優しい声で名前を呼ばれた。
「私を、待っていてくれたのか?」
答えようとしたけれど、声が出なかった。ただ、何度も頷いた。
すると、ディーン様が苦しそうに息を吐いた。
「……すまない」
「え……?」
ようやく顔を上げる。
「君に『自由だ』と言いながら、あんな手紙を残した。忘れられなくなるかもしれないと分かっていたのに」
ディーン様は自嘲するように笑った。
「本当は、待っていてほしかった。無事に帰れるかも分からないのに、それでも私のことを思っていてほしかったんだ」
「……わ、私に……?」
「ああ」
ディーン様は苦しそうに笑った。
「君を待たせて、辛い思いまでさせた。それなのに……待っていてくれたことが、とても嬉しい」
もう、堪えられなかった。
涙がぼろぼろと頬を伝う。
「私も……ずっと、ずっと会いたかったです……」
声が震えて、うまく息ができない。
「家を出てから……いっぱい楽しいことは増えました……仕事も任されて、友達もできて……」
喉の奥から嗚咽が漏れ、言葉が途切れる。
「で、でも……私が一番幸せだったのは……あの、図書館の時間でした……」
言い終えた、そのときだった。
ディーン様が一歩近づき、私を抱きしめた。
驚いて、涙が一瞬止まる。
「でぃ、ディーン様……」
「……ありがとう、アリア」
背中に回された腕に、ぎゅっと力がこもった。
再び涙が溢れ、私はディーン様の胸元へ顔を埋めた。そのまま、しばらく泣き続けた。
◆
その後、ディーン様は正式に王都騎士団の団長へ任命された。
三年間にわたり聖女様を守り抜き、巡行を無事に終えた功績。そして、それ以前から積み重ねてきた実績も改めて評価された結果だった。
「おめでとう、騎士団長殿」
任命式を終えたディーン様に、ユフィル様が笑いながら声をかける。
「……その呼び方はやめろ」
「なんでだよ。間違ってないだろ」
「お前が言うと嫌味っぽい」
「ひどいなあ」
いつもの二人のやり取りを、私は笑いながら見ていた。
すると、ユフィル様がこちらを向く。
「だいたい、ディーンはもっと俺を労るべきじゃないか?」
「どういう意味だ?」
「お前がいない間、アリア嬢にちょっかいをかける文官を追っ払ってたのは――」
「ユフィル様っ!」
慌てて声を上げたけれど、遅かった。
ディーン様の表情が止まる。
「……文官?」
「あれ? 意外だったか? 何人かに声をかけられてたぞ」
「ユフィル様っ、もうやめてくださいっ」
「アリア」
ディーン様の声が少し低くなった。
「……誘いは受けたのか?」
「まさか!」
反射的に答えると、ディーン様は目に見えてほっとした。
その様子を見て、ユフィル様が吹き出す。
「『忘れろ』なんて格好つけておいて、それかよ」
「……うるさい」
ディーン様が珍しく気まずそうに視線を逸らしたので、思わずくすっと笑ってしまった。
ユフィル様と別れたあとも、ディーン様は私の手をつないだまま、しばらく何も言わなかった。
「ディーン様?」
返事がない。
どうしたのだろうと思いながら、私は慌てて言葉を続けた。
「わ、私……男の方からのお誘いは、好きな方がいると言って、全部お断りしました……!」
ディーン様がこちらを見る。
「だって、私はディーン様が大好きですし、ディーン様しか考えられませんでしたし……」
そこまで言ってから、自分でも何を言いたかったのか分からなくなってきた。
すると、ディーン様が片手で顔を覆った。
「す、すみません……。変なことばかり言って。私が言いたかったのは――」
「いや、もう十分だ」
ディーン様が顔を覆っていた手を下ろし、私の肩にそっと触れた。
「え……?」
顔を上げる。
ディーン様の顔が、すぐ目の前にあった。
そして――。
「っ……」
唇が触れた。
驚いて固まっていると、ディーン様がゆっくりと顔を離す。
「私も好きだ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がいっぱいになった。
「大好きです。ディーン様」
聖女セリフ翻訳
「あら。そんなものがなくても、大丈夫ですのに」
→なによ、わたくしが頼りないって言いたいの?
「あら。彼のついでに、わたくしの分を?」
→え……やだ、可愛い。わたくしのために?
「冗談よ。頂くわ。人々から寄せられる祈りや願いを受け取るのも、聖女の務めですもの」
→嬉しい! 大切にするからっ!




