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Company ―龍馬が死んだあと―  作者: 八雲 海


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第二十四話 帳簿係の仕事 最終話

翌朝、惣介は陸奥に手紙を書いた。


 長くは書かなかった。


 「設計図を受け取りました。動かします。一度、会ってください」


 それだけだった。


 澄に頼んで、京都へ送ってもらった。


――――――


 返事は三日後に来た。


 陸奥らしい短い文だった。


 「長崎に行く。十日後。待っていろ」


 惣介は文を読んで、少し笑った。


 陸奥は動いていた。


 京都にいながら、ずっと動いていた。


 龍馬が死んでも、止まっていなかった。


――――――


 十日の間、惣介は動いた。


 まず長崎の港の商人を回った。


 海援隊と付き合いのある商人。龍馬を知っている商人。港の水深すいしんを知っている商人。


 一人一人に会った。


 設計図の話はまだしなかった。


 ただ、話を聞いた。


 どの港で何が動いているか。黒船商会がどう動いているか。保険の査定さていが変わった港はどこか。


 全部を帳簿に書き留めた。


 龍馬の設計図と照らし合わせた。


 数字が動き始めた。


――――――


 五日目、汐から話があると言ってきた。


 店に行くと、汐が地図を広げていた。


 「黒船商会が、また動いています」汐は言った。「長崎近郊の港、三つで保険の査定が変わりました」


 「どの港ですか」


 汐は地図に指を置いた。


 三つの港。全部、小さかった。全部、水深が深かった。


 惣介は設計図を思い出した。


 龍馬が引こうとした航路の線が、その三つの港を通っていた。


 「狙われているのは」惣介は言った。「設計図の航路上の港です」


 汐は惣介を見た。


 「龍馬さんの設計図を、向こうも知っているんですか」


 「知っているかもしれません」惣介は言った。「あるいは、同じことを考えている。港の価値は、同じ目で見れば、同じ場所に行き着く」


 汐は地図を見た。


 「先に動かないといけませんね」汐は静かに言った。


 「ええ」惣介は言った。「陸奥さんが来たら、話します」


――――――


 七日目、澄から報告があった。


 「神谷さんから連絡が来ました」澄は言った。「依頼人は、別冊の存在を諦めたようです。函館の混乱が大きくなって、動けなくなった」


 「榎本えのもとの勢力と新政府の衝突が始まりましたか」


 「始まりつつあります」澄は言った。「神谷さんは函館で、坂井さんの傍にいると言っています」


 「二人で守っているんですか」


 「そうです」澄は静かに言った。「神谷さんは、函館で新しい仕事を始めたようです」


 「どんな仕事ですか」


 「港の情報を集めて、商人に売る仕事です」澄は言った。「ただし、黒船商会には売らない、という条件で」


 惣介は少し笑った。


 「神谷さんらしい」


 「ええ」澄は言った。「値段次第で動く男が、値段のつけられないものを持ちました」


――――――


 陸奥が長崎に来たのは、約束の十日後だった。


 澄の事務所で会った。


 三人で向き合った。


 陸奥は惣介を見た。


 「顔が変わったな」陸奥は言った。


 「函館まで行ってきました」


 「設計図は」


 「持っています」


 陸奥は少し間を置いた。


 「見せろ」


 惣介は設計図を出した。


 陸奥は受け取った。


 開いた。


 読んだ。


 誰も何も言わなかった。


 陸奥が読む間、部屋が静かだった。


――――――


 読み終えて、陸奥は設計図を閉じた。


 しばらく黙っていた。


 「龍馬らしい」陸奥は静かに言った。「細部まで書いている。龍馬がこんなに細かく書くとは思わなかった」


 「誰にも任せられなかったからだと思います」惣介は言った。


 「そうだな」陸奥は言った。「こういうことを理解できる人間が、周りにいなかった」


 「今は」惣介は言った。「います」


 陸奥は惣介を見た。


 「お前が動かすのか」


 「動かします」


 「海援隊の帳簿係が」


 「ええ」惣介は言った。「龍馬さんが選んだ帳簿係です。数字が読める。それだけで十分だと、龍馬さんが言っていました」


 陸奥はしばらく惣介を見た。


 それから、小さく笑った。


 「龍馬らしい言い方だ」陸奥は言った。


――――――


 三人で、具体的な話をした。


 まず長崎から神戸への航路を動かす。


 海援隊の船を使う。


 各港の商人に声をかける。


 保険の仕組みを作る。小さい港も外さない設計で。


 陸奥は聞きながら、時々質問した。


 鋭い質問だった。数字を突いてきた。


 惣介は全部答えた。


 設計図を読んで、自分の言葉に直していたものが、ここで使えた。


 「資金は」陸奥は言った。


 「今は足りません」惣介は正直に言った。「でも、最初の航路が動けば、商人が集まります。そこから広げます」


 「最初の一本が動くまでが難しい」


 「ええ」惣介は言った。「だから陸奥さんに来てもらいました」


 陸奥は惣介を見た。


 「新政府の力を借りたいということか」


 「借りられますか」


 陸奥はしばらく黙った。


 「条件がある」陸奥は言った。


 「なんですか」


 「設計図の内容を、新政府が把握する」陸奥は言った。「民間主導でいい。ただ、把握はする」


 惣介は澄を見た。


 澄は静かに頷いた。


 「分かりました」惣介は言った。「ただし、設計図の実行は、海援隊が主導します。新政府が口を出す場面は、最小限にしてください」


 陸奥は惣介を見た。


 少し間を置いて、言った。


 「龍馬が生きていたら、同じことを言っただろうな」


――――――


 陸奥が帰った後、惣介と澄は二人で残った。


 「動き出しましたね」澄は言った。


 「ええ」惣介は言った。「ただ、これからが本番です。設計図を持っているだけでは、何も変わらない」


 「動かし続ける、ということですか」


 「龍馬さんが言っていました」惣介は言った。「設計図は道具じゃ。使わにゃ意味がない、と」


 澄は少し笑った。


 「坂井さんから聞きましたか」


 「ええ」


 二人はしばらく黙っていた。


 「澄さん」惣介は言った。「覚書おぼえがきは」


 「陸奥さんに、存在だけ伝えました」澄は言った。「内容は見せていません。でも、持っていることは伝えた」


 「反応は」


 「黙っていました」澄は静かに言った。「でも、目が動きました。分かっている人間の目でした」


 「それで十分ですか」


 「今は十分です」澄は言った。「いつか時期が来れば、使います」


――――――


 その夜、惣介は波止場に出た。


 一人だった。


 煙草を出した。


 火をつけた。


 煙を吐いた。


 霧の中で、白く溶けた。


 長崎の夜は静かだった。


 波止場に船が並んでいた。


 海援隊の船も、その中にあった。


 龍馬が動かしていた船だった。


 今は惣介が動かそうとしている船だった。


 設計図の最初の一本。


 長崎から神戸への航路。


 それが動けば、次が繋がる。


 神戸から横浜へ。横浜から函館へ。


 全部が繋がれば、黒船商会の線を迂回うかいできる。


 人が選べるようになる。


 どの港を使うか。どの航路を選ぶか。


 全部、自分で選べるようになる。


 まだ、先の話だった。


 でも、動き始めていた。


――――――


 惣介は波止場の端に立った。


 海を見た。


 波が来て、引いた。


 繰り返していた。


 止まらなかった。


 龍馬が見ていた海だった。


 汐の父が最後に見ていた海だった。


 澄の父が長崎で見ていた海だった。


 全部が繋がっていた。


 惣介は煙草を踏み消した。


 振り返った。


 長崎の街が見えた。


 灯りが点っていた。


 小さな灯りが、街の中に散らばっていた。


 一つ一つは小さかった。


 でも全部が点れば、明るくなった。


 設計図も、そういうものだと思った。


 一本の航路は小さい。


 でも繋がれば、大きくなる。


 惣介は歩き出した。


 宿に帰る。


 明日から、動き始める。


 帳簿係の仕事は、数字を読むことだった。


 でも今日から、数字を動かす仕事になった。


 龍馬が言っていた。


 お前は数字が読める。それだけで十分じゃ。


 十分だった。


 それで十分だった。


――――――


あとがき


 坂本龍馬は、日本で最も愛されている歴史上の人物の一人です。


 剣士として。理想家として。政治家として。これほど多くの角度から描かれてきた人物はいません。


 しかし、一つの角度からはあまり描かれてきませんでした。


 経済戦略家としての龍馬です。


 龍馬がグラバーをはじめとする英国系商人と深く繋がっていたことは、史実として知られています。武器の調達。船の手配。資金の流れ。これらを根拠に、「龍馬は英国の手先だったのではないか」という見方が、研究者の間でも語られてきました。


 私はその見方に、ずっと違和感を感じていました。


 龍馬は確かに、西洋の仕組みを使いました。でもそれは、仕組みを理解した上で、仕組みに飲まれないために使っていたのではないか。そう思っていました。


 この二作——『Company ―仕組みで戦え―』と『Company ―龍馬が死んだあと―』は、その問いへの、小説としての答えです。


 龍馬は東インド会社の論理を理解した。だから対抗できた。仕組みで来るなら、仕組みで戦う。刀ではなく、帳簿と航路と情報で。


 グローバリストの手先と言われた男が、実は最もグローバリストと戦っていた。


 これが、この物語を書いた理由です。


 続編である本作では、龍馬が死んだ後に何が残ったかを書きました。


 設計図は残った。それを守った人間がいた。そして受け取った人間がいた。


 この物語に登場する主要な人物には、一つの共通点があります。


 父親を失っていること。


 汐の父は港を潰されて死にました。澄の父は秘密を知りすぎて殺されました。神谷の父も、同じ構造の中で命を落としました。


 三人とも、同じ仕組みに父を奪われた。でも、その後の生き方は全く違いました。


 汐は受け入れて、静かに守り続けた。澄は証拠を集めて、いつか使う日を待った。神谷は誰も信じないことで、自分を守ろうとした。


 龍馬はその三人の痛みを、全部知っていました。


 だから設計図の中に、福浦の港のことを書いた。だから澄に「あんたの父親の死を無駄にするつもりはない」と言えた。


 龍馬は三人の痛みを受け取って、設計図に変えた。


 父の死が、設計図の中に生きていた。


 帳簿係の惣介がその設計図を受け取った時、三人の父の死も一緒に受け取っていたことになります。


 歴史は、有名な人間だけが動かすわけではありません。名前の残らない帳簿係が、数字を読みながら、静かに動かすこともある。


 惣介はそういう人間です。


 龍馬の続きを、龍馬ではない人間が動かす。


 それが、この物語で描きたかったことです。


 史実と異なる部分があります。登場人物の一部は架空です。でも描いたことの本質は、嘘ではないつもりです。


 読んでくださった皆さまに、心から感謝します。


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