第102話「四人の列」
朝のギルドは戸を開けたばかりで、広間は冷たさの中にある。
奥の竈で薪が鳴り始めて、火の熱はまだ壁際まで届かない。
人は少なく、掲示板の前に雪下ろし帰りの背中が残っている。
坑の紙は昨日見た場所にあった。
柵の先の間引き。日帰り。
連名で受けられる紙だ。
区画は順路の左半分と書いてある。
下の段は封鎖のままだ。
柵の先のどこまでで線を引くかは、この四人でまだ測っていない。
僕は紙を外してその場で読み直す。
刻限、区画、頭数の欄。
書き込む場所は頭に入れた。
窓口の列へも僕が並ぶ。
セナは掲示の板の前に残り、ナギは壁際の長椅子の端に腰を掛けた。
レオは戸口寄りの柱に杖を預けて立っている。
列はいつもの速さで進んでいく。
前に並ぶのは朝のうちに発つ組ばかりだ。
どの荷も仕上がっている。
窓の外で荷車の輪が石を噛む音がした。
僕の番が来ると、ミラさんが紙を検めて控えに書き付けた。
「柵の先の間引きですね。下の段の柵は閉じたままです。刻限は日暮れ、本日中の戻りです」
「はい。四人で入ります。左の区画を順路どおりに回って、日暮れの前には上がります」
ミラさんは頷いて、控えの端に短く書き足した。
「入域札を四枚お出しします」
台の上に札が並んだ。
木の札にも台の冷たさが移っている。
この前はこの台に七枚を並べた。
裏の欄に炭で戻りの日付を書く。
僕が書いてセナへ回した。
セナからナギ、ナギからレオ。
炭の音は誰の手でも変わらなかった。
書き終えた札を並べ直してミラさんへ戻す。
四つの日付は同じ字ではないのに、同じ日を指している。
ミラさんが控えに判を置く。
置いた手はそのまま次の綴りへ移った。
「お気をつけて」
「行ってきます」
札を分けてそれぞれの物入れに仕舞う。
竈の火が回り始めて、広間の空気は入った時より緩んでいた。
それでも戸口の風はまだ冬のままだ。
通りはまだ店の戸を外している最中だった。
軒下の氷柱が日の当たる先から細くなっていく。
坑口へ向かう道で僕らの息だけが白く続いた。
---
坑口までの道は北向きの日陰が続く。
霜柱が靴の下で細かく潰れた。
石組みをくぐると風が消える。
外の寒さはそこで切れて、代わりに坑の冷えが袖口から細く入ってきた。
中の冷えは動かない。同じ温度のまま肌のそばに居続ける冷えだ。
灯りに火を入れた。
油の匂いが低い天井の下へ薄く広がっていく。
入りの前で、間がひとつ空いた。
レオが背の荷を揺すり上げて、灯りを二つ提げた。
杖を背の紐へ通して、腰の剣を抜く。
柄の位置を一度直していちばん前に立った。
剣の先より前に、受ける背はない。
誰もそのことを言わなかった。
革の擦れる音が順に鳴って、それで支度は済んだ。
ナギが一歩置いて続いた。
つばの下の目はもう奥へ渡っている。
僕は三番目に入った。
腰の小盾が歩くたびに小さく鳴る。
セナがしんがりへ回った。
回る前に足が一拍止まる。
止まった足は何も言わないまま最後尾に動いた。
四人分の足音が、石の反響で少し増えて聞こえた。
数を見るのは僕の役のままだ。
順路の炭の印、油の残り、頭数。
数える先は減ったのに、数え方は変えなかった。
坑口から最初の印まで歩数はいつもどおりに揃った。
浅層の道は歩き慣れた広さだ。
岩の棚の張り出しも、頭を下げる場所も体が覚えている。
同じ道でも影の落ち方が違って見える。
見え方の違いを僕は数に入れ直しながら歩いた。
浅層でも呼び声は出さない。
止まる時は先頭の灯りが低く振られて、それが合図になる。
今朝の道で決めてきた。
溜まりの水際は線の高さで止まっていた。
冬の水は音を立てない。
灯りを寄せても水の面は動かなかった。
深層への柵をくぐった。
ここまでは体が覚えている。
低い連絡坑を背の高い順に屈んで抜け、その先で列の間が開く。
前を詰めていた背が一つ無い分、詰め直しの目安が変わった。
段の口の柵の手前で先頭の灯りが一度止まった。
柵は閉じたままで、掛け金に手は掛けない。
順路はここで折れて、柵の先の左半分へ入る。
先頭の灯りが揺れるたび、背の杖の影が壁で伸びて縮む。
僕はその影も目の端で数に入れて歩いた。
最初の獲物まで、誰も口をきかなかった。
息の音が列の速さと一緒に揃っていく。
ナギの足が先に止まった。
「左の奥。来るよ」
殻の縁が石を擦る音が浅く届く。
僕は数えた。
「六つ」
レオが灯りを二つとも岩の棚に置いた。
置いてそのまま前へ出る。
低い影が灯りの縁に入ってきた。
腰までの体が、数を頼みに横から押してくる。
先頭の一つへ剣が振られる。
石を打つより鈍い音がして影が横に逸れた。
逸れた殻へもう一度落として、影は床の上で止まった。
二度掛かる。
一度で落ちる打ち方ではない。
光は出ない。杖は背の後ろにある。
二つ目が内側へ潜り込む。
踏み込んで落とす間合いだ。
レオは踏み込まずに一歩引いて、引いた分だけ僕との間が詰まる。
刃を一本投げた。
柄の革が指を離れる感触はいつもどおりだ。
影の前で石が跳ねて脚が乱れる。
乱れた殻の合わせ目へ剣が下りた。
次の一つに構えたところでレオの背が先に入った。
投げる筋が消えて、僕の手は半拍遅れる。
前で受ける背があると、飛ばせる筋は減る。
右の暗さを影が二つ回っていく。
前は矢が越えていった高さを、今日は僕の刃が飛ぶ。
二本目で一つが裏返った。
三本目は外れて岩で高く鳴る。
手元に残る刃は一本になった。
背の音を受け持っていたセナが半歩前へ出かける。
右が薄いと見ての半歩だ。
糸が一度張って、すぐ緩んだ。
「セナはそのまま。ナギ、右」
声が思ったより早く出た。
出てから、なぜ早かったのかが分かった。
ナギは僕の声よりも先に動いていた。
足音は増えないまま、右の影が一つ石の上で止まる。
数は床に四つ。動いているのが二つ。
二つは灯りの外を回って、間合いを測り直している。
油の残りと日暮れの刻限を頭の中で並べた。
逃げた分を追えば、列は前後に伸びる。
伸びた列のまま仕留める形を、この四人はまだ持っていない。
「そこまで。下がって」
線は早めに引いた。
レオが剣を立てて一歩ずつ退がる。
ナギが戻ってセナの横まで下がった。
二つのうち一つが退がる背へ寄ってくる。
レオが剣を左手へ回して杖を抜いた。
持ち替える間に一歩詰められる。
深く踏んだところで杖の光に崩れた。
もう一つは岩の間へ入って、それきり音が絶えた。
五つまで数えた。
六つ目は数えに入れていない。
外した一つは夜のノートに書く数として持ち帰る。
逃げた一つの行き先を、灯りは追えない。
岩の間の暗さは同じ顔で並んでいる。
引いた線の内側に四人が揃っている。
それを確かめてから、剥ぎに掛かった。
床の五つを順に確かめた。
動くものは無い。
刺さった刃と落ちた刃を一本ずつ拾った。
杖の光で崩れた痕は、刃の傷より乾いて見えた。
柵の先の魔石は浅層のより一回り大きい。
合わせ目が深い分、剥ぎの手も長くなる。
僕は外れた刃を拾いに歩いた。
矢と違って、飛ばした分は自分の足で戻す。
岩の間で拾った刃は手の中でしばらく冷たいままだった。
順路の奥で、もう一度足が止まった。
今度は三つで、線を引く手前に終わる。
拾い直した刃を拭く間も、ナギの目は次の暗さを測っていた。
区画の左半分を回り終える頃には、殻の音は拾えなくなっていた。
紙に書かれた仕事はここまでだ。
順路の戻りにある広い場所で荷を下ろした。
座った岩から、上着を通して冷えが染みてくる。
セナが水の革袋を回した。
回す手が途中で半周ぶん戻る。
座りの輪が前より小さい。
膝と膝の間が空いたまま、袋は順に回っていった。
ナギが袖をまくった。
前腕に殻の縁で切った浅い線が一本ある。
血はもう乾いていた。
レオは灯りの芯を整えていた。
整え終えた手が、そのままナギの腕へ伸びる。
指の先に淡い光が灯った。
光は傷の上を一度なぞって消える。
ナギが袖を戻した。
レオは次の芯へ火を移している。
どの手も止まらなかった。
淡い光だった。
前に一度、レオの手を受けたことがある。あの時は当てられた場所から熱が引いていった。
水が一回りして戻ってきた。
飲むと喉の奥で細く冷たい。
ナギは帽子を脱いで、つばの内側を指で拭ってから被り直した。
レオは替えの芯を数えて、灯りに油を注ぎ足している。
油の残りを確かめた。
帰りの分はある。
四本の刃は布で拭いてから腰に戻した。
魔石の粒は革の小袋にまとめた。
振ると乾いた音が薄く鳴る。
粒の数は坑を出る前にもう一度数える。
窓口で読み上げられる数と揃えておくためだ。
頭数の四を声に出さずに数えて、荷を締め直す。
行きより口数の少ない支度だった。
その分だけ、支度の音がよく聞こえた。
休みは長く取らなかった。
日暮れの刻限は札に焼き入れてある。
立ち上がる時、セナが僕の荷の紐の緩みを指した。
締め直して、列は行きと同じ順で戻りに就いた。
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坑口の石組みを抜けると、外は日暮れの色に変わっていた。
風が正面から来て、汗の乾いた背中から冷えていく。
街への道は緩い下りだ。
道の端の雪が夕方の色を吸い始めている。
日陰の土は昼のうちも固いままだ。
朝の僕らの足跡が、凍ったまま道に残っている。
帰りの足はその上を踏んでいった。
ナギとレオが前を行く。
二人の影が長く道の先へ伸びていた。
レオが腰の剣の柄を親指で押した。
「リク。明日、研ぐから見てくれないか」
「剣、使ってなかったよね?」
「久しぶりに振ったら、思ったより刃が寝てたんだよ」
前に立ったのは去年の主持ち以来だ。
あの時は隣に押さえる背があった。
札の刻限にはまだ間がある。
それでも一度、空と引き比べた。
セナの歩幅が遅れ始めた。
半歩、また半歩。
僕は速さを落として横に並んだ。
前の二人との間が少しずつ開いていく。
しばらくは足音だけだった。
荷車の轍が凍り始めて、足の下で細く鳴る。
「今日、止めたでしょ」
返事をする前に、次が来た。
「……私のために、庇ったんだよね」
セナの目は道の先から動かない。
白い息が、言葉のあとから流れて消える。
靴の先が凍った土を薄く削った。
僕は返す言葉を探した。
探している間も、足は同じ速さで動いている。
見つかる前に、頷いていた。
頷きが見えたかどうかは分からない。
セナはそれきり口を開かなかった。
僕も、開かないまま歩いた。
下りの道が終わるまで、二人分の足音が並んだ。
畑の間の道に入る。
西の日がまっすぐ目に入る高さまで下りていた。
目を細めた分、足の下の道がよく見える。
雪の畑は夕方の色を先に失っていく。
前を行く二人との間はそれ以上開かなかった。
振り返らないまま、歩幅だけがこちらと揃っている。
道が平らになった辺りで前の二人が歩を緩めた。
四人の間が、元の長さに戻っていく。
戻った並びは坑の中の順のままだった。
街の門が近づいてきた。
門の外には夕方の荷車が連なって、進んでは止まっていた。
人だけの僕らは脇を通してもらえる。
門番の前を順にくぐった。
門の内では店の戸を閉める音があちこちで鳴っている。
荷を背負った僕らは人の間を縫って歩いた。
戸口から漏れる灯りが、道の雪を切れ切れに照らしている。
どこかの戸の隙間から煮炊きの匂いが流れてくる。
冷えは足元から上がってくる時刻になっていた。
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戸を入ると広間は帰りの人で埋まっていた。
精算の列に四人で並ぶ。
窓口の奥で綴りのめくられる音が続いている。
番が来て、控えと札を台に置いた。
台の板は一日分の冷えを溜めている。
冷たさが控えを押さえる指に移ってきた。
窓口の灯りの下は昼と変わらない手つきで動いている。
読み上げは短かった。
間引きの数、額、日付。
読み上げの数は坑を出る前に数えた粒と揃っていた。
銅貨の山が押し出されてくる。
その場で四つに分けた。
分け方は坑を出る前に決めてある。
ミラさんが札を綴りに挟んで、判を置く。
「お疲れ様でした。柵の先の紙は明日も出ます」
「お願いします」
戸口の外はもう夜だった。
四つ角でナギとレオが東へ折れた。
掛けた声はひと言だ。
分かれてからも、足の運びに数が付いてきた。
何を数えているのかは、決めないままだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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