水陸両用の名将:戚継光⑥
〇俞大猷という男
嘉靖三十四年、福建の空は晴れていた。
倭寇との戦いが続く中、戚継光は馬に乗って、とある駐屯地へ向かっていた。
「ふむ……最近、福建方面でも倭寇の動きが活発だというし、うわさのあの人物に会ってみるか……」
彼の名は、俞大猷。
福建の指揮官であり、倭寇退治のプロとまで呼ばれる猛者である。
──という前情報だったのだが。
「……え? あなたが俞大猷?」
戚継光は、思わず眉をひそめた。
目の前には、胸を張った中年の男が立っていた。
年のころ、どう見ても五十を過ぎている。
「ふふん! 見た目はちょっと貫禄があるかもしれんがな、わしはこれでも二十七歳!」
「いやいやいや! 絶対ウソでしょ! そのヒゲの主張、どう見てもお父さん!」
「戚継光、貴様……いや貴公、なかなか正直な物言いをするな……気に入った!」
「なんか複雑な気分なんですけど」
俞大猷は、いきなり腰から巻物を取り出すと、パッと地面に広げた。
「これを見よ! これがワシの“倭寇撃退作戦・其の七”じゃ!」
「えっ、其の七……?」
「其の一から六は風に飛ばされた」
「雑うううううっ!!」
しかし巻物に書かれていたのは、意外にも理にかなった作戦だった。
奇襲、煙幕、陸と海の連携戦術……。
「……これは……すごいな。理論も筋が通ってるし、敵の動きもよく読んでる」
「ふふん、ワシをただの昔自慢のオヤジだと思ったか!」
「いや、最初は“ただの昔自慢のオヤジ”だったんですけど」
「よーし、あと五時間くらいで自慢話を百個ほど聞かせたろ!」
「やめてええええええ!!」
だが、話しているうちに、戚継光の心の中にふと熱いものが灯った。
──この人は本物だ。
作戦だけでなく、現場を知っている者の目つき。
血のにおいを知っている者の風格。
そのすべてが、軽口の裏に隠されていた。
「……俞大猷殿。もしよろしければ、今後の倭寇討伐、協力していただけますか?」
「おお、もちろんじゃとも! お主のような若者と一緒に戦えるなら、ワシももうひと花咲かせるぞ!」
「それじゃ“ひと花”という言い方だと、“最後の花”っぽいですよ!」
「むっ、お主ほんに口が悪いな!? よし、今度こそ“其の八”を書き足すついでに説教してやる!」
「今度は飛ばされないようにしてくださいねぇ!」
こんなふうにして、戚継光と俞大猷は手を取り合い、
福建の空の下、にぎやかで、でも確かな絆を結んだのであった。
倭寇討伐の英雄ふたりの出会いは、ちょっとヘンテコで、でも、どこか温かい。
――そして今日もどこかで、自慢話がまたひとつ、生まれるのであった。
〇鬼嫁襲来! 戚継光、家事と育児の現実に挑む
戚継光は、今日も福建での任務から帰ってきた。
長い留守番もようやく終わり、家の扉を開けると――
「おかえりなさいませぇ~~~!」
玄関に立っていたのは、鬼嫁こと王氏である。
「おう、ただいま……って、顔が怖いな、王さん……」
「なにが“顔が怖い”よ! アンタ!あんまり家に帰ってこないくせに、家事も育児もな~~んにもしないでしょ!」
戚継光は、ひとまず自分の甲冑を脱ぎながら、苦笑いした。
「まあまあ、軍人の仕事は命がけだし、少しは勘弁してくれよ」
「はあ!? 命がけだからって、子どもが泣いても知らん顔? 洗濯物は山積み、食器はそのまま、床はほこりまみれ!」
「……そうか、言い訳できん。俺、武将としてはまあまあでも、家庭のことはサッパリだなあ」
「サッパリじゃなくて“ズボラ”よ、ズボラ!!」
王氏は、腕を組んで戚継光を睨みつけた。
「でもな、戦場じゃああんなに強いあんたが、家のことはダメって、どういうこと?」
「ははは、そりゃ武器は振り回せても、洗濯バサミは振り回せんよ」
「何それ意味わかんない! 戚継光、あんた、育児も分担しなさいよ!」
戚継光は困った顔で、隅っちょで泣いている赤ん坊の様子を見つめた。
「ああ、この子か……そうだよな、父親としてはもうちょっと頑張らんと」
「頑張るって……具体的に何をするつもり?」
「……まずはおむつ替えの特訓だな。あの、赤ちゃんのあの……なんだっけ、あの臭いの処理だよ!」
「臭いの処理って……おむつ交換って言いなさいよね! それから掃除、料理、洗濯も全部よ! あんた一人じゃ何もできないくせに!」
「うーん、洗濯か……」
「嘉靖年間の家事って未来みたいに洗濯機や電気炊飯器があるわけじゃないのよ? 洗濯は川まで行って服を叩いて、何時間も水に浸して泥を落とすんだから。料理も薪を使って火をおこして、赤ちゃんのミルクはもちろん母乳か、火で煮たお粥とか。赤ん坊のおむつは布を何枚も洗って乾かしての繰り返しで、本当に大変なの!」
「言っている意味がわからないのだが……」
「読んでいる人にはわかるのよ! それに、育児もお母さん任せじゃなくて、みんなで助け合わないと無理なの!」
「うーん、考えが甘かった……」
「それに、赤ちゃんが泣けば夜中でも起きてあやさなきゃいけないし、そんなの戦の後の夜襲よりずっとキツイんだから!」
「戦は武器と作戦で乗り切れるけど、育児は心と根気だもんな……」
王氏は満足げに頷きながらも、腕組みは解かなかった。
「まあいいわ。あんたも男なら、少しは家のことも戦場と思いなさいよ。戦いは家の中にもあるのよ!」
「家の中の戦い……それはまさに“育児”という名の大合戦か……」
「その通り! だから次の作戦会議は、“育児分担の進捗報告”でよろしくね!」
「……くっそ、また仕事が増えたな」
戚継光は肩を落としつつも、心の中で誓った。
――いつか、家の中でも戦上手になってみせる!
そう決意しながら、彼は王氏とともに、やかましくも楽しい「家庭の戦場」へと歩みを進めたのだった。
〇戚継光、海賊王と遭遇!? 登州での大騒動
嘉靖三十四年、戚継光は二十七歳。
彼は登州衛で、明の沿岸を襲う倭寇たちの掃討に取り組み始めていた。
福建や浙江の海沿いを守るため、日夜奮闘中である。
「童元鎮、劉顯、準備はいいか?」
「はい、隊長!敵はしぶといですが、絶対に退かせます!」
実直な童元鎮がきりっと答える。
有能なのに細かい失敗が多い劉顯は、
「あ、あの……軍旗を逆さに立てちゃったのは秘密でお願いします……」と小声。
「もう、劉、またかよ!」童元鎮が突っ込む。
そんな中、敵の海賊王を自称する男がいた。
村上武吉――倭寇の有力な頭目だ。
彼は明の沿岸を襲撃し、海賊王を夢見ている。
ある日、戚継光の部隊は村上率いる海賊船団と遭遇した。
「おお、見ろよ、あれが村上武吉って奴だ!あいつ、海賊王を目指してるらしいぜ!」劉顯がびくびく言う。
「海賊王か……漫画みたいな話だな」と童元鎮が呆れ顔。
「いいや、あれは本気だ。実際、こいつの船団はかなりの手練れ(てだれ)だぞ」戚継光は真剣な顔で言った。
だが、村上は単純で、ちょっとおっちょこちょいなところもあった。
「おい! 明の兵ども!俺様は海賊王、村上武吉だ!お前ら、覚悟しろ!」
叫びながらも、船の甲板で足をすべらせて転びそうになった。
「やれやれ、海賊王も人間だな……」戚継光は笑いをこらえた。
戦闘が始まると、童元鎮が冷静に指示を出す。
「劉、あんたはまた旗を逆さにしないようにな!」
「はい、はい、気をつけます!」
一方、村上は敵を油断させるため、やたら大声で自己紹介を繰り返す。
「俺が海賊王だあああ!」
けれども、彼の船団は強い。
戚継光は何度も海を渡り、倭寇との戦いを続けたが、村上だけはなかなか捕まらない。
「こいつ、まるで逃げ足が速いウサギみたいだな……」
「いや、ウサギじゃなくて海賊船だ!」
童元鎮がツッコミを入れる。
そんなこんなで、戚継光たちは村上を追い詰めながらも、時にコントみたいなドタバタ劇を繰り返していた。
だが、その戦いこそが明の海を守る重要な一歩だったのだ。
「さあ、次の作戦会議は『海賊王村上対策』だ!みんな、気合い入れていくぞ!」
「了解であります、隊長!」
笑いもあり、涙もあり、戦いは続く。
それが、若き戚継光と彼の仲間たちの、登州衛での冒険だったのだ。




