水陸両用の名将:戚継光⑰
〇【モンゴル、北からこんにちは】
「将軍、なんか変な風が吹いてきました」
童元鎮が窓の外を見ながら言った。空は晴れているのに、砂が混じった風がひゅうひゅうと音を立てている。
「……あの風だ。あの嫌な風だ……!」
戚継光は立ち上がると、兜を手にして振り返った。
「アルタン・ハーンが来たぞ!」
部屋の空気が一瞬で凍りついた。
「えっ、えっ? ハーンって、あの草原の大ボス?」
劉顯が茶をこぼしながら叫ぶ。
「そうだ、いかにもな騎馬民族、いかにもな乱入、そしていかにもな暴走だ!」
すると、襖を勢いよく開けて林悦が飛び込んできた。
「将軍〜! 北の警備隊が言ってたわよ〜! 『アイツら、馬で城壁よじ登ろうとしてる!』って〜! 無理があるでしょ〜!」
「こじ開けられる前に、こっちが押し返す! 出陣だ!」
戚継光が叫び、軍を率いて平野に出ると、そこにはわらわらと押し寄せるモンゴル軍。まるで砂嵐の中から現れたようだった。
「将軍ぅ〜! アルタンって、顔も名前もラスボス感つよいけど、なんで突然攻めてくるのよぉ〜!」
林悦が叫ぶ。
「知らん! たぶん昼メシの羊が不味かったとか、そのレベルの理由だ!」
そのとき、馬上から金ピカの鎧に身を包んだ男が現れた。目つきはギラギラ、声はドスドス。
「われこそは、アルタン・ハーン! 草原の帝王、羊肉の神、そして……イライラの化身だァァ!!」
「やっぱそれかーーーッ!」
戚継光は叫ぶと、槍を構えた。
「……行くぞ、おまえら。今日の晩ご飯は、アルタンの焼き肉だ!」
「え、焼くんですか!?」
「いや、比喩だ比喩!」
北方の軍が、一気に突撃をかけた!
劉顯は馬に乗ったが、またもや逆方向に走り出す。
「ちょ、ちょっと待って!? 馬が、馬がアルタン側にごあいさつぅぅぅ!」
童元鎮がそれを無言で引き戻し、林悦がその背中に「キャー、ナイス突っ込みぃ〜」と投げキス。
薛綱は笑いながら弓を引く。
「ギャハハハ! あいつら、やたら吠えてるだけで突っ込みが甘いぞ〜!」
「その“突っ込み”は芸人の話じゃねぇ!!」
やがて、戦場の真ん中で戚継光とアルタン・ハーンが向かい合った。
「おまえ、ちょっと顔がかっこいいからってイキってんじゃねぇぞ!」
「ぬうっ!? そう言われたのは初めてだ!」
「ならば初めてをくれてやる!」
二人の武将がガチンとぶつかり、ものすごい衝撃が砂煙を巻き起こした。
だが、そこへタイミング悪く劉顯がふっとんできて、アルタンの馬に激突。
「す、すみません将軍! またやりましたぁぁぁ!」
「グボォッ……」
アルタン・ハーンがあっさり落馬。
その様子を見て、林悦が叫んだ。
「ちょっと待って!? ハーン、めっちゃ弱点“接触事故”じゃないの!?」
そして、薛綱は笑いながらこう言った。
「……ギャハハ! この戦、勝ったな」
こうして、アルタン軍は退却。草原に砂煙を残して、どこかへ消えていった。
「……よし。今日からは、ちょっとだけ平和だな」
戚継光がつぶやくと、童元鎮が腕を組んで言った。
「でもその“ちょっとだけ”ってところが、また嫌な予感ですね」
「まぁな。どうせまた来るんだろ。羊が不味かったら」
隊のみんなが笑った。
秋の空は高く、北の風がすこしだけ穏やかに吹いていた。
〇【戚継光、しょんぼり帰郷】
「殿~~っ! な、なにかの間違いですわよねぇぇぇぇ!?」
声の主は、相も変わらずテンション高めの部下、林悦である。泣きそうな顔で走ってくる姿は、どう見てもおカマの市場の魚屋さんだ。
「……つまり、わしは――クビ、だと」
戚継光、五十四歳。北の英雄、アルタン・ハーンを撃退した伝説の将軍は、いま、書状を片手にがっくり肩を落としていた。
「クビって! 首って! 殿、それってつまり――」
「だから罷免だって言ってるだろ! 首といっても斬られるんじゃない、役職が外されるだけだ!」
童元鎮がいつも通りの冷静なツッコミを入れるが、その目の奥は怒りでギラついている。
「なにが“朝廷の方針に背いた”じゃ! なにが“僭越な越権行為”だ! 殿の軍がいなけりゃ、アルタンの馬で北京が草原になっとるわ!」
「ねぇぇぇ、でもワタクシたち、あんなに頑張ったのにぃ~~……っ。あんなに寒かったのにぃ……っ」
「お前は寒さじゃなくて、自分の顔の凍結心配してただけだろ」
冷静な突っ込みを入れるのは劉顯……だったが、その手元の報告書は裏返し。しかも墨をこぼしている。
「……って、うわっ、またインク! あっ……す、すみません、殿……」
「お前なぁ、せめてこういうときは一発くらいちゃんと決めろ」
戚継光はため息をついた。周りの部下たちのリアクションは、愛しくもあり、痛々しくもある。なにしろ、この十年近く、彼らと共に汗も血も――たまに涙も流してきたのだから。
「……しかしな、わしは覚悟しとったんじゃ」
「え?」
「宦官どもが裏でごちゃごちゃ言ってくるのは、もうずっと前からだった。あいつら、軍のことなんか何にも知らんのに、やたら口だけは達者でのぅ……」
「でも! でもですよ! 功績だってちゃんと報告されてたはずですし、殿のやってきたことは――」
「“やってきたこと”が、気にくわんかったんじゃろうな」
ぽつりと言ったその言葉に、空気が一瞬だけ静まり返った。
「朝廷はな、実績より体裁が大事なんじゃ。戦に勝っても、文句を言われる。戦わなければ、無能と言われる。じゃが、その中で兵をまとめ、民を守り、勝ち続けることの大変さを――わかってくれるやつは、案外少ないんじゃよ」
その背中が、少しだけ小さく見えた。
「……でも、殿は帰るんですね」
「うむ。帰郷じゃ。なあに、ちょっと“お休み”じゃよ」
「本当に……?」
「家に帰って、菜っ葉でも植えてのんびりするさ。朝廷がまた火を噴いたら、わしを呼び戻すかもしれん。そんときゃ――」
「その時ゃあ! また殿の槍が火を吹きますなッ!!」
突如として叫んだのは、薛綱だった。
「……って、何が可笑しいんじゃ、薛!」
「いやっ、すみません! “槍が火を吹く”って……ぷぷっ、燃えとるじゃないですか! 殿の槍、爆発しとる!」
「笑い事かーッ!!」
どっと笑いが広がる。
やっぱりこの部下たちは、最強で、最高で、最愛の仲間たちだ。
「……じゃあ、みんな。元気でな」
「また戻ってきてくださいねぇぇぇぇ! その時まで、ちゃんと顔面マッサージして待ってますからぁぁぁ!」
「そこじゃねぇぇぇぇぇ!!」
こうして、戚継光は静かに、しかし晴れ晴れとした笑いに包まれながら、故郷へと帰っていった。
たぶん、次に彼が戻るときも、また笑い声とツッコミに囲まれているだろう。
いや、それがなくちゃ、戚継光じゃない。
〇【忠武侯・戚継光、ついに大往生!?】
万暦十六年、十五世紀も終わろうというころ――我らが戚継光、なんと満六十歳の大往生を迎えたのでございます。
「おいおい、あの北の荒くれ者アルタン・ハーンも倒した男が、もう六十歳かよ…時の流れってやつは早いなあ」
と、誰かが呟く中、登州の小さな家で、戚将軍は今日も兵学を教えていた。
「兵法は、ただの戦いの技術じゃない。心の持ちようでもあるんだ。戦うだけじゃ強くなれぬ。強く生きる、それが大事じゃ」
教え子たちは頷きながらも、実は将軍の講義より隣にいる側室たちのやりとりに夢中だった。
まずは甘えん坊のおねだり系、側室1。
「将軍様ぁ~、今日のお昼は何か甘いものありますかぁ?お疲れですし、甘いもの食べて元気だしてくださいよぉ~」
「お前さん、それは兵法の講義と関係あるのか?」
と、将軍は苦笑しながらも優しく答える。
「関係ないですけど、将軍様のご機嫌は兵の士気に直結しますから!」
一方、ツンデレ系の側室2は、顔を真っ赤にしながらもついツンツン攻撃。
「甘やかしすぎないでよね!将軍だってもう歳なんだから、無理しちゃダメなんだから!」
「ツンデレっぷりが今日も炸裂してるな……まあ、お前がいないと家が静かすぎるんだが」
そんなドタバタ劇のなか、戚将軍はゆっくりと微笑んだ。
「わしはもういつでもいい。大事なのはこの若い者たちに何か残すことじゃ」
その言葉に、側室1はすかさず甘えた声で言う。
「なら、将軍様のそばにずっといて、ずーっと守ってあげますからねぇ~」
ツンデレの側室2も顔を赤らめて、ぽつり。
「……うるさい、甘ったれるなよ。まあ、そばにいれば、多少は安心だが」
部屋は和やかな笑いに包まれていた。
しかし、その夜、戚将軍は静かに息を引き取った。
教え子たちも側室たちも、しばし涙をこらえながらも、なんとか笑顔で見送ろうとした。
「殿……これからは将軍様の教えを胸に、われわれが国を守ります!」
「殿のことは絶対忘れません!」
こうして、忠義に厚い戚継光は、明朝から「忠武侯」という立派な諡号をもらい、名誉もすっかり回復したのであった。
「まあ、政敵たちも黙るしかないよね~。あの将軍様にケチをつけたやつは、後で自分が後悔したわけだよね~」
側室1が嬉しそうに言い、側室2はツンとしながらも微笑んだ。
「……あんたも、ちょっとはいいこと言うようになったじゃない」
そんな戚家の、ちょっと笑えるけど心温まる晩年の物語である。




