異伝 選択肢があったっていうなら「if」を見せろ
『英雄』としてこの世界に召喚され、パレードによる歓待を受けた次の日の深夜。
僕は寝巻を脱ぎ捨てると、事前に用意されていた旅装に着替え、自室を抜け出した。
すでに城内はほとんどが寝静まっていて、人――いや、エルフか――の気配は感じられなかった。
恐らく今は夜の二時ぐらい。
僕たちの世界と違って、ここにはテレビもインターネットもない。
なので夜更かしという概念は薄いのだろう。
そんな中、僕がどうしてここにいるか?
……答えは簡単。
――逃げるためだ。
だって、死にたくない。
神の悪戯か、僕の身体にはある時限爆弾が仕掛けてある。
端的にいえば、一時的に膨大な力を得られる代わりに、肉体の崩壊を引き起こすというもの。
……このことは、僕以外誰も知らない。
だからこの国――エルグランドの人々は平然と僕と雷牙に希望を託す。とても、安易に。
「お願いします、ユート様。この国を救ってください!」
僕たちを救世主と褒め称える彼らの言葉。
でも、僕にはこうとしか聞こえない。
――見ず知らずの国を救うために死ね。
僕自身気づきたくなんてなかった。
無知なまま、『魔竜』に挑んでから土壇場で理解できたならどれだけよかっただろう。
でも、気づいてしまえばもう駄目だった。
平常心を保っているつもりでも、唇が震える。
どうして僕が犠牲にならなきゃならないんだろう?
僕にだって夢はあるんだ。
それを踏みにじられてまで――。
だから、逃げる。
雷牙には悪いと思う。
でも、彼に説明することは憚られた。なんだかんだいって面倒見のいい彼のことだ。
『英雄』と呼ばれ満更でもなさそうだったし、僕を引き留めようとするだろう。
なので、誰にも理由を告げず去る。
そういう予定だった。
なのに。
「勇人……こんな夜更けにどこに行くんだ?」
……僕の前に現れたのは雷牙だった。
◆
こうなってしまっては事情を説明しないわけにもいかず、僕は素直に全てを話す。
かいつまんでだけど――もしこのまま立ち向かえば必ず死ぬ。
この一点だけはきっぱりと断言する。
「そうか……」
困惑の色が濃い。
当たり前だ。
誰が僕の言うことを信じられるというのか。
怖気づいたのが原因の狂言と受け取るのが普通だろう。
でも――。
「なら、俺もお前と一緒に行くよ」
「なっ……」
虚を突かれた僕に対し、雷牙は平然と頷いて見せる。
「……そんなこといったら、俺もこの国のために戦う義理なんてねえし。俺としてはお前の方が心配だよ。一人でどうやって生きていくつもりなんだ?」
「それは……」
言葉に詰まる。
ここは日本ではない。
身寄りのない女――不本意なことに今僕の肉体は女になってしまっている――が暮らしていくなんて到底夢物語。
雷牙のように特殊な力を持っていれば話は別だけど、僕は魔法ぐらいしか特技はない。
それも持ち前の魔力の関係で小規模なものだけ。
――そんなことはわかっていても、僕はここから逃げ出したくて仕方がなかったんだ。
「まあ、養ってやるから」
雷牙は腕まくりして僕を見る。
「……何考えてるんだか」
呆れたように呟けば
「言っただろ。好きだって。冗談じゃないんだよ」
彼は照れたように頬を掻きながら笑っていた。
――そして、僕たちは見張りのエルフたちに見つからないよう、城を後にした。
闇夜の中、国外へと逃亡するため駆ける。
僕と雷牙では移動速度に差がありすぎるので、必然的におんぶのような形となる。
揺られながら、僕は彼に身を任せていた……。
◆
あれから三年が経った。
僕たちは今、隣国であるレギオニアで暮らしている。
幸運なことに、当時のエルグランドは『魔竜』のおかげで混乱していて、国境の警備は手薄だった。
僕は今、酒場の料理人として働いている。
最初は給仕の募集しかしていなかったんだけど、持ち前の家事スキルを活かせば就職は簡単だった。
向こうの世界の料理はこちらでは斬新に映るようで、自分で言うのもなんだけど、天才料理人のような扱いを受けてしまっている。
ようやくお昼の混雑が終わり、一息つく。
酒場だけあってメインは夜のはずなんだけど、物珍しさが評判を呼び、未だにランチタイムは戦場となる。
「おい、休憩取っていいぞ。後は俺がやっとくから」
「はい、オーナー」
「その呼び方止めてくんねえかなあ、畏まった呼び方されるとケツが痒くなるんだが……」
僕の返事にオーナーは困った顔をする。
彼としては、自分はあくまで「酒場の親父」であって、洒落た呼び方をされるものではないのだとか。
「にしても、ユーリがこの店に来て三年か。はええもんだな。あの坊主――タイゴンって言ったか?」
――僕たちは、逃亡の際に名前を変えた。
勇人ではなくユーリ。それが今の僕。
雷牙も同様で、タイゴンと名乗っている。
「はい」
「あいつもたった三年でAランクとはなあ。ホント出世頭だぜ。その割に欲がねえけどな」
雷牙は今、冒険者を生業としている。
……冒険者なんて言えば聞こえはいいけど、実のところ体のいい便利屋だ。
遠出するような依頼は避け、日帰りで仕事をこなし続けている。
彼の実力ならもっと上を目指せるだろうに……。
この街から……いや、僕から離れたくないらしい。
「ユーリもよくあんな男を引っかけたもんだ」
「……人聞きの悪い言い方は止めてください」
……僕と雷牙は恋人同士になった。
僕は十数年、元の世界で男として暮らしてきた。
彼を受け入れることに抵抗がなかったかっていえば嘘になる。
でも、僕たちはエルフを見捨てた負い目から逃れるかのようにお互いを求めあい、溺れていった。
そうしてずるずると今のような関係になってしまったわけ。
「じゃあ、ちょっとぶらりと街を回ってきますね」
「ああ。まあ、ゆっくりしといてくれて構わねえぜ」
僕はオーナーに軽く会釈をすると、酒場を出て商店街の方へと向かう。
◆
芋を洗うような混雑っぷりに辟易しながらも僕は周囲を窺う。
……ヒト、ドワーフ、竜人。うん、問題ない。
ほっと一安心して、僕は歩きだす。
この町は決して大きくはないけれど、活気にあふれている。
……レギオニアはこの大陸に唯一現存する国家だからだ。
「あの……」
「え?」
突然声をかけられ、僕は振り向いた。
「道をお尋ねしたいのですが……」
「ひっ……」
尋ね人の顔を見て――僕は硬直。
「……大丈夫ですか?」
「……いえ」
線の細い女性だった。
鮮やかな金髪に流麗な顔立ち。そして、耳は尖っている。
――エルフだ。
「あの、顔が蒼いですよ?」
「なんでもないですから」
そう認識した途端、身が強張り、ばくばくと心臓が脈打ち始め、手が震える。
あの日以来、僕はエルフを見るたびこうなってしまう。
「でも……」
「ごめんなさい。道は別の人に聞いてください」
怖い。
早口で会話を打ち切り、僕は足早に立ち去った。
過敏な反応だってわかっている。
彼女が僕のことを知っているはずがない。
だって、エルグランドの人間は全員死んでしまったのだから。
――その知らせを聞いたのは、僕たちが逃げ出した一年ほど後のことだった。
ついに『魔竜』は活動を始め、エルグランド王城は破壊されつくしたのだという。
王族までもが勇敢に戦い、そして散って行った。
国民の避難も間に合わなかったようだ。
瘴気の蔓延するスピードはそれほどまでに迅速だったらしい。
だから、今のこの大陸にエルフは極少数しか存在していない。
大多数がエルグランドと運命と共にしたのだ。
でも、もしかしたら生き残りがいるかもしれない。
彼らは僕のことを恨んでいるだろう。
いつ報復されるかもわからない。
……僕たちが名前を変えたのもそれが原因。
それから一年の間、各国から『魔竜』討伐隊が派遣されたのだけど、殆どが全滅の憂き目にあった。
力の差は甚大。
結局、『魔竜』を討ち取るころにはレギオニア以外の国は滅び去ってしまっていた。
僕が逃げたせいで、何十――何百万という命が失われた。
今でも考え続けている。
僕一人の命に、それだけの価値があったのだろうか。
彼らの命と摘み取ったのは間違いなく僕だった。
姿なき復讐者を恐れ、僕は走り出す。
人ごみを突っ切る僕を、周囲の人間は忌々しげに睨み付ける。
「らいがさま、ゆーとさま、ぜったいに、まりゅうをたおしてくださいっ!」
エルフの幼子の嘆願が、今なお僕の耳に残響し続けていた――。
もし逃げてたらこうなってましたよ、っていうお話