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最終話 明日へ続く鏡と、笑顔の旅立ちです

【黒凍の極地】を包み込んでいた禍々しい黒雲は完全に晴れ渡り、どこまでも澄み切った青空が広がっていた。


白銀の大地の上で、完璧な姿を取り戻した『界渡りの鏡』が、優しく温かな桜色の光を放っている。


鏡の表面が波紋のように揺れ動き、その奥には――汐恩が見慣れた、どこか懐かしい現代日本の街並みが透けて見えていた。


「開いた・・・。本当に、帰れるんだね」


汐恩はぽつりと呟き、自分の掌を見つめた。


異世界に召喚されたばかりの頃の自分は、与えられたチート能力の強さに胡坐をかき、どこかこの世界をゲーム感覚で捉えていた。


だが、敗北の悔しさに打ちのめされ、泥に塗れながら特訓を重ね、この二人と肩を並べて戦ってきた日々。そのすべてが、今の汐恩の血となり肉となっていた。


「汐恩・・・」


燈真が静かに歩み寄り、復元された鏡の横で足を止めた。


その表情には、無事に彼女を元の世界へ送り返せる安堵と、どうしても拭いきれない寂しさが交錯している。


「僕たちの旅は、ここで終わりだ。君がいてくれたから、僕たちはここまで来られた。世界の危機を救えたのも、すべて君のおかげだ。・・・本当に、ありがとう」


燈真が深々と頭を下げる。


その横で、小さな狐の姿に戻ったコノハが、ふさふさの尻尾を小さく揺らしながら汐恩を見上げていた。


『ふん、寂しくなるのう・・・。汐恩が居なくなったら、妾の肩乗り役がいなくなってしまうではないか』


強がりを言いながらも、コノハの大きな瞳にはうっすらと光るものがあった。


コノハは自分の首元から、金の糸で紡がれた小さな袋を取り出すと、それを前脚で汐恩へと差し出した。


『・・・これを持っていけ、汐恩。妾の九尾の神力をひとしずく、封じ込めておいた特製のお守りじゃ。向こうの世界で何か困ったことがあった時、きっとおぬしを護ってくれる』


「コノハ様・・・」


汐恩は両手で大切にそのお守りを受け取った。


手に取ると、ぽかぽかと日向のような温かさが伝わってくる。まるでコノハがずっと側にいてくれるかのような、優しい温もりだった。


「ありがとう、コノハ様。一生の宝物にするね」


お守りを胸にぎゅっと抱きしめ、汐恩は二人に向き直った。


風が吹き抜け、彼女の髪と防寒具の裾を優しく揺らす。


「私ね・・・向こうの世界にいた頃、自分が何をしたいのか、将来どうなりたいのか、全っ然分からなかったの。学校で配られた進路希望調査票も、ずっと白紙のまま提出できなくてさ」


汐恩はフッと自嘲気味に笑ったが、その瞳には力強い光が宿っていた。


「でも、二人と一緒に旅をして、負けて、泣いて、励まし合って・・・自分の足で前に進む楽しさを教えてもらった。この世界で経験したことは、絶対に忘れない。・・・やっと進路希望調査票、書けそうだよ」


自分の未来から逃げていた女子高生は、もうどこにもいない。


剣の強さだけでなく、どんな困難にも挫けないしなやかな「心の強さ」を手に入れた汐恩が、そこに立っていた。


燈真は驚いたように目を見張り、それから柔らかく、今日一番の優しい笑顔を浮かべた。


「・・・そうか。君なら、向こうの世界でもきっと素敵な未来を切り開けるよ」


燈真は寂しさを押し殺すように、力強く頷いた。そして、鏡の光の渦を見つめながら、静かに言葉を付け加えた。


「・・・また会えるかもしれないさ。この『界渡りの鏡』がある限り、二つの世界は完全に切れてしまったわけじゃない。僕がもっと強い陰陽師になって、いつか君の元へ会いに行くよ」


「・・・うん! 楽しみに待ってる!」


汐恩は溢れ出そうになる涙をグッと堪え、満面の笑みを咲かせた。


泣いてお別れなんて、この三人には似合わない。最後まで笑顔で、胸を張って旅立つのだ。


「燈真、コノハ様・・・本当に、本当にありがとう! 二人と旅ができて、最高に楽しかったよ!」


『うむ! 向こうでも元気に暮らすのじゃぞ、汐恩!』


「さようなら、汐恩。君の未来に、幸多からんことを!」


二人の温かい声援に背中を押され、汐恩は振り返ることなく、光り輝く鏡の渦へと一歩を踏み出した。


まばゆい桜色の光が視界全体を包み込み、温かな浮遊感が全身を満たしていく。


耳の奥で、二人の笑顔と、あの賑やかな旅の記憶が優しく駆け抜けていった。


♢


気がつくと、汐恩は夕暮れ時の誰もいない教室に立っていた。


窓の外からは、夕日に赤く染まった校庭と、遠くで練習に励む部活生の声が聞こえてくる。


手元には、机の上に置かれた一枚の紙――『進路希望調査票』。


汐恩はポケットの中に手を入れた。そこには、コノハがくれた温かいお守りと、あの日々に確かに存在した愛刀の感覚が残っていた。


「・・・さてと」


汐恩は鞄からペンを取り出すと、迷いのない手つきで紙へと文字を走らせ始めた。


夕陽が差し込む教室で、少女の顔には、どこまでも晴れやかな笑顔が浮かんでいた。

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