最終話:聖夜の幻影、あるいは決別
最終話:聖夜の幻影、あるいは決別
十二月の初旬、あの華やかなデパートのエスカレーターの終着点で、僕の心臓の一部を抉り取られるような形で告げられた「別れ」の言葉。それからというもの、僕の魂はあの日から一歩も前に進むことができず、ただ灰色に塗り潰された時間の中を、出口のない迷路を彷徨う亡霊のように漂い続けていた。
刻一刻と迫り来る受験本番という名の審判の日。周囲の受験生たちは、もはや焦燥感さえ通り越して、鬼気迫る表情で参考書という名の武器を研ぎ澄ましている。けれど、僕の握るペン先は、真っ白なノートの上でただ虚しく震えるばかりだった。数式を見れば彼女の声を思い出し、英単語をなぞれば彼女と交わしたメールの文面がフラッシュバックする。勉強をしなければならない、結果を出して彼女を見返したい、あるいは認められたい。そんな執念さえも、彼女を失ったという絶対的な喪失感の前では、あまりにも無力で、あまりにも脆い砂の城でしかなかった。
そして迎えた、十二月二十五日。
世の中が浮き足立つクリスマスという名の聖夜。予備校の自習室は、皮肉にも今日が一番静まり返っていた。皆、現実から目を背けるようにして、あるいは今日という日を呪うようにして、黙々と机に向かっている。僕は、脳の奥が痺れるような疲労感と、胸の奥で燻り続ける消えない痛みに耐えかねて、休憩のために重い腰を上げた。
自動販売機の冷たい缶コーヒーで、かじかんだ指先を温めようとした、その時だった。
予備校の校門を出て、駅へと続く緩やかな坂道を、見覚えのある後ろ姿が足早に歩いていくのが視界に入った。
ユキさんだ。
冬の夜風にコートをなびかせ、彼女は一度も振り返ることなく、光り輝く駅の改札へと向かっていた。その手に提げられたカバンからは、丁寧にラッピングされた、明らかに「プレゼント」だと分かる小さな箱の角が覗いていた。
その瞬間、僕は理解した。
彼女は、もう僕のいない世界を、前を向いて、自分の足で力強く歩き始めているのだということを。
僕が彼女への執着と、過去の幸福な記憶の残骸に縋り付き、腐りかけた未練を抱えて立ち止まっている間、彼女はとっくに「大人としての日常」を取り戻し、新しい誰かとの、あるいは自分自身のための、輝かしい聖夜を迎えようとしていたのだ。
僕だけが、いつまでも彼女の幻影を追いかけ、この暗い自習室の底で、終わってしまった恋の亡霊に首を絞められていた。
彼女にとって、僕はもう、過ぎ去った季節の一コマに過ぎないのかもしれない。
遠ざかっていく彼女の後ろ姿が、駅の雑踏の中に溶け込んで消えていくのを、僕はただ立ち尽くして見つめていた。手の中の缶コーヒーは、一口も飲まないうちに、夜の冷気にさらされて、心許ないほどに冷え切ってしまった。
追いかけようとは思わなかった。いや、もう僕には、彼女の歩む光の射す世界へ足を踏み入れる資格も、力も残されてはいなかった。
「……さよなら、先生」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた言葉は、白く凍った吐息となって、冬の夜空へと静かに消えていった。
僕の初恋は、この聖夜の冷たい光の中で、完全な終わりを迎えた。
翌年の春、僕の受験票に刻まれた数字が、志望校の合格掲示板に並ぶことはなかった。
けれど、あのクリスマスの夜、彼女の背中を見送ったとき、僕の中の「子供」もまた、一つの死を迎えたのだと思う。
文庫本一冊分にも及ぶような、熱く、苦しく、そして美しかった、僕とユキさんの夏。
それは今も、僕の心の最も深い場所で、あの時と同じ、バニラの香りと花火の音を伴って、静かに眠り続けている。




