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『【実録】浪人生の僕と26歳の担任。~腕時計を交換したあの日から、僕たちは終わるために恋をした~』  作者: マサキ


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第16話:木枯らしと、凍てつく心

第16話:木枯らしと、凍てつく心


 季節が晩秋から初冬へとその色を塗り替えるにつれ、予備校を包み込む空気は、まるでもうすぐ訪れる審判の日を恐れる罪人たちの溜息を凝縮したかのように、重苦しく、そして鋭い殺気を帯びるようになっていった。自習室の窓の外で、枯れ果てた街路樹の枝が木枯らしに吹かれて不吉な音を立てて鳴るたびに、僕の胸の奥底に巣食った正体不明の焦燥感は、暗い水底で蠢く泥のように、その質量を増しながら僕の精神をじわじわと侵食していった。

 

 十二月。カレンダーの数字が減っていくのと反比例するように、模試の判定や偏差値という名の無機質な数字が、僕の存在意義を全否定するかのように目の前に突きつけられる。どれだけペンを握っても、どれだけ公式を暗記しても、砂漠に水を撒くような虚無感だけが募り、僕はその底なしの不安から逃れるための唯一の避難所として、ユキさんという存在への依存を、もはや病的なまでの執着へと変質させていった。

 

 この頃の僕にとって、ユキさんはもはや対等に愛し合う恋人ではなく、僕の崩れそうな心を辛うじて繋ぎ止めるための、命を懸けた「依存先」でしかなかったのだ。

 

 平日のメールは、もはやコミュニケーションの道具ではなく、彼女を監視するための「鎖」へと変わっていた。一分でも返信が遅れれば、僕の脳内には卑屈な被害妄想が瞬時に溢れ出し、彼女が他の誰かと笑っているのではないか、あるいは、未熟で合格の保証もない僕に愛想を尽かしたのではないかという恐怖が、僕を自習室の椅子から突き動かした。

『今、誰と話してたの?』『どうして僕より仕事を優先するの?』

 そんな、文字にするのも憚られるような醜い独占欲を、僕は「これほどまでに君を想っているんだ」という歪んだ自己正当化の皮に包んで、彼女の携帯電話に執拗に叩きつけ続けた。ユキさんからの返信は、かつての温かなバニラの香りがするような優しさを完全に失い、ただ事務的で、どこか疲弊しきった、冷たい氷の粒のような短い言葉へと変わり果てていった。

 

 そして迎えた、十二月の最初の週末。

 重い足取りで辿り着いた彼女の部屋は、数ヶ月前まであれほど僕を優しく包み込んでくれた「聖域」の面影を、もはやどこにも留めていなかった。玄関の鍵が開く音さえも、どこか重苦しく、僕を拒絶しているかのように響く。扉の向こうに立つユキさんは、以前のような柔らかな部屋着ではなく、どこか外出の準備をしているかのような、あるいは僕との間に明確な一線を引こうとしているかのような、少しだけ余所余所しい格好で僕を迎えた。

 

 部屋の中に流れる空気は、外の木枯らしよりも遥かに冷たく、僕たちの間に、目に見えない巨大な透明の壁を築き上げていた。

 

「……ダイスケくん。今日は少しだけ、大事な話をしてもいいかな」

 

 ユキさんが、小さなローテーブルを挟んで僕の正面に座り、真っ直ぐに僕の瞳を見つめた。その瞳の中には、僕が期待していた甘い愛情などは欠片も存在せず、ただ、一人の大人として、そして一人の教育者として、この歪んだ関係に終止符を打とうとする、冷徹なまでの決意が宿っていた。

 

「最近のあなたは、もう自分の人生を歩んでいない。私の機嫌を伺い、私を縛り付けることだけに全神経を使い果たして、肝心の勉強が疎かになっている。……それは、私があなたと付き合うときに約束した『一緒に頑張る』という形とは、あまりにも違いすぎるのよ」

 

 彼女の言葉は、正論だった。あまりにも正しすぎて、未熟な僕のプライドはズタズタに引き裂かれた。僕は、自分の不安を彼女にぶつけることでしか自分を保てないほどに、追い詰められていたのだ。

 

「うるさい! ユキさんは、僕がどれだけ苦しいか分かってないんだ! 合格しなきゃいけないプレッシャーと、ユキさんを失うかもしれない恐怖で、僕はもう壊れそうなのに、どうしてそんな突き放すようなことが言えるんだよ!」

 

 僕は叫んだ。狭いアパートの壁に、僕の見苦しい悲鳴が虚しく反響する。

 ユキさんは、そんな僕の叫びに対しても、表情一つ変えることはなかった。ただ、深い悲しみを湛えた瞳で僕を見つめ、静かに、けれど逃げ場のないほどはっきりと、最後通牒とも取れる言葉を口にした。

 

「……今のままのあなたとは、もう一緒にいられない。ダイスケくん、一度、自分を、そして私たちの関係を、冷静に見つめ直して。受験が終わるまで、少し距離を置きましょう」

 

 距離を置く。その言葉が意味する絶望を、僕は受け入れることができなかった。それは、僕にとっての世界の終わりであり、凍てつく冬の海に、たった一人で放り出されるのと同意義だった。

 

 あんなに幸せだった、あの夏の花火の夜。

 僕が彼女に誓ったはずの「守り抜く」という言葉は、いつの間にか、彼女を苦しめるための残酷な武器へと成り下がっていた。

 

 十二月の冷たい月光が、カーテンの隙間から、僕たちの冷え切った間に冷ややかに差し込んでいた。僕の手が彼女の手に触れようとしても、ユキさんはそれを静かに、けれど拒絶するように避けた。その数センチの距離が、宇宙の果てよりも遠く、僕はただ、自分自身の愚かさと、迫り来る孤独の足音に、身体を震わせるしかなかった。

 

 僕たちの恋は、この木枯らしの吹く十二月の夜、最悪の氷河期へと突入しようとしていた。


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