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目利きの伯爵



 ル・ハーパー・デ・デビュタント…… 宮廷の舞踏室(ボール・ルーム)ハーパーにおいて特別に選ばれた令嬢たちがデビューを飾る新年の大イベント。


 君主への正式な紹介を目的とした厳正な式典であるデビュタントだ。完全招待制の出場権を獲得するための条件は厳しく、家柄や学歴かつ上流階級のメンバーからの推薦が必要となる。


 このデビュタントを経て、各国プリンセスをはじめ、多くの王族や貴族、上級文官たちが社交界へと羽ばたいてきた。


 今回も裕福で高貴な身分の令嬢たちは新しい大人として社交するため、社交界の最高峰ハーパーでのデビュタントの座を狙うのだ。すべては将来有望な夫を見つけるために……ゆえに学生時代から熾烈な争いが繰り広げられている。


 それに令嬢たちだけではなく、国民たちもこの唯一無二のイベントから新しいヒロインたちが誕生するのだから目が離せない。


 新聞や雑誌などは誰が選ばれるのか、長い時間をかけてリサーチし予想を立て、果てはブックメイカーの有する賭けの対象にもなっている。


 図書室や宴会場、賭博場を有する会員制紳士クラブでも同じようなことが行われていた。女性や平民では正会員になれない、伝統的で閉鎖的な社交クラブのひとつだ。


「今年のデビュタント! やはりプリンセス・アナスタージアが目玉だろう」

「いやいやこの国一番の美姫エステル・リード伯爵令嬢だろう」

「マルヴィナ・グッドも捨てがたい。十八歳にしてあの色香……! 来月の歌劇のヒロインを射止めたのだぞ?」

「芸術の才ならばトレイシー・ウィンバリー男爵令嬢も捨てがたい。昨年の音楽祭でのヴァイオリンは素晴らしかった!」

「それを言うならレジーナ・ブリーンだ! 隣国出身の女宮廷画家は王妃様のお気に入りだ」

「私はユージェニー嬢一択だ」


 キース・ポールソン伯爵は淡々と掛け金を提示した。クラブ内がしぃんと静まった。


 三十七歳になるというのにすらりとして人目を惹く容貌をしている。代々社交界全体に影響を持つ資産家でレディの好みにうるさい。要するに少々気難しいのだが、一度彼と踊れば彼がレディのどこを気に入ったのか知りたがり、二度踊れば大きな注目を集め、三度踊れば社交界の花となる。ゆえに彼は『女の目利き』などという称号を得ているが、たくさんのレディと噂になっても、誰ひとりとしてポールソン伯爵夫人に相応しい女性にはめぐり合っていないらしく、未だに独身を貫いている。


「ふむ……ユージェニー嬢か。彼女は確か、庶民なのに神殿に認められ、アカデミーに優等で進学したのだったかな」


 掛け金を書き込む台帳を覗き込むようにしながら、ひとりの紳士が言った。その品性に欠ける仕草と誤った情報に対して、キースは緩やかに首を振り、訂正した。


()()()()だ。今は四ヶ国語に通じているそうだ」


 キースが賭けの証書を手に立ち上がると、周りにいたギャンブラーたちが一気に群がり始めるのが視界の隅に見えた。


「ふん、浅ましいことだ」


 馴染みの紳士クラブを後にしながら、キースは帽子を被り直した。


「旦那様、どちらへ?」


 侍従が問いかけながら馬車のドアを開けた。


「リード伯爵邸へ」


 夕食の約束をしていた。懐中時計を確認し、シートに埋もれるように座り込んだ。

 約束にはちょっと早いが、勝手知ったる友の家、応接室で待たせてもらおう。何を隠そう、今年のデビュタントとして名前が上がっているエステル・リード伯爵令嬢の父ジェフリーは学生時代からの腐れ縁だ。同い年のキースはこだわりが強いが故に何度も機を逃し、未婚の正真正銘の独身貴族である。


 がっしりとした顎のライン、きりりとした眉が馬車の窓ガラスに映り込む。もし早々に結婚していればキースも社交界デビューに悩む乙女の父になっていたのかもしれない。悩みも心配も尽きないだろうが、そういう豊かな人生もありだったのだろうなと今更ながらに思う。


 今回ジェフリーから依頼を受けたのは、デビュタントのひとり、ユージェニーのパートナーだ。彼の娘エステルであればともかく、なぜ神殿に所属する庶民の少女なのか。聞きたいことは山ほどある。


 レンガで作られた住宅が共有の緑地を取り囲んで建ち並ぶ閑静な町並みが見えてきた。キースは座席から体を起こし、ひらりと舞うように降り立つと扉をノックしたのだった。


「おや、早いご到着だね?」


 すでに客を迎えるように整えられた応接室に通された。テーブルの上にはキース好みのワインまで準備されていた。


「早く来ることくらい、想定していたのだろう?」


 ワインを横目にソファに座ると、キースの向かい側にジェフリーが座った。


「まぁね」

「話してもらおうか」

「ユージェニー嬢のことかい?」


 ニコニコとジェフリーが話し出した。


「彼女はエステルの友人のひとりでね、最近特に親しくしている」

「庶民なのに?」

「おいおいキース、言葉を慎め! 本来なら地主階級(ジェントリ)だ。調べによると早逝した父君は子爵家の次男だし、ユージェニー嬢は神殿所属のかなりの才女だ」


 娘の友人とはいえ、婚約者を妊娠させて戦死するなどといううっかり者の父親を持つ娘の肩をずいぶんと持つ。調べによると母親は近所のパン屋と結婚し、今は庶民なりに相応の暮らしをしているそうだ。

 今が幸せならばいいが、やはり身に覚えがあるのなら、婚姻届を出してから戦地に赴けば、愛する者とその娘は肩身の狭い思いをしなくとも済んだし、寡婦年金も受け取れたはずだ。それに子爵家だって結婚に反対していようと、籍が入っていたならば無碍には扱わなかっただろうに。


 訝しげに眉を上げると、リード伯爵は手を上げた。


「わかったよ……内密に、な。ふたりは同じアカデミーに通ってはいるが、そこまで親しくなかった。春先にエステルがとある策略に引っかかりそうになったところをユージェニー嬢が助けてくれて以来、私たちは彼女に恩義を返す機会を待っていたのだ」

「エステルが? じゅうぶん用心深いたちだと思っていた」

「招かれた茶会で陥れられるところだった。アカデミー構内で内に対する警備が手薄だったせいだ……エステルは我が娘ながら非常に美しい。妬んでいた令嬢と言い寄っても靡かないことに腹を立てていた令息が組んでひと騒動起こし、エステルをデビュタントから抹殺しようとしたようだ」


 キースはぶるりと身を震わせた。ハーパーでのデビュタントの座をめぐる熾烈な争いがあるとはいえ、自分を高めるのではなく相手を引きずり下ろすとは何とも卑劣な方法をとったものだ。


「最近の子どもたちがすることは、社交界と同じくらいえげつないな」

「その通りだ。ユージェニー嬢がエステルの飲もうとしていた紅茶をひっくり返し、茶会から退出させたのだ……拭き取ったハンカチからは催淫剤が検出された」

「よくわかったな」


 キースは感嘆の声を上げた。一気にユージェニーに対しての興味が湧いてきた。


「色と香りが自分のものと違ったことと、薬を盛った令嬢が事を起こそうとしていた令息と目を合わせ、ほくそ笑むのが見えたそうだ……事件の後の諜報部の調べとも相違なかった」


 いくら才女と名高いとはいえ、まるで王宮所属の諜報部隊さながらの観察力だ。


 リード伯爵家がユージェニーに恩義を感じているのはわかった。だが、それと舞踏会のパートナーを依頼されること、どう関係があるというのか。


「さて、ユージェニー嬢だが……褒美は何が欲しいかと尋ねたところ、将来は文官になって自分で稼いで欲しいものは手に入れるという」

「実に清々しいまでにたくましい御令嬢だ。庶民の片親で育ったのに抜きん出て優秀で、神殿、ついにはアカデミーまで通い……私のような世代の男からすると可愛げがないくらいだ。まぁそうして自立するレディの例がないわけではないが」


 何人かの女官たちが浮かぶ。皆、才色兼備ゆえ庶民から文官へとなっているがやはり厳しい世界だ。並大抵の努力ではない。


「そこで、だ。文官となるにはデビュタントと同様、上流階級のメンバーからの推薦が必要になる。彼女の実父の系統は保守派ゆえ、文官になりたいという夢に理解があるとも思えぬし、息子の忘れ形見を探す気配もない。私の推薦状は娘にやるものだから使えない。ということで……」


 なるほど。

 中立派で王宮議会と社交界を渡り歩くのを日常としているキースに白羽の矢が立ったということか。


「私の推薦状など、効果があるものかな?」

「もちろんあるとも。君がダンスし、笑みを浮かべたレディはその年の社交界の花となるのだ。君は女の目利きと噂され、その一挙手一投足を注目されている」


 それは知っているが、不本意な注目のされ方だ。だが、苦境を乗り越えてきたユージェニーの手助けをしてやりたくもある。上級貴族からの推薦状は努力だけではどうにもならないものだからだ。


「いやはや……君の策略にまんまと乗せられてしまった。こうも興味を引かれてしまっては……」

「そう言ってくれると思って、今日の夕食会にユージェニー嬢も呼んである。かなり面白いお嬢さんだ、退屈しないだろうことは請け合うよ」


 やれやれ。

 キースは香り高いワインを傾けた。


「知っているか? 私が目利きであれば、君は差し詰め王宮一の策略家だ」


 にこりと笑みを浮かべる友に、キースはグラスを掲げた。





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