13 イリスとの再会
何と呼べばいいのだろう。これまでの様にイリスと呼ぶべきなのか、それともアリスタ殿下と頭を下げるべきなのだろうか。
咄嗟にその判断に迷い、俺は結局何も言えず立ち上がってこちらに向かってくるイリスに対し、声を掛けることすら出来なかった。
だが、イリスは違った。
「……すまない、すまなかった、アリスタ――!」
これまで見たこともなかった泣きそうな顔が近付いてきたかと思うと、俺と殆ど変わらない背格好のイリスが俺を抱き締める。ふわりと香る、香の匂い。俺とイリスが使っていた、アリスタ王子専用の香りだ。この香りももう長いこと嗅いでいなかったことに、今になって気付く。懐かして切なくなる記憶が詰まっている香りだ。
それにしても、すまないとはどれに対しての言葉だろうか。だが、本来なら俺は謝られる立場ではない。傅かないといけないのは俺の方だし、こんな風に触れ合うのだってご法度だろう。
イリスが、顔を上げて探る様な目で俺を見る。この人がこんなにも感情を表に出すなんて珍しいな、とぼんやりと思う。普段は憎たらしいくらい作った表情しか見せなかったというのに。
「……どうして何も言わないんだ? 怒ってるのか? 私が勝手だったから、軽蔑してるのか?」
矢継ぎ早に飛び出る質問にも、俺は何も答えられない。それに対して何か答える前に、俺はこの人を何と呼べばいいのかが分からない。今後の距離感も、彼が何故ここを訪れたのかも、何もかもが不明だ。
「頼む、何か言ってくれ、お願いだから……!」
傷付いた表情で慈しむ様に頬を撫でられ、こんな顔をさせては駄目だ、何か答えなければと言葉を考える前に口を開ける。
「イリ……あ、殿下、俺、その……」
やっぱり何と呼んでいいか分からなくて、変な言葉の羅列しか出てこなかった。だからいつもみたいにへりくだった様に見せて馬鹿にしている言葉を投げかけられるのかなと思ったが、返ってきたのは傷付いたと言わんばかりの声だった。
「やめてくれ! イリスでいい! イリスでいいんだから!」
俺の両頬を手のひらで押さえ、以前だったらキスされるんじゃないかと警戒もしただろうが、今はもうそんなことは思わない。あるのは、只々戸惑いだけだった。まだ俺になにか役割が残されているのだろうか。それでわざわざ安全でないこの地域にまで訪れたのか。
「じゃあ……イリス、どうしてここが」
もう探す必要なんてなかった筈だ。この国では、婚儀の日程が決定すると影武者はその任を解かれる。何故か? 間違いが起きない為にだ。なんでも、何代か前の先祖にそういう事例があったらしい。
本人だと思って抱いたら、実は影武者だった。でも黙っていれば分からない。当時の記録は曖昧に濁されているから詳細は知らなかったが、その時の国王と王妃の影武者の秘めた愛は数年の間続いたらしく、影武者は身籠ったと同時に姿を消したそうだ。不義に対しての贖罪の為母子共に身投げをした、というのが王家の歴史の書には書いてあったが、それは違うらしいとイリスが教えてくれたことがあった。
悋気の強かった本物の王妃から隠し命を救う為、国王が影武者と自身の子を逃し匿ったという説があるんだと。
その時は、それが本当なら随分と情熱的な先祖もいたもんだと思っただけだったが、今なら分かる。そうして王家に秘密裏に匿われた影武者は、恐らくは以降影武者の一族として密かに取り立てられる様になった。命を保証してもらう代わりに、王位継承権は捨てて仕えることを選んだのだ。父王にも婚姻前には影武者がいたと聞いたこともあるから、恐らくはその一族から寄与された人なのだろう。
沢山いる兄弟の中で、一番似ている者が影武者になるんだ。そんな話をしたのは誰とだっただろうか。
「……本当は、もう会わないつもりだった」
ポツリと、イリスが呟く。どうしてそんな顔をしているんだ。いつもはもっと堂々としているじゃないか。にやにやと楽しそうに俺をからかって、颯爽と部屋に消えていくのがいつものイリスだったじゃないか。
「だけど、アリスタの顔を見たら、まだ謝ってもないことが我慢出来なくて、それで……」
「謝る? 何を……」
本来は敬語を使わないといけないのだろう。イリスは今後王位を継ぐこの国で一番偉い人になるんだから。間違っても、ひとりでこんな所に来ていい人じゃない。俺がひょいひょいお忍びで来れたのは、まあそういうことだったのだと今なら分かる。
「なあ、どこまで知ってる? どこまで思い出した? 私とのことは、どこから覚えている……!?」
「……ごめん、少しずつ時折一部分の記憶は蘇るんだけど、繋がってなくて分からないんだ」
ズキリと痛む二の腕の古傷。時折ふと覚える既視感と薄らぼんやりとした記憶の断片。ここに来てから、少しずつだが俺は失っていたのか忘れようとしていただけなのかは分からないが、幼い頃の記憶を取り戻そうとしていた。
この二の腕の傷が出来る以前の、だ。
アリスタ王子として為さねばならぬことに追われている時は、記憶の断片が時折押し寄せても気の所為だと誤魔化してきていた。だが、あそこからも責務からも逃げて、何かがおかしいぞと俺の中の俺が言い続けていたのだ。それは意外にもタチアナが答えを持っていたのだが、それでこれまでの小さな記憶が少しずつ俺の中で納得のいく形にはまり始めているところだった。
「……説明させてくれるか?」
勿論、イリスは全部知っていたのだろう。知った上で、俺をこうしようと決めたのもイリスに違いないのだから。
「逆にお願いしたいよ、イリス。すっきりとしたいんだ」
イリスの目を見つめながら答えると、イリスは安心した様にほっと身体の力を抜いたのだった。
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