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「奥様、そろそろ移動お願いいたします。皆さまはホワイエにお飲み物をご用意しておりますので、そちらでもうしばらくお待ちくださいませ」
英治さんが控室を出てから、しばらく歓談していた私達。そこへウェディング担当の寺木さんがやってきて、私は写真撮影のため、チャペルへ移動した。
「あの…英治さんは?」
「支配人が連絡してくださるそうです。きっとすぐにいらっしゃると思いますよ。時間もないので、先に奥様1人のカットを撮りましょうね」
石造りのチャペルはひんやりした空気に包まれていて、ステンドグラスから差し込む光が美しい。
静けさの中、カメラのシャッター音だけが鳴り響く。
せっかく素敵なチャペルで写真を撮っているというのにカメラに映るのが私一人なのがちょっぴりさみしい。
英治さんはどこへ行ってしまったんだろう?
「まったく……オーナーはどこで何をしているんでしょう。とは言え必要なのは奥様の写真で、オーナーはおまけですから……いっそ写っていなくても問題無いのですけどね」
寺木さんのそんな発言に、カメラマンさんやアシスタントさんまでが苦笑いで同意して、私は言われるがままポーズをとる。そんな風にして撮影は順調に進んでいった。
それにしても私1人でどんだけ撮るんだろう。記念のアルバムなんだから、私だけの写真よりも一緒に写った写真がたくさんの方が良いのにな……。
撮っても撮っても英治さんはやって来ない。
仕方がないので、寺木さんの指示で移動して、チャペルの前はもちろん、こんなところで!? と思ってしまうような場所でも撮影していく。
確かにレストランは素敵な建物ですよ? 外観だけでなく、内装もとっても素敵ですよ?
レストランだけじゃなくて、ハルさんのパティスリーだって可愛らしくて絵になりますよ……だけど、パティスリーの店内で写真撮る必要ありますか?
マカロンタワーからマカロンつまみ食いしている感じで……って誰の趣味でしょうね?
突っ込みどころ満載ですけど、今日の主役はハルさんと桃子さんなので、私のワガママで予定が変わってもいけないですから、ここはぐっとこらえて言われるがまま笑顔で頑張ります!
「最後に、葡萄畑を背景に撮りましょう……あともう少しでお終いですから頑張ってください!」
いっそ葡萄畑の中で撮ってしまいましょうか? とのカメラマンさんからの提案で、店の裏手に向かう。
厨房を通ればあっという間なのだけれど、表からそちらに回るにはかなり遠回りする必要がある。散策するお客様が裏手へ行かないようにわざわざつくりを複雑にしているのだ。葡萄畑へもそちらまで行かないと入れない。
具体的には、1度道路に出て裏口に通じる私道から行くか、店の前を通って敷地の奥へ進み、チャペルの脇を左に折れて、つきあたりのフェンスの隅に作られた通用口を通ってようやく裏手にたどり着くのだ。
徒歩ならば断然、敷地内を通った方が早い。
アシスタントさんは追加で必要な道具を取りに行ってから向かわれるそうで、私と寺木さん、カメラマンさんで先に畑に向かう事にした。
3人で奥へと進み、チャペルの脇を折れたとき、その先にいたのは英治さんと――
***
「わがままなのも、身勝手なのもわかっています。だけど、やっぱり私にとってお父さんはずっと大好きなお父さんだから……あの頃みたいに……一緒に暮らせなくても、幸せで、お父さんが身近な存在だったあの頃みたいになりたい。それに、お父さんには、英治さんとの結婚を認めてもらって、お祝いしてもらいたい…。だから、このまま帰るだなんて言わないで下さい」
私は必死でしがみついていた。
今、こうしていなければ、そして素直な気持ちを伝えなければ、また遠くに行ってしまう気がしていた。
自分自身で、大切な人を遠ざけてしまう気がしていた。
幸せだった幼い頃、何度も交わした手紙でのやり取り、意地を張って拒んでしまったあの日の後悔。
たくさんの思い出や感情が洪水のように一気に押し寄せてきて、堤防が決壊するかのように私の様々な感情がとめどなく溢れだしてしまった。
突然現れた私に戸惑っているのだろう。何しろ直接会うのは二十数年ぶりなのだ。
両親の間にどんな事情があったのかは分からない。結果的に私は祖母と暮らし、祖母に育てられたけれど、少なくともこの人は私を捨ててなどいない。周りにどんな酷いことを言われても、それは私が1番良く知っている。
私だって目の前に突然姿を現した父に戸惑わなかった訳ではないし、もちろん驚きもした。だけど、そんな戸惑いよりも、驚きよりも、今、こうして繋ぎ止めておかなければ、泣いて縋ってでも行かないで欲しいと請わなければ…と必死だった。
それは頭で考えて行動に移したものではなく、直感的とか衝動的なもの。頭より先に身体が動いたとか、見えない何かに動かされたとかそんな感じ。
私の様々な感情は、涙となって流れ出て、それが少し落ち着いた今、私は僅かだが冷静さを取り戻しありつつあった。
すると、急に多くの疑問が湧き上がってくる。
どうして父がここにいるのか。英治さんからは何も聞いていない。
今に至る経緯を思い出してみる。
私が記入した婚姻届を見て、彼は控え室を飛び出して行ったんだっけ。
私は写真撮影をしてもらって…。
私が英治さんと父を見つけた時、英治さんが父を説得しているような、そんな雰囲気だった。
セラーとか、作業とか、会食を辞退とか、そんな事言ってたっけ。
ふと、数日前の英治さんの一言を思い出す。
『お客さんの半分が涼と桃子さんの親族、親戚、友人。あとはボヌール関係者に僕の祖父母とアヤメさん。それから僕の恩人が数人。向こうですごくお世話になった、ブルゴーニュ在住のネゴシアンも来てもらえる事になったんだよ』
おそらく、英治さんが言っていたブルゴーニュ在住のネゴシアンが父なのだ。
英治さんだって今まで知らなかったのだろう。
完璧主義で何事もスマートにこなす彼なのだから、知っていたらこんな形で私と父が会う事はない。
それを確認するため、抱きつくのをやめた私が顔を上げると、父が泣いていた。
見上げる私に気付いた父は、私の顔を見つめてくれた。しかし、すぐに父の顔は見えなくなってしまう。
気付けば、私は父に抱きしめられていた。
「すまなかった……本当にすまなかった……こんな私を……今でも父親だと思っていてくれるなんて……思ってもいなかった……私もずっと夏月に会いたかった……ありがとう……本当にありがとう……」
また、涙が止まらなくなってしまった。
嬉しくて、ホッとして、だけどやっぱり申し訳なくて……。
私の一言で、どんなに父を傷付けてしまっていたのか、苦しめていたのかを感じてしまったから。
「大倉さん……いえ、お義父さん」
英治さんが遠慮がちに声をかけると、父の腕が緩んだ。
英治さんは私のすぐ脇に立っていて、私の肩を抱くと、優しく涙を拭いてくれた。
「夏月を必ず幸せにします。側で支え、何があっても彼女を守ります」
「お父さん、英治さんのお陰で今の私があるんです。パティシエールを目指したのも、今まで頑張ってこれたのも、素敵な人達に出会えたのも、今、幸せだって胸を張って言えるのも全部彼のお陰です。こうして、お父さんと会う事が出来たのだってそう。以前の私なら、素直になれずに意地を張ったままだったと思う。……私を変えてくれた、大好きな英治さんと、もっともっと幸せになるから。楽しい時や嬉しい時は一緒に笑って、辛い時や悲しい時は支え合って、一緒に生きていきます。お父さんにはそれを見守っていて欲しいの。これから、ずっと。だから、今日の式も参列して下さい。見守って下さい。お願いします」
父は黙って頷いた。
私のよく知っている、大好きだった笑顔のお父さん。
二十数年経っても変わらないその笑顔が嬉しくて、笑みが零れる。
「夏月が本当に好きな人と出会えた事が嬉しいよ……。蘇芳さん……いや、英治君、どうか夏月をよろしく頼みます。私が淋しい思いをさせてしまった分も、幸せにしてあげて欲しい」
「お義父さん、勿論僕は彼女を幸せにします。だけど、僕がどうにも出来ない領域もあります。離れていた分を取り戻すのは、今からだって充分可能なんです。ですから、一緒に夏月を幸せにしませんか?」
「……それもそうですね。夏月、英治君、本当におめでとう」
「ありがとう、お父さん……」
私と父の物理的な距離は遠く離れていたけれど、心の距離は、そんなに離れていなかったのかもしれない。
「せっかくですから、3人でお写真を撮られてはいかがでしょうか?」
今までのやり取りを見ていたであろう寺木さんの提案で、葡萄畑で写真を撮る事になった。
どんな写真が撮れたのかはわからないけれど、私も、英治さんも、父も、最高の笑顔で写っているはず。
今日の雲ひとつない晴れ渡る青空のような、とびきりの笑顔で。
***
鐘の音が空高く響き渡る。
大切な人達に見守られ、祝福された私達は、夫婦となった。
順境にあっても逆境にあっても、病気の時も健康の時も、生涯、互いに愛と忠誠を尽くす事を、共に人生を歩んでいく事を誓った。
互いの左手の薬指には、その証である、揃いの指輪が日光に照らされ輝いている。
祖母と一緒に歩くのが夢だったバージンロードは、父と祖母と3人で歩いた。
入場前、私と一緒に現れた父を見た祖母は驚いた様子だったけれど、経緯を話したところ、私と父が和解した事を泣いて喜んでくれた。
祖母だけではない。事情を知っている英臣さんと春乃さん、鞠子と彼女からなんとなく聞いていた智哉さんはもちろん、ハルさんと桃子さん、佐伯さんには父とは疎遠だと話した事があった。
牧師様のお話の後、英治さんから父と私が再開した経緯を簡単に話してもらったところ、祖母と同じ様に皆が泣いて喜んでくれた。
特に佐伯さんは号泣で、嗚咽を上げながら自分の事の様に喜んでくれた。
そんな皆を見ていたら、私もまた涙が溢れてしまって……。そんな私に、桃子さんが優しく声をかけてくれた。
「夏月ちゃん、そんなに泣いたらせっかくのメイクが崩れちゃう。」
「桃子さんだって泣いてるじゃないですか……」
そこで、自分に課せられた任務を思い出した私は笑顔で続けた。
「せっかくなので、一緒にお直ししてもらいませんか?」
***
控え室に桃子さんを連れて戻る事に成功した私。
「桃子さん、今度は桃子さんの番ですよ?」
そう言って、用意してもらっていた淡いピンク色のブーケを桃子さんに渡す。
「私の番って、私はもう籍入れてるし……私じゃなくて、花嫁のブーケはこれからの人に渡してあげなくちゃ……でも、これ夏月ちゃんがさっきまで持っていたのと……違う?」
私がさっきまで持っていたのは、白と淡いグリーンのブーケだ。
「今から、桃子さんが花嫁になるんです。ハルさんが待ってますから、急いで着替えませんか?」




