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『お電話ありがとうございます。Jeジュ porteポルト bonheurボヌールでございます』

「もしもし、蘇芳と申しますが立花さんいるかな?」

『申し訳ございません。立花は不在でして……もう30分ほどで戻ると思うのですが……』

「じゃあ君で良いよ、今日、4名で個室をお願いしたいんだけど、何時が空いてるかな?」

『少々お待ち下さいませ………21:00で宜しければご用意できますが……いかがでしょうか? 個室でなければ、お好きなお時間でお席をご用意致します』

「21:00で良いから個室をお願いしたい。ところで君はギャルソン? 入って何年目?」

『え? 私ですか?……ギャルソン4年目の山田と申します』

「じゃあ、サービスは君と立花さんにお願い出来るかな?」

『畏まりました……ありがとうございます。21:00にスドウ様、4名様ですね。ではお待ちしております。お気をつけてお越し下さいませ』


 シャルルドゴール空港から約12時間のフライトを経て、7ヶ月ぶりに降り立つ日本。無理矢理にスケジュールを調節し捻出した2泊3日、実質50時間程の滞在。


 空港に着いてすぐにレストランへ予約の電話をかける。遅い時間であったが、個室を取れてホッとする。

 取れなかった場合に備え、別の店も押さえておいたのだが、やはりあの店が良い。


 電話では、聞き慣れた声が聞けるものと思って少し楽しみにしていたのに、当てが外れてしまい少し残念だった。

 まぁ仕方ない。どうせ行けば顔を合わせるはずだ。

 若いギャルソン、山田君は僕の名前を間違えた。珍しい名字なので、よく有ることだし、立花さんを指名している時点で彼なら僕だとすぐに気付くだろう。


 今回の一時帰国の目的は、僕の店に出資してくれると言う祖父母の友人に会う事。

 せっかく出資者に会うのだから、一緒に店を出す涼の働く店で食事をして、彼のデセールを食べてもらいたい。

 そう思ってボヌールヘ予約を入れた。


 今回会う祖父母の友人は、僕の初恋の「なっちゃん」のお祖母様でもある。

 25年前の話だと言うのに、なぜ今更、僕はなっちゃんに会ってみたいと思ったのかはわからない。

 信じたくない現実を突きつけられて綺麗な思い出に縋ってみたくなっただけかもしれない。

 相手にしてみたら迷惑極まりない話だろう。

 それにまだなっちゃんに会えると決まったわけではない。

 出資してくださる方にお会いした際、「なっちゃんの事は自分で頼め」と祖父母に言われている。まぁ当たり前と言えば当たり前の話。今日この席を設けてもらっただけでも有難い。

 ただ、現時点で出資の話が出る意図がイマイチよくわからないし、何か裏がある気がしてならないのだが、それに乗せられてホイホイ帰国したのは僕だ。深く考えるのはやめよう。





 祖父に無事到着したことを連絡し、ボヌールを予約出来たことを伝えると、21:00に現地集合となった。

 今から直接向かうと早いので、宿泊予定のホテルへ荷物を預けててから向かうことにした。

 それでもまだ少し早いのだが、立花さんにお願いしたい事もあるし、忙しそうなら隅で待たせてもらえば良い。


 散々迷った挙句、僕の店で働いて欲しい事を夏月に伝えようと思う。

 今夜、彼女と食事した店へ行くのは、涼の作るデセールを食べて欲しい事もあるが、夏月を僕の店へ誘う前に気持ちの整理をしておきたいからでもある。

 あの場所へ行けば、どうしても思い出せない彼女の幸せそうな笑顔を思い出せるのではないか? そんな気がするのだ。

 思い出せなくとも、あの日の写真をもう1度もらえないか、立花さんに頼んでみようと思う。


 もう、十数年も前の話だが、20歳の誕生日を家族とボヌールで祝った際、帰り際に写真を頂いた。台紙に入っていたのは当日に撮った写真と、僕の10歳のお祝いでボヌールを訪れた時のものだった。

 おそらく、過去の写真はある程度保管しておくのだろう。ネガで管理していたであろう10歳の頃の写真がその10年後にもあったくらいだ。データで容易に保存できる5〜6年前の写真ならば間違いなく残っている。


 もし、彼女が同僚のパティシエとどうにかなっていて、断られたら……僕は潔く諦めるつもりだ。……すんなりとは諦めがつかないだろうが、身を引く覚悟でいる。

 だから、会う前にどうしても。写真でも構わないから、彼女の笑顔を見ておきたい。

 しかしながら……今回の帰国の目的は夏月ではない。時間が無さすぎる。言い換えれば、気持ちに整理をつける猶予は……まだ……ある。






「Bonsoir. ご予約のお客様でいらっしゃいますか?」

「ああ、21:00に4名で個室をお願いしている。少し早くなってしまったので、適当に待たせてもらってもいいかな?」

「かしこまりました。スドウ様、コートをお預かりいたします」

「お願いするよ」


 着ていたコートを預け、ウェイティングルームのソファに腰をかけて待つ。

 スタッフの顔ぶれもずいぶん変わってしまったようで、5年という時間の長さを実感する。

 皆忙しそうにしているので、誰かをつかまえて話すのはやめることにした。

 帰り際、佐伯君だけでも呼んでもらって話せればいいか。

 そんなことを考えて過ごしていたらあっという間に予約時間の5分前となっていた。


「蘇芳様! お久しぶりでございます。山田が大変失礼をいたしました……。ご用意が整いましたので、宜しければお先にお部屋までご案内いたします」


 珍しく立花さんが慌てている。

 いつも冷静なのに……少し笑ってしまった。きっと僕が来るってちゃんと連絡がされていなくて、名前も間違っているしで慌てているんだろう。

 立花さんと一緒にやって来た山田君にも平謝りされた。


「部屋はまだ良いよ。全員揃ってから案内してくれるかな?」

「畏まりました。」


 写真の事を頼むなら今が好機なのだが、何と言って頼めば良いのだろうか?

 無くしてしまったので欲しいとでも言うべきか……彼女との事を聞かれたらどうしたものか……。


「立花さん、あの、5年前の写……いや、何でもないんだ。」


 迷いながらも聞きかけて……その途中で祖父母とその友人がやって来たので聞けなくなってしまった。


「Bonsoir. お待ちしておりました。そちら(上着)はお預かりいたしますね」


 立花さんのサービスはやはり好きだ。さりげなく、自然に、そして流れるようだ。


「ではご案内いたします。こちらへ……」


 僕は祖父母の友人に会釈だけする。

 自己紹介などは個室へ行ってからの方が良いだろう。


 案内されたのは、あの日彼女と食事をした部屋だった。

 出来たらこの部屋で無い方が有難かったのだが仕方あるまい。

 案内されると、立花さんは一礼して去って行った。どうやら他のテーブルを担当しているらしい。


 席に着き、時間も遅いので、挨拶する前に山田君にオーダーをする。

 軽めのコースと、まずは軽めの白ワインをグラスで。祖母が一緒の時はいつもこれだ。


「デセール、面白そうだね」

「はい、こちらは本日までの限定メニューでございます」


 日本人は限定に弱い。少し迷ったが結局、皆が同じものを注文した。


 ”Mon premier amour”——つまり、『私の初恋』……か。

「なっちゃん」は僕の初恋の女の子。良く出来た偶然だ。しかも、マカロンが添えられているだなんて今日のデセールにはピッタリじゃないか。


 しばらくすると、ワインと共に前菜が運ばれてきた。

 そういえば佐伯君が前菜を任されていると涼が言っていたな。これは彼の作品なのだろうか?


「英治、こちらは私達の友人のアヤメさんよ」

「ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。蘇芳 英治です。この度は、私の店に出資してくださるそうで……本当にありがとうございます」

「随分ご立派になられたのね……あの日の事を昨日の様に覚えているわ……。水縹アヤメです。こちらこそきちんとご挨拶していなくてごめんなさいね」


 僕は耳を疑った。水縹……と名乗ったのか?


「あら、どうしたの?」

「あの、お名前……水縹さんと仰いました?」

「ええ、水縹アヤメです」

「まさか……夏月の……あの、なっちゃん、が……夏月?」

「ええ、夏月の祖母です。英治さんはあの子をご存知なの?」


 色々な記憶が一気に押し寄せてくる。

 あの日、夏月と会った祖父母は、彼女の名前を聞いてどこの誰かすぐにわかったんだ。

 知っているから彼女の家の事や家族の事を聞かなかった……違う、聞く必要がなかったんだ。

 そして、彼女がいなくなってしまった時の痛ましげな顔。

 必ず探すというのも探す当てがあっての事だったんだ……。


「あの子はマカロンをくれた男の子があなただって気付いていないようね。お正月に帰ってきたとき、マカロンをくれた初恋の男の子に会ってお礼が言いたいって言っていたのよ。今、やりがいのある仕事に就けているのはその子のお陰だからって。夏月はあのマカロンがきっかけでパティシエールになったのですよ」


 僕は驚きのあまり何も言えずにいた。


 なっちゃんと夏月が同一人物だったこと。

 彼女の初恋の相手が僕だったこと。

 僕がソムリエになったきっかけが彼女だったように、彼女がパティシエールになったきっかけも僕だったこと。


「はるくん――なんて呼んだらもう失礼ね。英治さんなら、あの子を楽にしてあげられるかしら……」


 アヤメさんは、急に苦しそうな表情になった。


「もう5年以上前の話ですけれど、ある朝、酷い顔をしたあの子が、私のところに連絡も入れずに急にやってきたの。あまりに痛ましげで目も当てられないような状態で……。10日ほど引きこもって泣いて過ごしていたかしら? ずっと好きだった人にお別れをしてきたって……その方は他の女性が好きだから……側にいたら自分の物にしてしまいたくなるから、それではいけないからって」


 苦しかった。胸が押しつぶされそうだった。

 改めて自分が彼女にしたことの愚かさに気付く。


「その後、あの子は新しい仕事を見つけて私のところを出て行って、3年くらい前から仕事が楽しい、やりがいがあるって……すっかり元気になったと思って安心していたのだけれど……。去年の夏にね、その方をやっと忘れられそうだって言い出したのよ……でもお正月に来た時、あの子はまだその男性を忘れられずに……あの子の事よ、きっと今でも思っているわ」


 あんなに酷い事をしたというのに、それでも彼女は僕を思っていてくれると言うのだろうか……。

 申し訳なくて、苦しくて……それでも嬉しかった。


「その男性に出会えたのも、マカロンをくれたあなたのお陰だって、そんなこと言うのよ。見ているこっちが辛くて……浮いた話も聞かないし……。そんなあの子が、マカロンのはるくんに会ってお礼を言いたいって言うの。今まで何度も縁談をお断りしているのに、こんな事をお願いするのも厚かましいのだけれど……あの子に会ってもらえないかしら?」




 僕は泣いていた。

 ただ静かに涙が頬を伝う。


「英治さん……、どうしたの?」


 慌てて涙を拭き、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。


「申し訳ありません……。5年前、夏月に嘘をついて傷付けたのは僕です。夏月に会わせていただけませんか?」


 それだけ言うのに精いっぱいだった。


「どういうこと? 仰っていることが良くわからないのだけど……」


 アヤメさんは戸惑っていた。

 そんな彼女へ、僕に代わって祖父母が事細かに説明してくれた。


「アヤメさん、ずっと黙っていてごめんなさいね。英治も、夏月さんの事をずっと思っているのよ。こうなってしまったのは、私たちの責任でもあるの……。英治が自分で探さなくては意味がないというからなかなか本当の事を言えなくて……」


 祖母までが申し訳なさそうにアヤメさんに頭を下げてくれた。


「こちらこそごめんなさい……。きちんと話を聞こうとせず、縁談を断ったりして……まさか、お断りしている理由の方との縁談だったとは思わなかったわ……。散々お断りしていたのに……こんなことを言うのも失礼ですが、夏月とお見合いをしていただけないかしら?」


 祖父母は僕と夏月がうまくいかなかった原因が自分たちにあると思い、どうにか僕たちを合わせようと画策してくれていたらしい。

 しかし、アヤメさんは相手が僕だと知る由もなく、いつまでも過去の恋を引きずっている夏月に見合いをさせることは、彼女自身の為にも、見合い相手の僕に対しても良い事ではないと断り続けていたそうだ。


 僕の帰国後に、かつて僕と夏月が初めて出会い、マカロンを渡したあの場所で見合いをする話がまとまった。


 それからは、僕のフランスでの話をしたり、最近の夏月の話を聞いた。

 夏月は、どこかのフレンチレストランでデセールを働いているらしい。

 店を聞いても、どこかは教えてくれないそうだ。


『どこの店か教えちゃったら愚痴だって言えなくなっちゃうもん』


 そんな理由で以前働いていた店も、今働く店もアヤメさんは知らされていないのだと言う。




 僕は、アヤメさんの話にショックを受けていた。


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