月
「うっ」
息吹は少ししかめ面をした後目を開けた。天井はよく知っている畳の部屋のものだった。たった数ヶ月ここで暮らしていたが、息吹にはとても懐かしく思えた。
(どれくらい寝てたんだろう)
息吹は起き上がって、ユラユラ揺らめいている灯篭を見つめた。気分はあまりよくなかった。喉はカラカラに乾いていたし、目もなんだかいつもよりよく見えてない気がした。頭もガンガンする。
(死なずに済んだんだ……良かった)
身体はとても疲れていたが、安堵がこみ上げてきて、息吹はまたばたりと寝転び、天井を見上げた。懐かしい天井を見上げ目を瞑ろうとしたそのとき、心臓の鼓動がドキンと大きくなって息吹に寝ること妨げさせた。
ーーーー何かおかしい。
息吹は後ろを振り向いた。誰もいない。
「弱っているようだが、気配を感じ取ることはまだできるようだな」
女か男か分からないような声が頭上から降って来た。姿は見えず、息吹はとっさに声のする方へ側にあった花瓶を投げつけた。だが、花瓶は宙に浮き、息吹は視界が紫になるのと同時に身体じゅうが金縛りにあうのを感じた。
(誰なの……)
なんだか息もしづらく、声も上げれない。身体から汗が吹き出すのを感じながら、息吹は目を凝らして相手の正体を必死で探った。
「カラスと言うのは本当だね。屍肉を喰らい、図太く生きるお前にはぴったりだ」
ゆったり紡がれる言葉は、毒気を帯び、感情のない声の抑揚さが、息吹にさらに一層不気味に感じさせた。
「私はね、法力の力は大した事がないのだけれど、ちょっとした小細工は出来るのだよ。特にお前のようなまだ力が目覚めて無いものにはね。ククク」
声の主は笑っているようであったが、息吹には到底そうは思えなかった。
「お前はどうも無鉄砲なおバカさんのようだから自分自身に呪いを掛けても無駄だろうよ」
息吹は鼓動がドンドン早くなるのを感じた。声は遠くで聞こえるようでもあり、耳元で囁かれてるようでもあった。
「お前が私の言う通りにしていれば、なあんにも心配する事はないよ。ただ裏切ればお前の大事な者を奪う事にしよう。ハヤテと言ったかな。まだ伏せていると聞いたが」
息吹は敵意を剥き出しにし、空中を睨みつけたが相手はひるまなかった。
「大した頼み事じゃあ無いんだよ。神谷を殺して欲しいだけ」
息吹の中はザワザワと揺らぎ、視界は潤んだ。耳鳴りがする。
「他言無用でお願いするよ。私はいつもお前を見ているからね」
そんな事出来ないと息吹は叫びたかったが、相手は遮るように喋りつづけた。
「尊治はお前の実力では無理だろうよ。神谷は今傷心ゆえ、1人を好んでおる。これだけお膳立てしてやったんだ。ありがたく思われよ」
ゆったりとした口調は豹変し、断ることは許さない気配を感じさせた。
「急ぎではないよ。だが断る事は許さない。母に会うまでしばし身体を休ませられよ」
声が遠のくと同時に、視界は色を戻し、身体は楽になっていった。花瓶はゆっくり転がり、虚しく音をたてた。
座り込んだ息吹はすすり泣いた。
障子の隙間から、月の光が再び差し込み、部屋を明るく照らしたが、今の息吹にはその光も煩わしかった。
息吹には選択肢は存在しないのだから……。




