57 決断の日
2月9日、月曜日。
秋月さんのお誕生日とバレンタインデイを兼ねて、一緒にお食事。
今日は淡いブルーにちょっとだけラメが入ったツイードの上下で、いつもよりきちんとした服装をしてきた。
お店がお洒落だっていうこともあるけれど、秋月さんにお返事をしようと決心してきたから。
そして、プレゼントのエプロンとチョコレートケーキ。
チョコレートケーキは・・・完璧かどうか分からないけど、今回は成功した。
もう後がないという土壇場の気力だったのかもしれない。でなければ、お返事をしようと決めた気合いか。
箱の中には2切れ。
ラッピング小物もきちんと揃えておいたから、今回は外側もちゃんとしている。
これなら、こういう日に渡しても大丈夫なはず。
テーブルの向かい側には秋月さん。
仕事の日はスーツにネクタイ。
初めて会った日もそうだった。
私服だと大学生みたいだけれど、スーツ姿は穏やかで誠実そうなビジネスマン。
お店は明るくて和やかな雰囲気。
お料理と一緒にワインも少し。
ゆったりした会話と笑顔で時間が過ぎて行く・・・。
テーブルの上がコーヒーだけになったとき、チョコレートケーキの小箱を差し出す。
「これ、秋月さんのリクエストのチョコレートケーキ。お口に合うかどうかわからないけど、どうぞ。」
秋月さんがにっこりと微笑む。
「どうもありがとう。成功したんだね?」
「うん、たぶん、それなりに。」
鉄壁と言えるような自信はないけど。
「開けてもいい?」
「どうぞ。」
かかっていたリボンを解いて、中をのぞき込む。
またにっこりと笑ってくれて。
「すごいよ、紫苑さん。苦手だって言ってたのに、こんなにちゃんとできてる。頑張ってくれてありがとう。」
あたしの努力を分かってくれる。
秋月さんはほんとうにいい人だ。
「ここでは食べられないのが残念だね。」
「そんなに褒めてくれるなんて。・・・ありがとう。あとね、これ。」
「え?」
「もう一つ、プレゼント。」
箱ではなく色つきの和紙を重ねた包みを渡す。
「お誕生日とバレンタインデイの両方だから。」
「・・・ありがとう。」
秋月さん、ちょっと驚いてる?
いつも、あたしばっかり驚かされてしまうから、たまにはね。
出てきたエプロンを見て、秋月さんが笑い出す。
「ありがとう。僕ってこういうイメージ?」
「うーん、まあ、そうかな。秋月さんはいつも笑顔だから、やっぱり楽しくなるようなものがいいと思って。」
あたしも笑って答える。
そして・・・今、伝えます。
「秋月さん。」
「ん?」
「わたし・・・・・秋月さんと、」
いち、にの、さん!
「お」
「おしまい、かな?」
あ・・・。
「チャレンジ期間は、これでおしまい・・・だね?」
秋月さん・・・。
やさしいけれど、淋しそうな笑顔。
「そして、次のステップは、なし。」
「・・・ごめんなさい。」
あたしには謝ることしかできません。
「謝らなくていいよ。紫苑さんは最初から、 “どうなるか分からない” って言ってくれてたんだから。」
「ごめんなさい・・・。何度も考えたの。ずっと、何度も。秋月さんはいい人で、一緒にいると楽しい。だけど・・・。」
そう、 “だけど” 。
「そんなふうに何度も考えるってことが、違うんじゃないかって思ったの。考えないと、好きかどうか分からないなんて・・・違うんじゃないかって・・・。」
「うん・・・。そうかも知れないね。」
ごめんなさい、秋月さん。
「僕も・・・なんとなく気付いていたと思う。」
気付いて・・・?
「もちろん希望は持っていたけど・・・今になると、やっぱりね、っていう部分が大きいかな。」
「あたし・・・の、態度で?」
「まあ・・・なんとなくね。」
そうだったのか・・・。
「ごめんなさい。」
「違うよ。紫苑さんは全然悪くないよ。僕のことをきちんと考えてくれたんだから。真剣に。そうだよね?」
「うん。」
それは自信を持って言える。
「だから、いいんだよ。紫苑さんは悪くなんかない。」
秋月さん・・・。
いつも、いつも、あたしを元気づけてくれる。
それから、秋月さんは少し遠くを見るような目をして言った。
「もし・・・、もし、紫苑さんがOKしてくれたとしても、僕の中では納得できなかったような気がする。」
え?
「どうして?」
「もちろん嬉しいけど・・・もしかしたら、断る理由がなくてOKしたんじゃないかって疑いそうで。」
「・・・ごめんなさい。」
「謝らないで、紫苑さん。」
秋月さんは・・・やさしい、いい人だ。
「あたし・・・どうして秋月さんに決められないんだろう?」
なんだか・・・悲しい。
「紫苑さん。」
「秋月さんみたいな人を、どうして断るんだろう?」
秋月さんは・・・微笑んでる?
強くて、やさしい人。
「秋月さんみたいないい人を好きになれないなんて、あたし、もしかしたら誰のことも好きになることができないのかも知れない・・・。」
せっかく、恋をすることは怖くないって思えるようになったけれど。
長いあいだ “恋なんかしない” って思っていたから、そのとおりになったのかも・・・。
そんなことを考えて落ち込むあたしを、秋月さんは笑った。
「大丈夫。紫苑さんは気付いてないだけだよ。」
気付いてない?
「紫苑さんが断った理由は・・・たぶん、僕の方がよく分かってる。」
「あたしよりも・・・?」
「うん。」
にこにこと、カワイイ笑顔で。
それから、背筋をのばしてため息をつく。
「あーあ。なんとなく分かってはいたけど、やっぱりちょっとキツイや・・・。紫苑さん。」
「はい。」
「明日から、僕、朝の電車の時間を変えるから。しばらくの間。」
「はい。」
「でも、落ち着いた頃に、また声をかけてもいい? 今度は友達として。」
「・・・・はい。」
秋月さん。
ありがとう。
「ああ、泣いちゃダメだよ。注目の的になっちゃうよ。」
「うん。・・・ごめんなさい。」
「謝らなくていいよ。紫苑さんは何も悪くないんだから。」
うん。
でも・・・ごめんなさい。
そして、ありがとう。
秋月さんとはレストランの前で別れた。
――― なんて淋しいんだろう。
ふと、そんなことを思った。
秋月さんとは秋の初めに会った。
まだ4か月くらい。
それなのに、いなくなったら、こんなに一人ぼっちの気がする。
秋月さんがあたしの生活から消える・・・。
そうか。
あたし、もう一人、友達を失くしてる。
龍之介もいなくなったんだっけ。
それに、真由は結婚する・・・。
半年も経たないうちに友達を3人も失うなんて、あたし、普段のおこないが悪いのかな?
・・・まあ、真由は親友じゃなくなってしまうわけではないけど。
でも・・・落ち込む。
家に帰ってお酒でも・・・?
ダメだ。
そんなことしたら、ますます孤独感が強まりそう。
真由に電話?
・・・いくら親友でも、お別れした直後に話すのはつらいな。
だれか、そばにいてくれるだけでいい。
部屋で一人になる前に、少しだけ、誰かがいるところにいたい。
・・・千代子さん。
お母さんみたいな人。
ダメかな?
一人でああいうお店に行ったらダメ?
でも、あのお店なら大丈夫な気がする。
8時半か。
9時まで。
そのくらいまでなら、帰りも大丈夫かな。
ちょっとだけ行ってみよう。
混んでいて入れないかもしれないけど。
千代子さんの笑い声を聞きながら、さつま揚げを食べよう。