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56/67

56 どんどん時は過ぎて


次の日曜日。

朝から、再びチョコレートケーキに挑戦!


前日の土曜日に、3回分くらいの材料を買ってきた。

これで安心。



結果は・・・やっぱり失敗。


焼き上がった時点では、見た目はまあまあ。

でも、焼くときに、なかなか中まで火が通らないような気がしていた。

本に書いてある「竹串をさして生地がついてこなかったら」というところが微妙。

で、焼き過ぎるのが怖くなったのと、何度も見るのが面倒になったので、終わりにしてしまった・・・のが、いけなかった。たぶん。


まん中が生焼け。

これじゃあ、美乃里ちゃんに味見をしてもらうのも悪い。


またしても、チョコレートケーキの朝ご飯が続くなあ・・・。




月曜日の朝、秋月さんに失敗したことを話すと、秋月さんは申し訳なさそうな顔をした。


「チョコレートケーキじゃなくてもいいよ。紫苑さんが作ってくれたものなら何でも嬉しいから。」


「大丈夫。今、燃えてるの。」


「そう?」


「うん。前回よりも上手くなってると思うから。次はきっと!」


「紫苑さんて、けっこう頑固?」


「あれ? 知らなかった? 小さいころからずっと言われてるよ。」


「そうか。じゃあ、気のすむまで頑張って。楽しみにしてるから。」


「うん! 見ててよ。お誕生日には完璧なのをプレゼントするから。」


そう。

次こそは!






龍之介は・・・職場ですれ違うことはある。

そのたびに、前と同じように、あいさつや簡単な合図をして通り過ぎる。


前と同じように・・・。


だけど、厳密には同じじゃない。

届かないから。


通り過ぎながら、心に浮かぶ。


(ひどいよ。)

(バイバイ。)

(がんばってね。)


そのときによって、いろいろ。

でも、立ち止まって話すことはない。


真由と話したときに、龍之介への恨み・・・って言ったら変だけど、何て言うか・・・言いたいことは、全部消え去ってしまったと思った。

空っぽになったと思っていた。

けれどやっぱり、龍之介の姿を見るたびに心の中に言葉が渦巻く。

いつまでたっても、心の中で龍之介に話しかけている。


(好きな人とは上手くいったの?)

(その人は美味しいアップルパイを作るの?)


・・・あたしには関係ない。

そのたびに思う。


竹田くんがメモリーカードに入れてくれたスキーの写真。

美乃里ちゃんと一緒に見ながら、龍之介と二人で写っている何枚もの写真を削除したくなった。





仕事帰りに秋月さんと食事をしながら、カレンダーをよく見てハッとした。

バレンタインデイは土曜日。


その日にチョコレートケーキを渡すってことは、平日に作らなくちゃだめ?!

そんなの、あたしには無理だ!


「次の日でもいいよ。日曜日でゆっくり会えるから。」


秋月さんはそう言ってくれるけど、過ぎちゃうのって、なんとなく好きじゃない。


「早くてもよければ、月曜日にしたいな。夜、食事でもどう?」


「いいよ。」


秋月さんがにっこりする。


「紫苑さんからそう言ってくれるのは初めてだね。」


あ・・・そうだっけ?

あたし、ちゃんと秋月さんのことを好きになってきているのかな・・・?


「早いけど、お誕生日もだから、美味しいところに行こうね。」


そうだ。

チョコレートケーキのほかに、何かプレゼントしよう。

お誕生日とバレンタインデイの二つ分だもんね。

夕食も、レストランを予約しよう。


「今日は送って行くよ。」


お店を出たときに秋月さんが言った。


「うん。よろしくね。」


あたしが答えると、秋月さんが嬉しそうに微笑んだ。




マンションへ続く道を並んで歩く。

夜だから、ちょっと控え目の声で話しながら。


道路沿いの小さな公園。

あのとき、龍之介と・・・。


一瞬、胸が痛くなる。


「紫苑さん?」


「あ、はい。」


「何かあった? じっと見てたけど?」


「え? あ、この公園に・・・前に、猫がいてね。」


(バイバイ、龍之介。)


「猫?」


「うん、猫。人なつっこくて、あたしの足にまとわりついて来たんだよ。」


あたしの生活に、もう龍之介はいない。


「知らない猫なのに?」


「そうなの。でも、首輪をしてたから飼い猫だと思う。夜の散歩に出てたんだね、きっと。」


あのとき、龍之介は猫は苦手だって、ものすごくあわてて・・・。


「ふふ。」


「かわいかった?」


「え?」


龍之介が?

いくらなんでも・・・。


「その猫。紫苑さんが楽しそうだから。」


ああ、猫か。


「うん、まあ、きれいな猫だったよ。白くて耳のところが黒い美人の猫。」


龍之介はもう関係ない。


(バイバイ。)


猫も、龍之介も、記憶から消してしまいたい。



マンションの前で、今度はあたしが秋月さんを見送る。


「そこの角を曲がったら、2つ目を左だよ。」


たった今歩いて来た道だけど、戻るときは景色が違って見えるし、このあたりには目印がないから心配。


「わかった。じゃあ、おやすみ。」


おでこにキス。


ちょっと慣れた?

“あ。” と思っただけ。


振り返る秋月さんに手を振って。


エレベーターのボタンを押して、外を見る。


・・・誰もいない道。


(バイバイ、龍之介。)


さようなら。






次の週末はチョコレートケーキにチャレンジできなかった。

お母さんが熱を出したから、様子を見に行って来た。


昔の病気はちゃんと治っているけれど、あれ以来、あたしはすっかり心配症になってしまった。

あのときの心細さが忘れられない。

妹と弟はあたしほどじゃなくて、あたしが家にいると分かると、二人とも出かけてしまった。


「紫苑、彼氏はできた?」


お粥を食べながら、お母さんが控え目に尋ねる。

桜井先生のことがあってから、うちの両親はあたしの恋愛について、とても心配しているみたい。

幸せな結婚をしてほしいと思っている一方で、あんなことになるなら恋人ができない方がいいんじゃないかって考えて。


「今のところはまだ。」


候補者はいるけれど。


戻って来た日曜日の夜、自分の部屋でカレンダーを見ながら、秋月さんのプレゼントを何にしようかと考える。

お誕生日会は来週の月曜日・・・。






水曜日。


仕事帰りにお買いもの。

秋月さんへのプレゼントを選びに。


何にするかは決めてきた。


エプロン。


これこそ秋月さんにぴったりのものだとピンと来た。


物は決まっていても、デザインが気に入ったものがなかなかなくて、デパートやお店を何軒も梯子。

ようやく和小物の店で「これだ!」という一品を発見。

ろうけつ染だろうか? 紺地に白抜きでカブの模様がひとつ。

ちょっと笑えるところが気に入った。


秋月さんはどんな顔をするかな?






金曜日。


レストランを予約。


乗り換えで使う駅にあるフレンチレストラン。

少しカジュアルで、値段も手ごろ。

せっかくだから、ちょっとお洒落して行こう。


あたしが奢るって言ったら、秋月さんは承知してくれる?






日曜日。


本番のチョコレートケーキを作る日。


材料を並べて、手順を確認。

いざ!


粉をふるいながら、バターやチョコレートを溶かしながら、卵白を泡立てながら・・・・ひとつのことが心に浮かぶ。



秋月さんに返事をしよう。



秋月さんが気持ちを伝えてくれたのは12月。

今は2月。

もうずいぶん待たせている。


朝は毎日のように話をして、帰りに食事をしたり、休日に出かけたりしている。

このままずるずると返事を伸ばすのはいけないことだ。



・・・でも、なんて?



出会ったころのことを思い出す。


金木犀の香り。

公園での再会。

いろんな偶然。

龍之介のお友達だと知ったときの驚き。


・・・龍之介?

龍之介は関係ない。


お菓子作りの道具を買いに行ったときのこと。

話がはずんで、一緒にタルトをわけっこして食べた。

まだ慣れなくて、ドキドキしたっけ。


冬の日のおでかけ。

山盛りのおでんを食べて、お互いのお菓子を味見した。

ポカポカ陽気で、気持ちがよかった。


朝、いきなり告白めいたことを言われたこと。

あたしのタルトを驚いて、喜んでくれたこと。

やたらと龍之介と張り合おうとすること・・・意味のないことなのに。

エプロン姿。優しくてちょっとカワイイ笑顔。

「紫苑さん」と呼ぶ声。

言葉だけじゃなくて、態度でも気持ちを表現してくれるのには、いつも戸惑ってしまうけど。



秋月さんはいい人だ。

秋月さんと一緒にいると楽しい。

秋月さんとは気が合う。

秋月さんはあたしのことを好きでいてくれる。


秋月さんとなら、幸せになれる。



あたしは何を迷っていたの・・・?








次から最終章に入ります。

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