55 どうにか乗り越えた?
日曜日に作ったチョコレートケーキは・・・失敗。
なかなか中まで焼けなくて、よく膨らまなかった。
夜、真由に電話で訊いてみたら、メレンゲの泡立て方が足りなかったんじゃないかと言われた。
「今度はチョコレートケーキなの?」
真由が笑ってる。
「うん。秋月さんの誕生日が来月で、リクエストなの。」
「ああ、そうなんだ! 紫苑、秋月さんとは上手くいってるんだね。」
「うーん・・・、まあ、まだ決まってないけど、それなりに。」
「なによ、その、乗り気じゃない答えは?」
「だって・・・。」
「何か、気に入らないことがあるの?」
「ないよ。全然。」
まあ、ちょっと、二人きりになると危険だけど。
「じゃあ、どうして?」
「・・・・わからない。」
秋月さんなら迷う必要はないはずなのに、どうしても決められない。
何度も足踏みしてる。
「紫苑・・・。何かあった?」
「何か?」
「いつもと違うこと。」
「違うこと・・・?」
龍之介の態度が。
「そ・・・そんなことないよ。ええと、ケーキが失敗してがっかりしてるだけ。」
「ほんとうに?」
「うん。だって、ほら、今までアップルパイもタルトも、最初からけっこう上手くできたから。やっぱり泡立てるのは、あたしには鬼門みたいだね。えへへ。」
「そう? まあ、たしかに慣れないとタイミングが難しいかもね。そういえば、龍之介くんのアップルパイはどうなったの? もうすぐ3か月じゃなかった?」
また龍之介・・・。
「ええと、龍之介が・・・アップルパイは前回のでOKだって言ってくれた。だから、もう終わり。」
そうだ。
そう言われたのが最初だったんだよ。
「え? この前の話だと・・・。」
「へ・・・変だよね。急にそんなこと言うんだよ。」
そうだよ。
変だよ。
いきなりなんて。
「紫苑・・・。何かあったの、龍之介くんと?」
「りゅ・・・うのすけ、と?」
「紫苑、なんだか様子が変だよ?」
だめ。
考えたら。
そう頭の中で思っても、それともそう思ったからなのか、次々に龍之介との思い出が浮かぶ。
居酒屋での馬鹿馬鹿しいやりとり。
何度も一緒に歩いた夜の道。
スキー。
ドライブ。
『月うさぎ』。
――― 思い出になるようなことなんて、何もなければよかったのに。
だめ。
・・・だめ。
「紫苑?」
「何もないよ! 何もないのに急に・・・!」
涙が・・・もうだめ。
「紫苑・・・?」
「急に・・・急に、アップルパイはいらないって。は・・・話してても、何か違うし。同期会でもすごく遠くて・・・。」
「紫苑・・・。」
「龍之介は・・・誰か好きな人ができたのかもしれない。」
「え?」
「だから、あたしにつきまとわれたら迷惑なんだと思う。」
「何言ってるの? 紫苑がつきまとってたわけじゃないでしょう?」
「わからない。前と違う。もう友達じゃないみたいに。」
「紫苑、友達って・・・。」
電話の向こうで、真由がため息をついている。あきれてるの?
・・・そうだよね。
もう大人なのに、友達が離れて行くからって、こんなに泣いちゃうなんて変だよね。
ティッシュを何枚もとって、涙を拭いて、鼻をかむ。
あたしの顔はきっとぐちゃぐちゃだ。
「ごめん、真由。龍之介の態度が急に変わったから、ちょっとびっくりして・・・さびしいだけ。慣れれば大丈夫。」
「紫苑。・・・違うかもしれないよ。」
「なにが? 龍之介とはずっと仲良くしてきたから、さびしいのは当然だよ。真由が黙っていきなり友達じゃなくなるのと同じだもん。」
「紫苑。」
「龍之介に誰か好きな人ができたんだったら、幸せになってほしいよ。あたしより、そっちの方が優先に決まってるよ、一生のことかも知れないんだから。」
「・・・それでいいの、紫苑は?」
「どうしてそんなことを訊くの? 龍之介が自分のことを自分で決めた結果なんだよ。あたしは受け入れるしかないでしょ?」
そう。
自分のことを自分で。
龍之介の生活に、あたしは必要ないって。
「だ・・・だけどさあ、それならそうと、あたしにも言ってくれればいいのにね。何も言ってくれないから、あたしはわけがわからなくて、こんなに混乱しちゃってさ。友達なのに、ひどいよね?」
「紫苑。龍之介くんと、一度、ちゃんと話してみたら?」
「向こうがあたしと距離を置きたがっているのに、押しかけるの? そんなの悪いよ。」
「紫苑ができないんだったら、あたしがやろうか? 連絡先を教えてよ。」
「真由が?! あはは! 大丈夫だよ! 昔はあんなに恥ずかしがり屋だった真由が、そんなことを言ってくれるなんて、強くなったね。真由はほんとうの親友だよね。龍之介とはえらい違いだ。」
ほんとうにありがとう。
「ごめんね、真由。いきなり泣いちゃったりして。でも、これですっきりしたよ。」
「すっきり?」
「なんか、ずっとたまってたモヤモヤが消えた感じ。」
「紫苑・・・。」
「もう何日も、頭の中でいろんなことを考えて、でも、いっくら考えても何も解決しなくて困ってたの。」
困って・・・よりも、悲しかった・・・。
いつも胸の中に重たいものがつかえている感じで。
「今、やっと真由に話すことができて、話していたら、涙と一緒に全部流れていっちゃったような気がする。」
「全部って・・・?」
「よく分からないけど、・・・いろいろ。」
「紫苑・・・。」
「これで、これから先、龍之介の話題が出ても、平気でいられるような気がする。」
「紫苑、まさか、だからって秋月さんと・・・?」
「あ、大丈夫。龍之介のことと秋月さんのことは関係ないよ。龍之介が離れてしまってさびしいから秋月さんと付き合うなんて、秋月さんに失礼だもん。ちゃんと考えるから心配しないで。」
「うん・・・。紫苑なら大丈夫・・・だね、きっと。」
「うん。あ、それでさあ、メレンゲって、」
「ああ、はいはい。」
真由。
心配かけてごめん。
真由が強くなったように、あたしも強くなるね。
「紫苑さん、おはよう。」
いつもと同じ朝。
秋月さんの笑顔と明るい声。
「おはよう。」
「はい、これ。きのう作ったアップルパイ。」
「やった! ありがとう。お昼のデザートにしようっと。」
「紫苑さんは?」
来たか・・・。
「ごめん。失敗したの。」
「失敗? 食べられないほど?」
「いや、まあ、食べられないほどじゃないけど、かなりね。真由に訊いてみたら、メレンゲの泡立て方が足りなかったんじゃないかって。」
「ああ、そうだったのか・・・。もしかしたら、紫苑さんが苦手なものを頼んじゃったのかな?」
「うん・・・でも、逆に闘志がわくっていうか、『負けないぞ!』みたいな気分かな。お誕生日までにはなんとかするから。」
「わかった。楽しみにしてるよ。でも、失敗したケーキは?」
「表面はこげてるけど、中はそれなりに食べられるから、朝ご飯にしてる。」
味はいいんだよね。
ただ、焼け具合がね。
「それなら僕にも持って来てくれればよかったのに。」
「だめ。秋月さんは、今回はメインなんだから、試作品は食べないの。」
「え〜? そんなことされたら、ものすごく期待が膨らんじゃうけど?」
「え? それも困るな。あと何回くらい練習できるだろう? 土日は3回?」
「土日のたびに練習? それじゃあ、二人で出かける時間が・・・。」
「土曜か日曜、どっちかは空くはずだけど?」
「いや、泊まりで・・・。」
「行きません!」
まったく、朝からなんということを・・・。笑ってるし。
「じゃあね、紫苑さん。夜にでも、それの感想を聞かせて。」
アップルパイの入った紙袋に視線を向けてそう言うと、秋月さんは手を振って去って行った。
ふう・・・。
こういう会話って、やっぱり友達よりは恋人同士に近い・・・かな?
そうだよね。
彼氏候補なんだから。
秋月さんとはいつもぽんぽんと会話が進んでいく。
いつも楽しそうで、冗談を言いながら、あたしを気遣ってくれる。
秋月さんと一緒にいれば安心。
・・・まあ、部分的には安心できないところもあるけど。