14 お菓子作りの理由
「もともとは、家庭科部だったことがバレたのが原因なんだよ。」
真由が淹れてくれた玄米茶にフーフーと息を吹きかけながら説明する。
部屋中にりんごとシナモンとバターの香りがほんのりと漂って、いかにもお菓子ができるのを待っているという感じがする。
なんだかすごーく楽しみ!
お菓子作りがこんなに楽しいなんて、初めて!
「同期と龍之介のお友達と一緒に出かけたときに、だいぶ前に話したことを覚えてた友達が、『そう言えば』って言い出してさあ。黙っててって言ってあったのに。」
「ねえ、龍之介くんっていうのは、紫苑がよく話す人でしょう? そのお友達と一緒に出かけたの?」
「うん。今月の初めごろに、龍之介がその人たちと・・・2人なんだけど、うちの会社の駅前で待ち合わせしてて、あたしと友達2人がたまたま会ったんだよ。その一人がすっごくかっこいい人でね。」
秋月さんとあたしの偶然の縁については、ちょっと言い出しづらい。
このまま黙っていよう。
「で、そのあと、一緒に飲みに行こうっていう話が出たらしくて、3対3で行ったの。」
真由が身を乗り出す。
「それって、誰かが誰かを、ってこと?」
「やっぱりそう思う? あたしも、もしかしたらって思ったんだけど。」
「だけど?」
「全然わからなかった。」
あたしの答えを聞いて、真由がクスリと笑う。
「紫苑って、そういうこと、相変わらずわからないんだね。」
「仕方ないじゃん。みんな隠すのが上手いんだよ。」
「もしかしたら、紫苑が狙われてたりして。」
ズキン、と心臓が響く。
「真由。」
真由の前では、あたしは自分の気持ちを隠さない。
きっと、今はうろたえた顔をしているはず。
「・・・まだ辛いんだね。」
悲しそうな顔をする真由。
「・・・ごめん。真由。」
「紫苑が謝ることないよ。あたしが無神経に言ったのが悪かった。ごめんね。」
いいんだよ。
こんなことをいつまでも引きずっている自分が情けないのは本当なんだから。
「ええと、それで? 家庭科部の話が出てどうなったの?」
真由が明るく話を促す。
そうだよね。
せっかく久しぶりに会ったんだから、楽しく過ごさなくちゃ!
「家庭科部に入ってても料理は苦手だって言ったら、龍之介が『やっぱりな。』って言ってね。腹が立って言い合ってるうちに、売り言葉に買い言葉で、龍之介に手作りのケーキを食べさせるって約束しちゃったの。」
「プ・・・。」
真由がこっそりと吹き出す。
「龍之介ったらさあ、威張っちゃって、練習も必要だろうから3か月以内でいいぞ、とか言うんだよ。」
「相変わらず、龍之介くんとは言い合ってばっかりなんだね。」
真由には、あたしの話にたびたび登場する龍之介はずっと前からの知り合いのようなものだ。
「本当。どうしてだろうね?」
ため息をつくあたしを、にこにこと見ている真由。
昔と変わらない、安心できる笑顔。
「今でも紫苑のことを送ってくれるの?」
「龍之介? うん。帰り道だからね。」
「そう。いい人だね。」
ピピピピピピ。
オーブンの音。
心配になって、思わず真由の顔を見る。
なのに、真由は「あ、鳴ったね。」なんて、平気な顔をしてる。
仕方ないか。
真由は毎日、お菓子を作ってるんだから。
珍しくもなんともないよね。
オーブンを開けてみると、ツヤツヤときれいに焼けたアップルパイ。 ・・・まあ、形はちょっと、いや、だいぶ不格好だけど。
焼いている間に流れ出たパイの中身が天板でぐつぐついっている。
真由に言われて竹串で刺してみると、ひっかからずに底まで行くようなので、焼き上がりだと判断することにした。
ただ・・・天板ごと出すのが重い。それに、熱い。怖い。
ここで落としたりしたら、午前中の努力がすべて無駄になると思うと、ますます緊張する。
真由に見守られながらガスコンロの五徳の上までどうにか運んでほっとした。
「ねえ、真由。切ってみてもいい?」
わくわくしながら言ったら、真由は呆れた顔をした。
「ダメだよ、紫苑! 冷めてからじゃないと。」
「え? 熱々のは食べられないの?」
「今、切っても、熱くてさわれないよ。それに、紫苑の本にも書いてあったけど、二日目、三日目の方が味が馴染むんだよ。」
「そんな〜。味見もできないなんて・・・。」
「ほら、この流れ出たのをスプーンで味見してみたら?」
真由になぐさめられながらスプーンを持って来て、天板に貼りついているべとべとをすくって舐めてみたら・・・美味しい!
爽やかな甘酸っぱい味とシナモンの香りが口の中にふわっと広がって、なんだか幸せな気分になってくる。
もしかしたら、お店で買うのよりも好きな味かも。
「美味しいよ、真由!」
驚いたのと嬉しいので、思わず叫んでしまう。
「信じられない! こんなに美味しいなんて! あたしが作ったのに!」
「だから、美味しくできるって言ったじゃない。」
真由がにこにこしながら言う。
これなら龍之介だって、なんにも言えないよね! ・・・見た目以外は。
天板の上のアップルパイをながめながら、大きな満足感を味わう。
あたしにも美味しいお菓子が作れた!
「真由のおかげだよ〜!」
嬉しくて、真由に抱きついてしまう。
そんなあたしを真由が笑う。
「よかったね。形は何度か練習すれば、少しはマシになると思うよ。」
それから真由は、ふと不思議そうな顔をした。
「ねえ、紫苑。よくアップルパイなんて思い付いたね。」
「え?」
「だって、普通、 “ケーキ” って言われたら、クリームが塗ってあるやつとか、カップケーキとか、そういうものを考えない? それがアップルパイなんて、まあ、紫苑には向いてるみたいだけど、普段やらない人は思い付かないような気がするけど?」
「あ・・・、それは、その・・・。」
やだな。
どうしてここで言葉が詰まっちゃうんだろう?
「ん? 何? 怪しい、紫苑。」
真由の目がきらーん、と光った気がした。
「ええと、ブレーンがいて。」
「ほほう。どんな?」
「あの、龍之介の友達の一人なんだけど・・・。」
「え?! 一度、会っただけで、ケーキの相談をするほど仲良くなったの?!」
「あ、いや、一度じゃないんだよ・・・ね。」
「・・・どういうこと?」
「・・・まあ、座ろうよ。」
アップルパイの香りが漂う中で、あたしは真由に、金木犀の香りに始まる一連の偶然の話をした。
真由は目を丸くして聞いていて、最後には「すごいね。」と感心していた。
「でも、本屋さんで会ったところまでは偶然かもしれないけど、一緒に道具を買いに行ったのは、秋月さんの気持ちだよねー。」
意味ありげな目つき。
「それに、毎朝同じ電車に乗ってるのだって、偶然とは言わないんじゃない?」
もう・・・真由。
「真由は電車通勤じゃないから分からないかもしれないけど、普通、みんな毎日決まった電車で通勤するんだよ。だから、会うのは当たり前なの。」
「そう?」
「それに、お買物だって、秋月さんの親切とお詫びの気持ちからなんだから。」
そう説明しながら、秋月さんとの会話やタルトを分け合って食べたことを言わないように、心の中の箱に入れて蓋を閉める。
こんなことを真由に言ったら、たちまち勘違いされちゃう。
「ふうん。でも、あのアップルパイ、けっこう大きいよね。明日、あたしも一切れもらうけど、残りは紫苑一人で食べきれるの?」
「ああ、うん。秋月さんにあげる約・・・束・・・が・・・。」
しまった・・・。
「『秋月さんにあげる約束』ね。ふうううん。」
「そ、・・・そんな深い意味はないんだよ! 道具を選ぶのを手伝ってもらったお礼に・・・。」
「へえ。」
「だって、休みの日にわざわざ出てきてくれたし、その前に本も教えてもらってるし、」
「そうだよね。」
「だからお礼するって言ったら、」
「当然だよね。」
「試作品を食べたいっ・・・て・・・。」
ニヤリと、真由が笑う。
「勇気あるよね。どんなものができるかわからないのに。」
変な誤解しないで!
「でも、でも、試作品って言っても、自分が作ってるのと同じレシピだから、きっと美味しくできるって知ってて。」
「そうかもね。」
「だから、あたしが作ったお菓子を食べる第一号を予約・・・・・。」
「予約。」
・・・ダメだ。
全部話してしまった・・・。
自分の馬鹿さ加減にあきれて、ぐったりとテーブルにうつ伏せになる。
そうっと向かい側をみると、真由がニヤニヤしていた。
「あたしは何にも言わないけどね。」
言葉では言ってないけど、その表情で何が言いたいのかよくわかるよ・・・。
でも!
「真由。あたしは誰のことも好きにならないんだからね!」
「わかってるよ。」
真由はふっと表情を和らげた。
それから。
「ねえ、夕飯はあたしが作ろうか? 紫苑より少しは上手いと思うよ。」
“少し” なんて、そうとう謙遜してるよ・・・。