第2話
アルセリア学院の訓練場には、朝から木剣の打ち合う音が響いていた。
昨日まで心装を得た興奮に包まれていた新入生たちも、今日ばかりは互いを気にする余裕がない。心装を具現化できたからといって、突然戦えるようになるわけではないことを、訓練開始から十分も経たずに思い知らされていたからだ。
御門カナメも例外ではなかった。
正面の木人へ向かって踏み込み、その肩を狙って木剣を振る。狙いは外れておらず、刃は確かに木人へ当たったが、鈍い音を立てただけで標的はほとんど揺れなかった。
手応えの薄さが、そのまま技術不足を突きつけてくる。
「御門」
背後から声が飛んだ。振り返ると、城戸先生が記録板を片手に立っている。
「今の動きを評価しろ」
狙った場所には当てた。だが結果が伴っていない以上、高い点をつけられるはずもない。
「……50点くらいでしょうか」
「0点だ」
容赦がなかった。周囲の何人かが笑いを噛み殺したが、城戸先生は気にも留めない。
「何を考えて振った」
「肩へ当てることです」
「だから軽い」
指示棒が木人の肩を叩き、次にカナメの足元、腰、手にした木剣を順番に示した。
「足。腰。剣まで繋げろ」
説明はそれだけだったが、意味は分かる。今の一撃は腕で木剣を動かしただけで、踏み込みも腰の回転も、刃へ十分に伝わっていなかった。
カナメは木人へ向き直り、もう一度構える。足、腰、肩、腕。動きを順番に繋げるよう意識して振ると、先ほどより大きな音が鳴り、木人の上体がわずかに揺れた。
改善はした。それでも、周囲との差が縮まったとは言い難い。
少し離れた場所では、ガイが同じ訓練をしていた。破城を使っていないにもかかわらず、木剣が空気を裂く音から違う。踏み込みから腰の回転、振り抜きまでが滑らかにつながり、木人へ一撃を加えた後も身体が流れない。次の動作へ移れる位置で、すでに姿勢が整っていた。
「見惚れてるの?」
隣からセラの声がした。
「参考にしてる」
「そういうことにしておく」
セラが肩をすくめると、そこに止まっていたスピカが飛び立った。訓練場を大きく巡り、戻ってきた白銀の頭をセラがごく自然な仕草で撫でる。昨日生まれたばかりのはずなのに、もう長年の相棒のように見えた。
カナメは空いた自分の手を見る。
無銘鍵は昨日の鑑定以来、一度も応えていない。今も具現化する理由はなかった。
「集まれ」
城戸先生の声が訓練場へ響き、新入生たちが中央へ集められる。
「心装使いは、心装だけで戦うわけではない。心装の具現化や身体強化に使う力を、心装力と呼ぶ」
城戸先生は訓練場の端に置かれた木人の前へ立った。
「心装力を肉体へ流せば、筋力や速度、反応を一時的に引き上げられる」
拳を軽く握り、腰の高さから打ち込む。
乾いた音が響いた。
木人の胴がへこみ、固定具ごと後ろへ傾く。力んだ様子はなく、打った拳にも傷一つない。
「身体強化だ。現場では強化、あるいはブーストと呼ぶ」
筋力、速度、反応、感覚。心装力を流した部位は、一時的に本来以上の性能を発揮するという。
「なら、全身を強化し続ければいいだろうが」
ガイの問いに、城戸先生は即答した。
「心装力を垂れ流しているだけだ。必要のない場所へ流した分だけ、先に尽きる」
身体強化は、単純に力を増やす技術ではない。限られた心装力を、状況に応じて必要な部位へ流す技術なのだろう。踏み込むなら脚、攻撃を受けるなら腕や胴、遠くを見るなら目。戦闘中に必要な部位は絶えず変わる。
熟練者なら複数の部位へ同時に流したり、危険な一瞬だけ全身を強化したりもできるのかもしれないが、まず覚えるべきなのは一つの部位へ流し、次の動作に合わせて別の部位へ移すことだった。
「初心者は一か所へ流して終わる。上級者は次へ移す」
城戸先生の視線がカナメで止まった。
「御門。前へ」
嫌な予感が当たった。
「右脚へ流せ」
意識を向けると、心装を呼び出すときに似た熱が身体の内側で動いた。
これが心装力なのだろう。
外へ放たず、右脚へ集めていく。太腿の奥から足裏までが急に軽くなった。
「踏み込め」
床を蹴った瞬間、身体が予想以上の速さで前へ飛び出した。慌てて反対の足を出し、どうにか転倒だけは免れたものの、訓練場のあちこちから笑いが漏れる。セラは声を上げる代わりに、額へ片手を当てていた。
「御門。何が悪かった」
「強化が強すぎました」
「違う。どこへ流した」
「右脚です」
「その後は」
答えに詰まった。踏み込むことしか考えておらず、着地や制動へ力を移す発想がなかった。
「……何もしていません」
「そうだ」
城戸先生はそれ以上説明せず、次の生徒を呼んだ。
右脚へ流す判断が間違っていたわけではない。踏み込みを終えた後も心装力を留めたまま、次に必要な場所へ移さなかったことが失敗だった。
力を出して終わりではない。その後の姿勢、次の攻撃、回避や防御までを含めて一つの動きになる。
◇
基礎訓練の後、補助教員たちが大型の台車を訓練場へ運び込んだ。載せられていたのは、木材と金属で組み上げられた四足の機巧獣で、狼に似た胴体の中央には青い停止円盤が埋め込まれている。
「最後は個人実戦評価だ。全員一人で行う」
新入生たちの間にざわめきが広がった。
「前衛も後衛も関係ない。一人にならない探索者はいない。停止円盤へ有効打を与えろ。評価するのは速度だけではない。判断、位置取り、強化、攻撃後の姿勢まで全部見る」
最初に呼ばれたのはガイだった。
訓練区画へ入った彼が破城を具現化し、開始の合図と同時に正面から踏み込む。赤い大剣が振り下ろされた次の瞬間には、青い円盤ごと機巧獣が粉砕されていた。
破城はそのまま石畳へ食い込み、深い亀裂を刻む。圧倒的な一撃に歓声が上がった。
「脆ぇな」
ガイは破城を引き抜き、肩へ担いだ。
だが、城戸先生が見ていたのは粉々になった機巧獣ではなく、ガイの足元だった。
「獅堂。お前は今、自分で足場を壊した」
「あ?」
「敵がもう一体いたらどうする」
「次も潰す」
「終わらなかった場合を考えない者は、二撃目を出す前に死ぬ」
ガイは舌打ちしたが、反論はしなかった。
カナメは破城の軌道を思い返す。ガイは踏み込みに合わせ、心装力を脚から腰、両腕へ素早く移していた。力任せに見えて、実際の運用は自分よりはるかに巧みだ。
ただし破城が床へ食い込んだ瞬間だけ、心装力の流れが両腕へ残り、ガイの上体がほんのわずかに前へ流れたように見えた。巨大な剣を引き抜くために、一度足を踏み直してもいる。
振り下ろしが大きすぎただけかもしれない。まだ一度見ただけで、癖と決めつけるには早かった。
「次。七瀬」
セラが短剣を抜き、スピカとともに訓練区画へ入る。
開始と同時に機巧獣が駆け出した。セラは正面から打ち合わず、短剣で注意を引きながら側面へ回る。その間にスピカが頭上を越え、背後から光羽を放った。
最初の一撃は装甲へ弾かれたが、セラが再び感知器の前へ短剣を走らせた瞬間、スピカが反対側へ回り込む。振り向いた機巧獣の背後から、二射目の光羽が停止円盤を射抜いた。
鮮やかな勝利だった。
ただ、スピカの位置を確かめるたびに、セラ自身の足がわずかに止まっていた。一人と一羽を同時に動かすことへ、まだ意識を割き切れていないのだろう。
「七瀬。スピカを見るたびに足が止まっている」
セラの表情が引き締まる。
「動きながら位置をつかめ。止まる癖を残すな」
「はい」
肩へ戻ったスピカも、自分のことを言われたと分かったのか翼を畳んだ。
「御門」
ついに呼ばれた。
無銘鍵は使えない。破城もスピカもない。できることは限られているが、それでも何もできないわけではなかった。
訓練区画へ入ると、先ほどまでとは形の異なる六脚の機巧獣が運び込まれた。低い胴体を六本の脚が支え、青い停止円盤は腹部の装甲に覆われている。
カナメは学院支給の片手剣を構えた。
「始めろ」
機巧獣が床を蹴る。
速い。
カナメは反射的に横へ飛び、目前を通過した爪の風圧を頬に受けた。機巧獣はすぐに向きを変え、六本の脚で滑らかに進路を修正する。
まずは試す。
正面から踏み込み、肩口へ片手剣を振り下ろした。硬い音とともに刃が弾かれ、右腕に痺れが走る。装甲はほとんど傷ついていない。
ガイなら正面から割れる。だが、自分にできる戦い方ではなかった。
反撃の爪を避け、距離を取る。今度は攻撃を急がず、六本の脚、胴体の傾き、方向転換までの順序を追った。
前脚が床を捉え、後脚が身体を押し出す。別々に動いているように見える六本の脚が、曲がる直前だけ同じ方向へ力を揃える。
機巧獣が急旋回した瞬間、腹部に青い光が見えた気がした。
一瞬だけだ。光の反射かもしれない。
機巧獣が再び迫る。カナメは爪をかわし、振り向いた個体へ追わせるように走った。もう一度、機巧獣が身体を大きく傾ける。
また見えた。
脚の付け根にある装甲が開き、その奥から同じ青い光がのぞいている。停止円盤だ。
偶然ではない。曲がる瞬間だけ、腹部を守る装甲が開いている。
ただし、どの程度の旋回で開くのかまでは分からない。確かめる必要があった。
機巧獣が向き直る。カナメは正面で待ち、今度は早めに横へ避けた。
機巧獣は余裕を持って進路を変え、胴体もほとんど傾かない。装甲は開かなかった。
仮説が外れたのではない。避けるのが早すぎた。無理な旋回をさせなければ、腹部をさらす必要がないのだ。
ならば、もっと引きつける。
機巧獣が六本の脚で床を蹴った。
カナメは右脚へ心装力を流す。だが、すぐには動かない。
近い。
前脚が持ち上がる。
まだだ。
爪が振り出される。
今。
右脚で床を蹴り、身体を横へ逃がす。爪が制服の肩口を浅く裂いたが、そこで動きを終わらせない。着地と同時に力を左脚へ移して姿勢を支え、腰へ流して勢いを殺す。
獲物を追おうとした機巧獣が、無理に方向を変えた。六本の脚が床を強く捉え、胴体が大きく傾く。
腹部の装甲が開いた。
今度は完全に見える。
カナメは止めた勢いを再び右脚へ移し、露出した円盤へ踏み込んだ。腰、肩、腕へと力を繋ぎ、片手剣を短く、まっすぐ突き出す。
刃先が青い円盤の中心を貫いた。
光が消え、六脚の機巧獣がカナメの目の前で動きを止める。
「そこまで」
城戸先生の声が響いた。
カナメは片手剣を引き抜き、大きく息を吐く。肩口の傷が遅れて熱を持ち、身体強化を何度も使った脚には重い疲労が残っていた。
「御門。自分で評価しろ」
停止した機巧獣を見ながら、起きたことを順番に整理する。
「急旋回すると、腹部の装甲が開きます。最初は見間違いかと思いましたが、二度目も同じ場所に停止円盤が見えました」
「続けろ」
「一度目の誘導は避けるのが早すぎて、旋回が浅くなりました。二度目は引きつけすぎて、爪を避け切れていません」
裂けた肩口へ目を向ける。
「ただ、踏み込んだ後に力を移すことはできました」
城戸先生がわずかに頷いた。
「観察は悪くない。力で装甲を破れないと判断し、敵の動きを利用した点も評価する」
そこで一度言葉を切り、肩口の傷を指示棒で示した。
「強化を移すたびに動きが途切れている。最後の踏み込みも遅い」
「はい」
「流れを止めるな。次は傷を負わずに入れ」
それだけ言って、城戸先生は次の生徒へ向かった。
◇
訓練後、補助教員たちが停止した機巧獣を片づけていた。
カナメは医務室へ向かう前に、先ほど貫いた停止円盤をもう一度見た。青い金属の中央には剣先が残した傷があり、そのさらに奥に、ごく小さな黒い点がある。
ただの構造上の穴かもしれない。少し離れれば見失うほど小さく、ほかの生徒なら気にも留めなかっただろう。
それでも、カナメは目を離せなかった。
鍵穴に似ている。
「何見てるの?」
セラが隣へ立ち、裂けた肩口へ視線を落として眉を寄せた。言葉で責める代わりに、カナメの制服の袖をつかみ、医務室の方へ引く。
「まだ分からない」
本当に、それ以上のことは言えなかった。
無銘鍵と、停止円盤の黒い点。偶然にしては気になりすぎるが、まだ材料が足りない。
引かれるまま歩き出す直前、カナメは円盤へもう一度だけ目を向けた。
そのときにはもう、ただの黒い点にしか見えなかった。
◇
放課後。
訓練場から人がいなくなった頃、カナメは一人で木人の前に立っていた。
木剣を握り、構える。
足。
腰。
肩。
腕。
城戸先生に指摘された順番を意識しながら振る。
鈍い音が鳴る。
思ったほど木人は揺れない。
もう一度振る。
さらにもう一度。
汗が額を伝った。
機巧獣との実戦で見えたことはある。
だが、見えただけでは勝てない。
見つけた隙へ入るための足も。
剣を振る腕も。
結局は自分で鍛えるしかなかった。
木剣を下ろし、今度は身体強化へ意識を向ける。
右脚。
踏み込む。
床を蹴った瞬間、身体が前へ流れた。
慌てて左脚を出す。
転びそうになる。
立て直す。
今度は左脚。
次は腰。
心装力が散る。
思った場所へ流れない。
日が傾く頃には、制服の背中まで汗で濡れていた。
「下手だなあ」
聞き慣れた声がした。
顔を上げる。
セラが木柵にもたれていた。
肩ではスピカが小さく鳴いている。
「見られたか」
「毎日やってるのに、見つからないと思ってたの?」
カナメは苦笑した。
否定はできない。
訓練が終わったあと、少しだけ残る。
入学してからずっと続けている。
誰かに見せるためではない。
見せられるほど上手くもない。
ただ、何もしないままではいたくなかった。
セラは木人へ近づいた。
表面には新しい打痕がいくつも残っている。
「頑張るのはいいけど」
セラが木剣を指差した。
「怪我した日くらいは休んだら?」
「そこまでの傷じゃないだろ」
「そういうところ」
呆れたように言う。
だが本気で怒っているわけではない。
スピカがふわりと飛び上がった。
訓練場を一周して戻ってくる。
カナメは木剣を肩へ担いだ。
「もう少しだけやったら帰るよ」
セラは返事の代わりにため息をつく。
それから訓練場の出口へ向かいかけて、ふと思い出したように振り返った。
「カナメ」
「ん?」
「頑張ってるのは知ってるから」
それだけ言って歩き出す。
追いかける前に、セラの背中は夕陽の向こうへ消えていた。
カナメはしばらく立ち尽くしたあと、小さく笑う。
木剣を握り直す。
もう十回だけ。
そのつもりで構えを取った。




