9. 老舗商会と、受け継がれた天秤
領都アケニース(旧ヨンドカ王都)。
スピディの肩車から見下ろす街並みは、活気に満ちていた。
「へえ、今日はまた一段と人が多いな」
スピディが慣れた様子で呟いた。
彼はこの街に住んで長いらしく、すれ違う顔見知りと軽く手を挙げ合ったりしている。
俺が少し驚いていると、彼はニッと笑った。
「なんだよ、意外か? 俺だって非番の日はこの辺で酒飲んでるからな。この街のことは庭みたいなもんよ」
「ふうん。お兄ちゃん、顔広いんだね」
「まあな。悪い奴らとも少しは顔なじみだが……坊ちゃんには教えられねぇな」
軽口を叩きながら進むスピディ。
俺はその高い視点から、冷静に物流を観察した。
(……やはり、物の流れが変わっている気がする)
行き交う馬車の荷台。積まれているのは、北や東――つまりサマラ王国方面からの物資ばかりだ。
25年前、西に敵対的な「モグロン王国」が建国されたせいで、最短の交易ルートであるレーマネ方面が閉ざされている。
今はサマラを経由して大きく迂回しているため、輸送コストが嵩んでいるはずだ。
それでもこれだけ栄えているのは、都市としての基礎体力がある証拠だが、商売人にとっては頭の痛い状況だろう。
(……なら、鍵を握っているのは“物を回す側”だ)
街の顔は、商会が作る。
「で? どこに行くんだ、アルヴィン様? まさか『アーモン商会』に行きたいとか言うんじゃねぇだろうな」
スピディが先回りして言った。
「当たり。連れてって」
「へっ、やっぱりか。この街でガキが喜びそうなモン売ってるのはあそこくらいだからな。……よしきた、しっかり掴まってな!」
スピディは人混みをスルスルと縫うように進み、商業区の一等地へと向かった。
◇
アーモン商会。
石造りの巨大な本店ビルが、威風堂々と鎮座していた。
看板には、懐かしい紋章――アサータクさんが好きだった「天秤と剣」のデザインが掲げられている。
(……立派になったな)
25年前、俺が死んだ時点で既にこの国でもトップクラスの大商会だったが、その威容は衰えるどころか、さらに風格を増している。
創業者のアサータクさんは、生きていれば90歳近い。
寿命を考えれば、既に亡くなっているだろう。今は子供たちが継いでいるはずだ。
「ここ?」
「そう。入ろう」
俺はスピディに降ろしてもらい、服の埃を払った。
5歳児だが、今の俺は「アケニース伯爵家の三男」だ。
その肩書きを最大限に利用させてもらおう。
カラン、コロン。
ドアを開けると、広々とした店内に商品が整然と並べられていた。
「いらっしゃいませ!」
すぐに店員が飛んできた。
だが、俺と、護衛の(少しガラの悪い)スピディを見て、一瞬怪訝な顔をした。
「……あー、お客様? お子様向けの玩具なら、二階の売り場に……」
「玩具はいらないよ」
俺は背筋を伸ばし、精一杯「貴族らしく」振る舞った。
「僕はアルヴィン・アケニース。この領地のアケニース伯爵の息子だ」
店員の動きがピタリと止まった。
顔色が変わり、慌てて最敬礼の姿勢をとる。
「こ、これは失礼いたしました! まさかご領主様のご子息とは露知らず……!」
「いいよ。お忍びだから」
俺は鷹揚に頷いた。
(……余計な挨拶はいらない。目的は“中”だ)
「それで、今日は商会の代表の人に会いに来たの。いるかな?」
「は、はい! 会長のザイク様ですね! ただいま呼んで参ります!」
店員が脱兎のごとく奥へ走っていった。
数分後。
奥の扉が開き、質の良さそうな服を着た男が現れた。
(……ザイクか)
俺は心の中で懐かしさに目を細めた。
(鑑定)
【名前:ザイク】
【年齢:48歳】
【能力:商才】
アサータクさんの次男、ザイク。
かつて会った時はまだ若者だったが、今は完全に「商会の長」の顔をしている。
冷徹に数字を見定める目つきは、父親譲りというよりは、彼独自の才能だろう。
昔からどこか商売人らしい鋭さがあったが、それが完成された感じだ。
「お初にお目にかかります、アルヴィン様。アーモン商会代表のザイクと申します」
ザイクは深々と頭を下げた。
だが――頭を下げながら、俺の靴と、護衛の腰の剣を一瞬で見た。
商人の礼儀と、商人の警戒が同居している。
彼にとって、俺は「初対面の領主の子供」でしかない。
「はじめまして。お父様から、この街ですごいお店だって聞いたから、見てみたかったの」
俺はニコニコと笑って嘘をついた。
「はは、恐縮でございます。……亡き先代のアサータクが築いた礎を、私が守っているだけでして」
ザイクが謙遜して言う。やはり、アサータクさんはもういないか。
「お店、すごく広いね。色んなものがある」
「ええ。サマラ王国からの輸入品を中心に、武具から調味料まで取り揃えております」
ザイクの言葉に、俺は核心に触れる質問を投げかけた。
「西の……レーマネのお品はないの?」
ザイクの表情が一瞬、曇った。
商売人としての痛いところを突かれた顔だ。
「……ええ。残念ながら、西にはモグロン王国がありまして……直接の交易が難しいのです。迂回すれば手に入りますが、それでは値段が高くなりすぎて、お客様に喜んでいただけませんので、西の酒なども扱っておりません」
やはり、そこがボトルネックか。
俺は店内を見回した。
確かに品揃えは良いが、かつてのような「珍しい西方の品」は鳴りを潜めている。
「……そういえば、リリさんはいないの?」
俺がふと尋ねると、ザイクは目を丸くした。
「妹をご存知なのですか? リリでしたら、ここにはおりません。彼女は現場が好きでして……近くにある直営のレストランで、今日も厨房に立っているはずです」
(……へえ、厨房に?)
俺は少し驚いた。
記憶の中のリリは、まだ店の手伝いをするただの少女だった。
まさか、料理人の道に進んでいたとは。
「そっかぁ。今度ごはん食べに行きたいな」
「ええ、ぜひ。妹も喜びます」
ザイクは営業スマイルを崩さない。
だが、その裏で「どうやって西のルートを開拓するか」という難題に頭を悩ませているのが透けて見える。
(……よし、現状は把握した)
俺の知識と、ダイファーの武力と、マーランの計算。
これらを組み合わせれば、この商会の悩みを解決し、アケニース領を潤すことができるはずだ。
かつての仲間の子供たちが守る店だ。贔屓しない理由がない。
「じゃあ、お邪魔しました! また来るね!」
俺は踵を返し、出口へと向かった。
「行くぞ、スピディ」
「へいよ。……しかし、お前さん、本当に5歳か? 商会の会長相手に物怖じしねぇとはな」
スピディが呆れたように俺の頭を撫でた。
店を出ると、夕暮れの風が吹いていた。
(……さて、次は手土産の準備だな)
ただ挨拶に行くだけでは意味がない。
この商会を動かし、領地の経済を爆発させるための「具体的なプラン」。
それをどうやって形にするか。
俺はスピディの背中で揺られながら、次の一手を考え始めた。
「……何か面白いことでも考えてるのか?」
「うん。とっても面白いこと」
俺はニヤリと笑った。
天秤を傾ける方法は一つじゃない。
道を変えるか。
物を変えるか。
それとも――
“仕組み”を変えるか。
商売人の血が騒ぐ。
さあ、何か考えてみようか。




