198. 灰の都と、凍える闇
踏み出すたびに、足元で何かが崩れる音がした。
かつて美しく磨かれていた白亜の石畳は、熱でひび割れ、煤にまみれて原型を留めていない。
北風が吹く。空を覆っていた黒煙は随分と薄くなったが、代わりに運ばれてくる冬の冷気が、マント越しに容赦なく体温を奪っていった。
焼け残った王城前の広場が、現在の避難区域に指定されている。
瓦礫を寄せて作られた急造の天幕群。そこには、この広大な王都で奇跡的に生き残った、いや、ナバラ帝国に『連れ去る価値もない』と見捨てられた人々が集められていた。
うずくまる老人たち。
親の行方も分からず、泣き疲れて虚ろな目をした孤児。
火傷や怪我を負い、ただ痛みに耐えるだけの病人たち。
医療地区を定めて軍医たちを回してはいるが、圧倒的にすべてが足りない。
「……南の公爵領から物資の輸送を手配しましたが、到着には数日を要します。現在、薬は底をつき、食料も軍の携行食を切り崩している状態です」
俺の斜め後ろを歩くチェルピンが、感情のない声で淡々と事実を告げる。
「夜を越えるための薪も、足りません。瓦礫の木材はすでに燃え尽きており、灰ばかりです。……本格的な冬になれば、怪我ではなく、寒さで人が死にます」
「……」
俺は立ち止まり、灰色の空と、黒く焦げた街を見渡した。
王都陥落から、五日。
たった五日の間に、この街は完全に内臓を抉り取られた。
人も、物も、富も、歴史も。すべてが根こそぎ北へと奪い去られた。
王都を、取り戻した。
だが、何も取り戻せてはいないのだ。
父上。ソーバン兄さん。
二人の遺体は、まだ見つかっていない。
連れ去られた数万の民の中に混じっているのか、それとも、この足元の瓦礫の下でとっくに灰になっているのか。それすらも分からない。
目を開けているのに、深い闇の中を歩いているような感覚だった。
いくら手を伸ばしても、指先には冷たい灰しか触れない。松明すら持たないまま、足場のない虚無の底へとゆっくり沈んでいくような、圧倒的な喪失感。
「……アルヴィン様」
チェルピンの声が、俺の意識を闇の底から引き上げた。
「昼からは、シュテゲン公爵との会食、ならびに今後の防衛線構築に向けた軍議が入っております。そろそろ本陣へお戻りになられませんと」
将としての時間。
この何もない灰の街を、最前線の防衛基地としてどう作り変えるか。動かない東西の伯爵たちをどうするか。次の一手をどう打つか。
休むことは許されない。弱音を吐くことも許されない。
俺は、小さく息を吐き出した。
白い吐息が、冷たい空気に溶けて消える。
(……会いたいな)
ふと、胸の奥で、そんな輪郭のない感情がこぼれた。
ただの子供の、どうしようもない我が儘だ。
マルディのうるさい怒声が聞きたい。
セインの呆れたようなため息が聞きたい。
ロリーナの真っ直ぐな槍の音が、アイーシャの静かな足音が。
コジインの庭で、ただ他愛のない話をして、一緒に笑い合いたい。
この冷え切った闇の中で、彼らの存在だけが、俺を現実に繋ぎ止める唯一の熱だった。
だが、足はそちらへは向かない。
会いに行って、少しでもその温もりに触れてしまえば、俺はきっと二度と立ち上がれなくなる。将としての仮面が崩れ落ち、大切な人を守れずただ泣き叫ぶだけの無力な男に戻ってしまう。
この闇は、俺が一人で歩かなければならない。
「……行こう、チェルピン」
すっぽりと抜け落ちたような心の一角を、冷たい風が吹き抜けていく。
「公爵を待たせるわけにはいかないからな」
「はっ」
足元で、また崩れた瓦礫が嫌な音を立てた。
立ち直る術も、光を見つける手立てもないまま。俺たちはただ重く引きずるような足取りで、軍議の待つ天幕へと歩を進めた。




