表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キングスレイヤー真  作者:


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

140/140

140. 盤上の幻影、指揮官の倒れる日

 チェレステの朝霧が晴れる頃、俺たちは宿を発った。


 ヘモンの顔色は、良くなっている。残り二人の子供たちも、人形のように静かだが、自力で馬車に乗り込む。


 宿代の残りと、スピディとポムキンが稼いだ日銭で、なんとか帰路の資金も目処がついた。



 俺は出発の際、ずっと気になっていたことを宿の主人に聞いてみた。

 あの一階の奥で騒いでいた連中は何者だったのか。


「ああ、あの連中ですか。たまに来ては、ああやって賭け事をしてるんですよ」


 主人はグラスを拭きながら、特に興味もなさそうに答えた。


 彼にとっては、よく酒を飲み、金を落としてくれるありがたい客というだけの認識らしい。


 どんなゲームをしていたのか、何者なのか、深く詮索するつもりもないようだった。


「ただ、あの日からぱったり見てませんねえ。またそのうち来るでしょうが」


 主人の言葉はそれだけだった。

 将棋盤に見えたあの影は、俺の願望が見せた幻だったのか。それとも、似て非なる異世界の遊戯なのか。


 「ゼーノル」という聞き慣れない、だが妙に引っかかる名と共に、その謎は霧の向こうへ消えた。


 確かめる術はない。今は、後ろ髪を引かれている場合ではない。


          


 その後は順調だった。

 サマラ王国の街道を抜け、懐かしいアケニースの領地に入った頃には、張り詰めていた緊張の糸がふっと緩んだ。


 石畳の軍道。整備された倉庫群。俺たちが泥にまみれて作り上げた景色。



「着きましたぜ、ボス! 久々の我が家だ!」



 スピディの明るい声が響く。屋敷の門が見えてくる。

 俺は荷台から降りようと、意識的に背筋を伸ばした。



 その瞬間だった。

 世界が、ぐにゃりと歪んだ。



「……っ?」



 地面が斜めに見える。足に力が入らない。視界の端が急速に黒く塗りつぶされていく。


 内臓が裏返るような吐き気と、頭を殴られたような熱気。


 ああ、そうか。

 潜伏期間を経て、ついに俺にも回ってきたのだ。


 狭い馬車の中で、そして宿で高熱の患者と数日間密閉状態で過ごしたのだ。いくら前世の知識があろうと、今の俺はひ弱な8歳の子供。感染しないわけがなかった。



「ボス!?」



 駆け寄るスピディの腕を、俺は死に物狂いで掴んだ。


「……騒ぐな……。あの、薬だ……。作り方は、お前が見ていただろう……」


「ボス、でも!」


「レシピは……広めたくない……。お前が作れ……頼んだぞ……」



 そこから先の記憶はない。



          



 次に目を覚ました時、俺は自室のベッドの上にいた。


 全身が鉛のように重いが、あの焼けるような不快な熱は引いている。



「……気がつきましたか。飯、奢ってもらいますからね」



 枕元には、酷く疲れた顔のスピディが座っていた。


 こいつは本当に役に立つ。医者も呼ばず、俺の指示通りに秘匿された薬を調合し、看病し続けたのだ。今度、最高級の店に連れて行ってやろう。



 天井を見上げながら、俺は己の不甲斐なさを噛み締めた。


 子供の体で、無理をしすぎた。

 前世のアーノル時代は、毎日泥にまみれて農作業をし、街道を歩き、鍛錬を欠かさなかった。今の俺はどうだ?


 移動は馬車、仕事は机の上での指揮と指示。肉体の鍛錬が疎かになっていたツケが、この最悪のタイミングで回ってきたのだ。


 体力がなければ、知略も志も、ただの絵空事で終わる。



 母上が涙ながらに心配する中、俺は数日かけてじっくりと休養を取った。

 そして動けるようになると同時、ふらつく足でコジインへ向かった。



          



 コジインの門をくぐると、真っ先にロリーナが駆け寄ってきた。


「アル様! 死にかけって聞いたけど、生きてるね!」


「……死にかけとは失礼だな。見ての通りだ」


「えー、まだ顔色悪いよ。今日は槍の稽古はやめといたほうがいいね」



 ロリーナの無邪気な気遣いに苦笑しつつ、俺は奥の棟へ向かった。

 そこではアニタが、新しく連れ帰った子供たちの世話をしていた。



「アルヴィン様。ヘモン君たちは、少しずつですが『ここ』に慣れ始めています」



 アニタが静かに報告する。

 商才を持つヘモンと、他の二人の子供たち。彼らはまだ、自分から言葉を発することはない。だが、アニタが用意した食事を口にし、ポショルの診察を受け、日向でじっとしている。



「……それでいい。無理はさせるな」



 今は、彼らの中に失われた「自分」という種が再び芽吹くのを待つ時だ。

 クロブが教育の準備を整え、サハジが滋養のある飯を作り、ポショルが健康を管理する。


 俺が倒れても、俺が迷っても、このコジインという共同体は自律して回り始めている。


 ロリーナの明るさが、アイーシャの献身が凍りついた子供たちの心を少しずつ溶かし、コバンが裏で算盤を弾いて屋台骨を支える。



 俺はコジインの窓から、夕日に染まるアケニースの空を見上げた。


 旅の資金は底を突き、自分も病に伏せた。完敗と言ってもいい。

 だが、ここには確かに新しい命が根付いている。



(……次は負けんぞ、クサレッタ)



 俺は心の中で毒づき、己の細い腕を強く握りしめた。

 まずは、この体を鍛え直すところからだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ